第百八十七章:孤独

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孤独

 

孤独な者の椅子

あなた方の多くは、孤独です。

孤独は、孤独に自らを追い込みます。

何かに向かって、奮起しても、孤独に追いやられます。

でも、孤独でいる事の楽しみを見つけることもできます。人と雲集(群がる)することなど必要なことではないからです。

孤独より、人と雲集することの方が心乱れるのです。それは、人々が集まれば、いろんな意見が出てきます。本当に正しいことすらわからなくなります。

雲集でも、人々の意見が違わないのが、戦争と信仰宗教です。

孤独こそが、己を磨き、良い人格者となれるのです。

人は、人をもとめ、人を遠ざける。これは以前にも話しました。もし、孤独であれば、誰をも求めず、誰をも遠ざけることはありません。すると多くの他人が生まれます。

多くの他人が生まれれば、神の七つの掟を行う相手が増えるということです。それが連綿と続けば、孤独こそが己を省みることができるのです。

そして、あなたが孤独の中で神の七つの掟を成し遂げ継続しているならば、後は祈りなさい。不思議な世界と思い通りのことが叶う世界があなたに起こるのです。

孤独の道を歩く人

孤独をもって、周りを衰退させてはならない、そうすれば七つの掟を行うことができなくなる。

多くのものは雲集を好み、そうでなければ寂しくてしょうがない。私淑のようにあなたは孤独であっても、周りからは崇められている、そんな人間に誰よりも早くなれるのが孤独である人です。

緬思という言葉あります。これは、単純になせばよいのではなく、遥かに思いやることです。私は、いつも神の七つの掟の大切さを説いていますが、物事を語るだけでよいとは思ってはいません。

緬想のように、どこまでも離れることはありません。

 

神を疑う

あなたが私から離れようとも。私いつまでもあなたを心配に思い見ています。私は誰かを引き寄せるのではなく、私に託された人が、私の話を聞き、七つの掟を守ってほしいだけです。

それでも、守れないからと去って行っても私はいつまでも心配しているだけです。

私から離れても構わないのです。私から離れれば、悪い呪いをかけられるのではないかと、考えることは全くありません。

私は、神の化身です。神が呪いをかけるはずがありません。そんなおとぎ話を信じることは愚かなことです。

人は自由です。だから、孤独な人も自由なのです。

神を疑う者たちへ

この話を聞き、私を懐疑し、真理に疑いを持つことは当たり前のことで、それでは私を徹底的に探究することも大切です。

あなた方の疑う気持ちは当りまえのことであり、私が人間なのか、神の化身なのか、何を持っても、必ず、その証明は出来ます。

あなた方が、私のいる天国に来ることがなく、あの世で裁判官の前に座るとき、私は必ずそこにいて、これで証明ができてよかった。と私は語りかけます。

私は、疑われることに何も感じたことがありません。ただ、ほくそ笑んでいるだけです。

ただ、この私の言葉をあなた方にわかる言葉にして代筆している者のことだけは疑わないでほしい。あなた方と同じ人間なのだから。

私を疑うのは自由です。しかし、神の七つの掟だけは、守らなくてはなりません。私のこと等、考える必要などありません。私は神の七つの掟を実行してほしいだけです。

その為には、神が私を宥められことを犯しても、私はあなた方の全てを、もちろん疑う人も全てを、あなた方を待っている神の元へ連れて行きます。

私は必ず、あなた方を弼匡(成就させる)し、神への道を歩かせます。

そこに向かう一番の近道を持つ者こそが、孤独の人です。

孤独は連綿とは続かない、神の世界に行けばすべてが周りに集まり楽しむからなのです。

そして孤独人よ、いつも神の化身の私がそばにいることを忘れてはならない。

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身より

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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