輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
善と悪は病
人は必ず、大小の差はあれ病にかかります。その病とは、心を指すものであり、特段あなたの体を蝕まず、心を蝕む。
あなたは自分に健康を与える時がありますか。ほとんどの者は、健康=心の健康を自分に与える行動はとらない。しかし、ここに来ている者には、心を健康に保つ者も多い。
あなたには、母親の顔を今この時に浮かべられますか。あなたが選んだ母親です。母が選んだあなたではありません。母を知らないという者は、それを選んで輪廻転生をしてきたのだから、夢のように思い描きなさい、それでよいのです。
病にふしまろび泣き苦しむ。その者に少しでも励ますことは悪いことではない。
悪人が死ぬ日を知ると、賢明となり、善人が死ぬ日を知らぬと愚味となるという言葉を、賢明愚味という。
病気を治すには、辛苦遭逢の言葉のように辛く苦しいことに出会い、そこにある病を捨てる覚悟と勇気を持つことです。
あなたは今、全てが無くなり死を選ぶとして幸せだと思うでしょうか。答えはいつか聞きましょう。
しかし、悪人が死ぬ間際になって、己を省みて七つの掟を守っても、もう遅い。だとすれば、この今のうちに、己の死の時を知らぬ間に、良い行いをすることです。
大木の神は、許し、待っているのです。
かといって八紘一宇のように世界を一つにするという、天国の大木の神の膝元に行くまでは出来ないことを考える者にならず、神の七つの掟を守り、実行しなさい。
善人だからといえども、愚かな暮らし、楽な暮らし、贅沢な暮らしなどしてはなりません。神の化身との出会いは、いろんな意味をあなたに投げかけることです。
そして、あなたは次に裁判官の前で裁判官から「天国に行かれた方が良いのではないですか」と言われるのです。
以前にも記しましたが、大木の神が私に、天国へ来るチャンスのある者だけを託しましょう、と言われた。
そして私たちは、大木の神の言うように出会えたのです。
さて、これからどうしましょうか。病は治っていない人も多くいます。いや、多くの人が病に伏しています。
私の助けがあれば、死ぬ日を計算せずに神の七つの掟を行い継続して、あなたを待っている大木の神のところへ行きます。
今、私にYESと答えたものは、その証を私に見せて下さい。
私は誰に対しても、あなたの世界で言う清浄無垢という清らかで何かによって差をつけることはありません。
但し、恩に報いる者には、大木の神が私に教えた通り確実に違う世界を与え、違う世界から私と大木の神は見ます。
魚目燕石というように、悪人、善人、どちらにもこの世の人には見えていても、私には、そのような都合の良い、騙すものは、いつになれば幸福になるのだろうと見えています。
悪人が行う良い行いも、魚目燕石であれば積み重ねることは出来ません。もし、悪人が良いことを積み重ねることができれば、もうあなたは善人と呼ばれるのです。積み重ねなさい。
善人を装い、人が見ていなければ何をしてもよいだろうと思う人は、そのように生きた結果を嘆くことになる。
いずれにしろ、この世界にいて霊柩車に乗れば、あの世の坂道を左へ行くか、あの世の穏やかな斜面を上に行くか、考えていればよいでしょう。
その時に、神の七つの掟がいかに簡単だったのかを、左へ行き坂道を下るときにブレーキオイルがないことに気が付くのです。
賢明愚味という病院のベッドから立ち上がり、右を目指すことを願っています。
私も大木の神も、悪人を善人に、善人を悪人に、することは出来ません。行うことができるのは、あなただけです。
だから、神の化身の私に手を合わせても、大木の神に手を合わせても、自分のことへの祈りと看做して何もすることはありません。
但し、再び話しますが、恩に報いた者だけには、手を差し伸べます。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身