孤独:第九十六章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

孤独

 

孤独な者の椅子

あなたの多くは、孤独です。

孤独は、孤独に自らを追い込みます。

何かに向かって、奮起しても、孤独に追いやられます。

でも、孤独でいる事の楽しみを見つけることもできます。人と雲集と群がることなど必要なことではないからです。

孤独より、人と雲集することの方が心乱れるのです。それは、人々が集まれば、いろんな意見が出てきます。本当に正しいことすらわからなくなります。

雲集でも、人々の意見が違わないのが、信仰宗教です。

孤独こそが、己を磨き、良い人格者となれるのです。

人は、人をもとめ、人を遠ざける。これは以前にも話しました。もし、孤独であれば、誰をも求めず、誰をも遠ざけることはありません。すると多くの他者が生まれます。

多くの他者が生まれれば、神の七つの掟を行う相手が増えるということです。それが連綿と続けば、孤独こそが己を省みることができるのです。

そして、あなたが孤独の中で神の七つの掟を成し遂げ継続しているならば、後は祈りなさい。不思議な世界と思い通りのことが叶う世界があなたに起こるのです。

 

孤独の道を歩く人

孤独をもって、周りを衰退させてはならない、そうすれば七つの掟を行うことができなくなる。

多くの者は雲集を好み、そうでなければ寂しくてしょうがない。私淑のようにあなたは孤独であっても、周りからは崇められている、そんな人間に誰よりも早くなれるのが孤独である人です。

緬思という言葉あります。これは、単純になせばよいのではなく、遥かに思いやることです。私は、いつも神の七つの掟の大切さを説いていますが、物事を語るだけでよいとは思ってはいません。

緬想のように、どこまでも離れることはありません。

 

神を疑う

あなたが私から離れようとも。私は、いつまでもあなたを心配に思い見ています。私は誰かを引き寄せるのではなく、私に託された者が、私の話を聞き、七つの掟を守ってほしいだけです。

それでも、守れないからと去って行っても私はいつまでも心配しているだけです。

私から離れても構わないのです。私から離れれば、悪い呪いをかけられるのではないかと、考えることは全くありません。

私は、神の化身です。神が呪いをかけるはずがありません。そんなおとぎ話を信じることは愚かなことです。

人は自由です。だから、孤独な人も自由なのです。

 

神を疑う者たちへ

この話を聞き、私を懐疑し、真理に疑いを持つことは当たり前のことで、それでは私を徹底的に探究することも大切です。

あなたの疑う気持ちは当りまえのことであり、私が人間なのか、神の化身なのか、何を持っても、必ず、その証明は出来ます。

あなたが、私のいる天国に来ることがなく、あの世で裁判官の前に座るとき、私は必ずそこにいて、これで証明ができてよかった。と私は語りかけます。

私は、疑われることに何も感じたことがありません。ただ、ほくそ笑んでいるだけです。

私を疑うのは自由です。しかし、神の七つの掟だけは、守らなくてはなりません。私のこと等、考える必要などありません。私は神の七つの掟を実行してほしいだけです。

その為には、神が私を宥められことを犯しても、私はあなたの全てを、もちろん疑う人も全てを、あなたを待っている神の元へ連れて行きます。

私は必ず、あなたを弼匡し、神への道を歩かせます。

そこに向かう一番の近道を持つ者こそが、孤独の人です。

孤独は連綿とは続かない、神の世界に行けばすべてが周りに集まり楽しむからなのです。

そして孤独人よ、いつも神の化身の私がそばにいることを忘れてはならない。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身