幸福と不幸の関係:第二百八十二章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

幸福と不幸の関係

 

幸福と不幸

この世の、幸福は、多くの不幸の上に成り立っている。この世で幸福を望むのならば、多くの不幸を受け入れなければならない。

幸福を望む者は、不幸がやってきても逃げないで受け入れなければ、幸福は手に入らない。何かを実現したければ、それに見合うだけの不幸を手に入れなければならない。

しかし、幸福と不幸は懸隔しているため、十が一つとすれば、一が幸福で、九が不幸となる。

この世の幸福は一瞬で終わることでもあり、九つの不幸を受け入れなければならないとしたら、決して割に合うものではない。

これは、幸福というものを、手に入れたい物に変えてみても、変化が起きるものでも無い。望むこと自体が、頭の中で走り始めたときから、起こることとなる。

何度も話していますが、何のために輪廻転生をしてきたのですか。ということになります。

ちなみに、幸福が先に来ることも多々あり、その後、不幸が連綿と訪れるということも、珍しいことではありません。

望まないことです。何も望まないことです。望むのは、神の七つの掟が行えるチャンスを望むだけでよいのです。

 

優越感と不幸

人間は他人よりも優位に立ちたいと思う。優越感に浸りたい、このような思いは、劣等感からやってくるものであり、これも、幸福不幸の関係と同じと言うことです。

優位であることを現実的に味わいたいと、誰かを前に立たせてみることで、優位性を計ろうとすると、そこには歪みが生まれる。

神の七つの掟を常に考え行動している者たちの共通点は、時間という概念がなくなり、己の能力を限界まで使うので、他の俗世の甘い蜜に関心が行かず、その為、幸福と高揚感を、チャンスをいかし、成し遂げるたびに味わっている。

誰かと比較したり、幸福と不幸すらも、その瞬間は忘れている。ようするに、没我の境地に至っていると言えるかもしれない。

あなたもご存じのように、人間には罪の償いを容易くさせまいとする、欲求、があり、その頂点に立つと言われている欲求、承認要求があります。承認要求は、他人に己の存在と考えを認められたいというものですが、これほど不必要なものはありません。

さらに上があり、所有要求といわれるものは、常に頭の中で蠢いていて、他人の持つものを欲しがったり、何に使うかも明確ではないのに、お金を所有すると、それを放そうとはしない。この境地に来てしまっている者は、死ぬまで鳥かごから鳥を放さない者と同じで、お金を握りしめて、棺の中で、お金を数える者となる。

 

神と幸福

同じ人間同士、同じ罪人同士で、優劣、幸不幸、を争い、しまいには存在や考えを認められたい。愚か者同士で、楽しむのもよいかもしれない。

あなたが認められなければならないのは、人間にではなく、神に認められる者とならなければ、神になることは出来ない。

あなたの善なる行為は、傍目には時として奇異に映るかもしれない、しかし、あなたの行いは、神を喜ばしているのだから、嘲笑する者がいても、その者が、今は、神を知らないだけで、必ず神を知った時に、あなたの行為を思い出して、あなたに手を合わせ、己で己に、瞋恚することとなる。

善行を間然する所が無いほど究めれば、必ず、私は現れ手を持って、天国への入り口に連れて行くことが出来る。つまらないプライドも捨てて、神の七つの掟に没頭すれば、必ず、私が助ける。

あなたの中には、物を無くすことへの不安と、本当にお椀の底を開けて、全てを投げ出して、それで生きて行けるのかという不安で、今もなお、間然する行為をせずに疑心暗鬼に浸っている。このような考えでいる者は、死ぬまでそこから抜け出せないだろう。

愚か者たちは、欺きあい、そして出し抜いた方は勝利に雄たけびを上げている。敗者となった者は、標的を見つけて、勝利を企み生きている。このように生きる者たちは、死ぬまで同じことを繰り返している。

人間という者は、自分らしく生きることを望んではいても、自分らしくは生きられないでいる。それは、愚かにも、同じ愚かな人間からの、目と評価に縛られているからです。

このような者も、生涯、他人の目を気にして、自分の思いと行為を行えないで、棺の中へと入っていくことになる。

他人の目ではなく、行為を神の目で見て頂くことを考えながら、生きることへと舵を切らなければ、本当に、今のあなたから抜け出すことは出来なくなる。

神の七つの掟に没頭し、全身全霊で行えば、全てはあなたらしく生きられるが、それを強制して、行わせても、何の役にも立たないので、私は強制することはしない。

 

神の掟と幸福と不幸

あなたは自縄自縛に陥っている。だから、口先だけで、あなたの目の前にあるチャンスも、バスや電車の中ですら、見て見ぬふり、自らチャンスを探そうとはしない。

ここに来てからも、道理に背き、倫理に悖る行為をも犯しているというのに、今なお私を必要とするのか、必要ではなく、上手く取り込むことが出来れば、神の姿が見えると思って、通ってきているのだろう。無駄なことは止めて、愚か者のままで、棺に入る方が、楽でしょう。

非合理とは、人間の奥深くに存在しているが、人間として自分が他人から、馬鹿にされたり蔑まれたりすると、怒りを覚えたりする者がいる。

先に述べたように、同じ人間同士、同じ罪人同士、同じ愚か者だった過去世を持つ者同士で、どちらが智慧があるのか、どちらの持ち物が多いかなどで、怒りなどを持つ者の方がおかしい。

ここに来ている者、神の七つの掟を全身全霊で行っている者にとって、怒りを感じている暇などあるはずもないので、自然に怒りを忘れられ、蔑む、馬鹿にする、相手のことを、可愛そうに、このままでは、あの人は地獄へ行くことになる。助けてあげたい、方法は無いだろうか。と考えることが出来るのが、没頭している者である。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身