生き方:第三百十二章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

生き方

 

生き方と神と僧侶

 

 

ある僧侶が、派閥争いのなかにあり、少し下がったところから、洞ヶ峠を決め込んでいた。要するに、今までは、Aに属していたが、Bの方が優勢になってきてるようなので、Bにつこうか、二股膏薬の愚かなものであり情勢次第で、自分の意志を簡単に変えてしまう。

そんな僧侶には、僧侶としての道理もない。僧侶というよりも、人としても最低で愚か者である。

困難に崩れ落ちようとする者や、貧しき者の中にも、道理を持ち、正しい方向を曲げることなど無く進む者がいる。

それらの者の悩みを聞いたり、祈ってあげたりする者が、道理を外れて己のことばかり考えて、どちらに着けば、出世できるだろう、お金が入るだろう、典型的な無知蒙昧である。

ある宗教の方から他の宗教の方はいかがでしょうか、とお手紙を頂きました。これは、私が出会ったの人のことを話しただけであり、仏教もキリスト教もイスラム教も、その他すべての宗教を含めて、その中にはあることです。

これは、一般の人間も同じであることを思い出すといい。

僧侶の派閥

 

 

さて、話は変わって

沢山の、有象無象は確かにいるが、このような軽蔑てきな言葉を使ってはならない。相手を軽蔑するという事は、相手の胸の中にいる、神を軽蔑することになる。

葦の髄から天井を覗くというけれど、要は自分の知る小さな世界の知識だけで大きな問題を解いてはいけないということです。

しかし、それに関係なく恰も、わかりもしないのに、あちらこちらで、弁の立つ者は話し、聞く者は皆頷き、物事の本質から大きくずれて、無関係な者も信じてしまい、落としいれてしまう事になる、そのようなことが無いように注意する言葉である。

縁なき衆生は度し難しという言葉は沢山の方が知る言葉でもあるでしょう。これを仏教ではなく、神に置き換えれば、神の教えを聞いても信じない者は、神の化身とは縁がないという事です。

人の行うべき七つは最も大切なことで、そのために輪廻転生を行ってきたのである。己が神の七つを先に行わず、あたかも自分はすでに行って良かったかのように他者に話、他人にやらせてから結果を見て、始めるような心など、もってはならない。

心を綺麗に洗い純粋にして守り歩く斎戒沐浴が大切であることを、あなた方は実践しなければならない。

所詮、物や金を欲したところで、それが集まっても、さて、それを持ちあなたの人生は、あと何年あるだろう。

そのようなものは、槐安の夢であり、儚く消えるもの、それらを万が一にも手に入れたならば、考える時間を作らず、困っている人々に分け与えることで、その行いを神は見ている。

君子から何かを命じられた弟子が、それが出来ないとすぐに諦め、君子の元へ戻り、膏薬が張り付くように、理屈を張り付けて言い訳をする。

己が生涯をかけてお使いをすると誓った相手が君子であり、その君子が命じたことを、少しの努力で出来ないからと、理屈をつけて、言い訳をするようならば、それを必ず君子は感じ取ることができ、あなたを叱ることなく、あなたを外すであろう。

努力とは、しすぎて損をすることは絶対にない、しずぎて結果が出なくても、苦しくても行い続けたことは、必ず役に立つ。忘れてはいけない。

 

 

チェスと神

人間というものは、無口な者と、とめどなく話す者がいいる。そして、あなた方の様に、いつも冷静で人との会話を普通に話す者もいる。

空き樽を叩くと、空の音がする、空の樽は中身がない、中身のない者ほど、とめどなく話す、というように、いつも冷静に何事にも動じることなく、体の中は空ではなく、いつも太い心を持っていてほしいのです。

人間生きていれば会稽の恥のような、他人からひどい辱めを受けることもある。しかし、そんな屈辱など、屈辱と思う方が愚か者である。

屈辱を受けるという事は、逆に相手は喜んでいるという事であり、あなたが受けた屈辱で、相手を喜ばすことができたのだから、また一つ、掟の継続ができたことを、相手に感謝して当たり前のことです。

善と悪の二つが何かは最初のころに話しているので覚えていることでしょう。善とは魂のことであり、悪とは肉体であると教えました。

この、善と悪を烏鷺の争いで考えてみれば、チェス囲碁の黒と白です。白が善で、黒が悪、常に、勝ち続けなければならない白は、真理の探究を忘れず、神の七つの掟を守り抜く、これであれば、黒に負けることは無い。

ただし、相手の黒も戦術を練り、打ってくることを忘れてはならない。

有卦に入ることを間違っていることがある、これは、神の七つの掟を守り継続する者に当てはまる言葉で、他者のためにどれだけ尽くし生きたか、これが重たい宝物のようなもので、たまった善という重たい宝を持ち神に会い渡すことです。

有卦に入ることは、物や金のことではありません。物や金が沢山入り運が良いことが長く続くと考えることは、それは大きな間違いです。

 

 

神

神はいつも、努力するものを見ては微笑んで応援している。光る鍬のように努力するものは、神にも眩しく見える。

轍鮒の鮒を助けるのに、頭で考えて方法を練る者は愚かであり、反射的に行動するものだけが、いつでも危険な状態から、人を救うことができ、己も危険を避けることができる。だから、私は神の七つの掟を習慣にするようにと話すことが多い。

世の中では、悪人ではなくても、自分の罪を他人に被せる者がいる、このことを芥という言葉を使い、寝た牛に芥掛くるという。このような人間になってはならない、仮に不可抗力であるならば、身を持って償うのであり、それが道理である。

煩い事は、いつもやってくる。そう思っていれば、気を抜くこともなく俗世を生き抜けられる、しかし、いつも気を張っていれば疲れるという者がいる。

それは七つの掟を習慣化していない者の戯言でしかない。習慣とすれば気を張っていることも忘れる。

さもしい心になってはならない。いかなる困難な時、貧しくて食べるのも儘ならない状況に追いやられても、心だけは聖人でいなさい。決して見苦しい真似をしてはならない。

誇り高くいなさい。鳳凰群鶏というでしょう、俗世の人間が乱世に酔いしれていようとも、その俗世にあって、その者たちの甘い話に乗ったり、着いて行くような愚か者にならないように、真理を忘れてはならない。

賢者として、己が一度決めたことを厳守して生きなければなりません。生きる時間は儚く短い。

いかなる時にも、業腹してはならない。穏やかに相手の話を頷きながら聞いて、丁寧な抑揚をつけない話し方で、説明をすることです。それでも相手が許さないならば、相手の思い通りにさせてあげるのです。

これも先に話したように、何もしないことで、相手の喜ぶことを、相手が気持ちよくなれることをさせて頂けたのだから、掟を、たったこれだけのことで、継続できたのです。

空夢を他人に話す愚か者とはならず。己の行いで他人に、自分もやればできるかもしれないという夢を与えなさい。これからは。

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

神の言葉:これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)