科学と宗教:第二百六十八章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

 

科学と宗教

 

科学と宗教

科学者たちは、神を丸裸にしようと研究を重ねる。しかし、それは絶対にできない。ごく僅かですらも神を見ることは出来ない。

宗教家は、間違っても神を丸裸にはしないが、神を見ようとする、しかし、ごく僅かであっても神を見ることは出来ない。

しかし、大木の神は、科学者も宗教家も好きでいられる。それは、神はその者たちの行いが楽しいからである。

好きであることと特別扱いすることとは違い、神は全ての我が子を平等にしか見ない。神に手を合わせ祈る者にも、無神論者にも同じ愛を持ってみている。

ある理論物理学者が、それまで宗教により語り継がれてきたこと、なぜこの世(地球)があり人間がいるのか、この世はいつ生まれて人間や動物や植物は、どのようにしてこの世に現れたのか、この問題に対して、科学の力により、宗教の言う言葉ではなく、数値をもって、答えを出した。

だから、彼は、神はいない。と言い切った。それに対して、沢山の宗教団体が、大いに反発をしたことは、あなたもご存じのことかもしれない。

彼の死後、彼は地獄で神にひれ伏した。彼は地獄で藻掻いている等々と言う、宗教家も多くいたが、これでは、どちらが神を冒涜しているのかわからない、というよりも、彼へのこのような暴言を吐く者こそ、神を知らない愚か者と言うのです。

また、E=mc2、によつて神の創造よりも、科学的に計算されているという話も有名でしょう。

 

科学者と宗教家

科学と宗教の話は数え上げればきりがありません。それほど、人間は神を丸裸にしたい、無神論者にとってみれば、神はいないと結論付けたいだろうし、神を信じる者にとっては、今の科学では、神がいないことの証明にはなってはいないと言いたいところなのでしょう。

しかし、全ての科学者と宗教とが相容れないわけでもなく、熱心な宗教家の科学者も多くいる。それは、ここに来ている科学者の者たちのためにも言っておきます。

科学で証明できたから、神がいないとは言い切れず、宗教でいう不思議な現象の答えを、科学で証明できないから、神がいるということにもならないことは忘れないでください。

科学を現すとすれば、情緒を持たない宗教と言うのが適切でしょう。宗教というものは、一般的には、情緒的な集まりであるのに対して、非情緒の集まりが科学であることから、集まりという点と、信じるものを探求する点では、これは宗教としか言いようがない。

真理の探求、宇宙の探求、どちらもそこにあるものは、多分こうなのではないかという思いから、知りたくて、学びたくて、導き出したくて、夢寐にも忘れることが出来ないほど、精進している。

神の世界は、俚耳に入り易くなく探求は空に終わる。しかし、全てが空で終わるので、行う事に、良し悪しは無い。

このことから、宗教も科学も、天国では何の役にも立たないということです。

 

ウイルス

科学が進歩し続けることと、苦の世界との関係性はある。これは、俗世の悪が進化し、ウイルスのように、常に変異し続け増えていくためです。

昨日までは、俗悪とされていたものが、次の日には、もっと上の俗悪が現れ、それを繰り返すうちに、最初の俗悪程度なら許してもよいという許容範囲を広げて、この世では、多少の悪を許すようになっていく。

科学も宗教も、神の世界では、学ばれる人たちと見ています。見識が狭い人たちは全豹一班と言って、一部を見てわかったようなふりをすることがあるが、科学者も宗教家も探求することを忘れない。

でも、本来の学びの熟達者は、神の七つの掟を行う者のことを言うのです。神の七つの掟は、神になるために、罪の償いを行いに来た、今生の全ての者が行うべきことですが、大木の神が、神の私に託された人は、全人口の僅かな人数で、それはここに来たあなたで、今驚くよりも、天国に来て、天国を見て、神となり驚いていただきたいと思っています。

神となって、俗世を見たならば、粟散辺地粟を散らしたような、あんな小さな俗世に生きるために、何度輪廻転生を繰り返していたのだろうと、肉体を制御できなかったことを思い感慨深くなるでしょう。

これらのことは科学を信じても、宗教を信じても、学ぶことがあるのも事実なので、神の七つの掟の傍らに、科学や宗教を探求するのもよいかもしれません。

 

宗教も科学も大切

科学は、ゼロと一、宗教は、善と悪、どちらも、あなたのいる俗世では役に立つことでしょう。

科学と宗教とは、及ばぬ鯉の滝登りというように、恋人のようにはなれない次元のものかもしれないが、宗教が無ければ、科学者は生まれなかったことは事実です。何故か、と答える必要は、ここまで話したのですから不要でしょう。

でもね、どちらが先かは、問題視することは全く無く、あなたにとって、最後の今生にいるのだから、宗教も学び、科学も学べばよいと思います。

宗教を学んだ者が、例えばキリスト教の中で祭事を司る人となり行為が大切であることを説いたり、仏教徒やイスラム教徒となって、学んだことを行為で示す人となれば、大木の神は拍手されるでしょう。

科学者となって、動物実験を不要とするものを発明したら、大木の神も、動物たちも、あなたに拍手をすることでしょう。

科学も宗教も私の中では、宗教と言う一纏めになっていますが、悪貨は良貨を駆逐するというように、悪のためには負けてしまわず、悪に使われず、良いために使われてほしいと思います。

今回の、科学と宗教の話の最後に一つ言っておきましょう。

科学は、進歩するもの、いや、進歩しないのなら科学ではない。科学とは、そういうものであるということを、忘れないで、いろいろな科学と呼ばれるものを見てみなさい。

宗教は、進歩しないもの、いや、進歩してしまえば宗教ではない。宗教では、神の教えという聖典の様なものがありますが、これが、時代とともに進化という名において、書き換えられて行くとすれば、それはもう、神の書かれたものではないでしょう。

この二千年の間だけでも、科学は大きく進歩してしまった、科学に負けまいと宗教も進歩してしまった。これが、天国へ来るべき、大木の神の我が子である、あなたが、俗世で踏み留まっていることにも繋がっている。

 

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身