神・信仰だけで罪は許される:第二百八十四章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

 

神への信仰だけで罪は許される

 

神への信仰

今日は、ある宗教家が語る、その宗教の教えについて話してみましょう。私がこれから話すことは、この世で言われている、大宗教の一つのある程度の位置につく方の語られているお話を聞いたので、その内容を書いてみたいと思います。

これは、あくまでも、その方が〇〇を見ながら、お話しされたことであり、この宗教の他の方が、同じものを見て同じ話をされるのかは、わからないという事にしておきます。

何度も申し上げてきましたが、宗教はこの世にしか存在しません。私のいる神の世界には、宗教などはありません。だから、宗教はある意味無意味ではありますが、この世で迷ったときには、ぜひ、宗教の扉をたたき、教えを乞うことは非常にあなたにとって大切なことだと思います。

さて、その人の話は、その宗教の書物を読みながら話されたことです。

そこには、時代を隔て二つの書物が存在します。二つ目については、一つ目の続きであったことから、書くのにそれほどの年月は要しなかったことは慮ることもないでしょう。

一つ目の方ですが、これがいつ書かれたのか、これにはこの世でたくさんの意見があるので、今回のお話ではあまり大した問題でもないため、ここには書きません。

では書き始めから、書き終わる。という言い方も難しいのですが、最終的に、この宗教が、そこで落ちついたときまでに要した時間は、一千年以上です。でも、これは、あくまでも最終的な着地地点で、それまでにも何度も着地していますので、十年であったり、その時その時までにできている内容で、信仰していく人々が連なっていきました。

信者は、支配者という信仰者に、いつも万物は道を尊び神への捧げものの魂の大切さを説く、これが、最初の一冊目が完成するまでの何万語の集約かもしれません。

 

 

信仰を神に持つ

 

さて、ここからは、今回の宗教家(ある人)の語られている話を聞いてみましょう。

人は、行い(罪が許されるための努力)によって助かることが無いと神は言っています。人は自分の努力などで、罪が許され、神のもとへ行けるのではなく、神〇〇〇・〇〇〇〇への信仰こそが、神のもとへ行けるのであるから、神への信仰を強く持てば、すべての罪が許されるのです。

(神の化身〇〇〇・〇〇〇〇この者のことを、神と神の化身でわからない人も多いでしょうが、その時は神の化身が実際の呼び方と言えます。もちろん、神と呼んでも何ら問題はなく、神の世界では神なのですから)

次に、〇〇〇・〇〇〇〇を信じた人、信仰をした人には、神からの大切なものが渡されます。それは、すべての罪が消えるということです。

そして、信仰を持つことで過去もこれから起こしてしまう罪もすべて許されるのです。自分で何もする必要などないのです。信仰だけあれば。

人は死ぬと、魂が神のもとに行き、神がそこで裁かれます。しかし、〇である〇〇〇・〇〇〇〇の信仰者は、裁きは受けず、罪のすべてが許されるのです。

〇〇〇・〇〇〇〇への信仰を強く持てば、その者には悪霊が取り付くことはない。

〇〇〇・〇〇〇〇が人となり、人類の罪を全て被り、人となって殺されることで、すべての人の罪を無くすことができたのです。

罪を犯せば、自分で何を行っても許されることはなく、〇〇〇・〇〇〇〇が〇〇〇で自分の死をもって行われる以外にはない。だから、あなたが信仰すれば、今のあなたの罪も、これから起こすあなたの罪も、信仰により許される。

 

さて、以上これくらいにしておきましょう。

 

神は信じても信仰とは別

私は、この宗教は、あなたにも心の定める道に揺られることなく、この世で罪を行わないためにも、門をたたかれてもよいと思っています。

但し、今までの話を聞かれてわかるように、この宗教者は、この宗教の中で、ある程度の位置にいる方であり、その方が、〇〇を読みながら、〇〇〇の第何章云々に、このように書かれている、信仰者になる前に罪を犯してきても、これから罪を犯そうとも、すべてこの信仰を持っていれば、神は許されるのです。と言われていることは、少し、残念に思います。

なる前の罪が許されるのは、まだ、わからないことはないでしょう。しかし、その後も、罪を犯しても許される。それは、〇〇〇・〇〇〇〇を信仰しているからです。

これは、誤解されているようです。

でも、この方の勘違いは別として、他には沢山、この世で役立つ教えがこの宗教にはあります。一度、門をたたかれてみてもよいかと思います。

ただし、信仰すれば、これから罪を犯そうとも〇〇〇・〇〇〇〇が代わりに犠牲となり、許されるのです。このようなことは、間違ってもありません。

残念ですが、この宗教は千年二千年たっても、信者集めのために、今もってこのような〇〇の解釈の上に成り立っているのかと思いますと、とても残念です。

 

 

神の教えは聞きなさい、それは信仰とは違う

最後に、序文ではありませんが、いずれ話す話を少しだけしておきましょう。

万物は道を尊び、道は人を尊ぶ、そして、すべての人々が過ちに気が付き、己の道が神に続くことを知り、神に尊ぶ。

私は、信仰のために、宗教に入ることなど進めてはいない、あなたの悩みを少しでも聞き入れ、まっすぐな道を優しく指さしてくれることから、宗教に入ることを進めているのです。

この世でどれだけ手を合わせようとも、何の役にも立たない、時間の無駄です。あなたの罪を許すには、神の七つの掟を行うだけです。

手を合わせ、許しを請う、愚か者にはならないことです。ただし、手を合わせながら、神の七つの掟を行うことは良いことです。

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の言葉:これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)