智慧を使う:第三百六章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

智慧を使う

 

智慧

生きていく上で、人は学び智慧が生まれる。その智慧の使い方一つで、人は天国にも行け、地獄にも行ける。

私のいう、智慧とは、良心の智慧であり、智慧者のことではなく、智慧者になることは時を無碍に使うことになる。

智慧を持てば、天国に近づける。なのに、天国に行くために学び持った智慧を使わず、目の前のことに心が奪われて、俗世の甘い蜜を買うお金の作り方に、智慧を使うの智慧者であり、残念なものとなる。

ある町で、両足が無い老人が、十人ほどの者に話をしていた。

私は、もう先は無いが、ここまでの人世は決して褒められたものでは無く、天国に行くことも無い。私が、あなたくらいの時に得た智慧を使い、この年まで他者の為に智慧を生かしてきたならば、私は天国に行けたでしょう。

老人は、己の愚かさを説くことで、続く者たちが、己が歩いた道を歩かぬようにと、話した。

このように、今、神の七つの掟を行わぬ者は、必ず後悔をする日が来る。そこで後悔をしても、もう間に合わない。

そして、後悔する者は言う、もっと厳しく言って下されば、自分はなんて馬鹿だったんだろう、このように後悔の言葉を並べても、時計の針は止まり、地獄に行くのです。

 

神の七つの掟と智慧

特段、爪牙にかかり悪人たちに無理やり引きずり込まれたわけでもないのに、あなたは俗世の甘い蜜に浸って生きてしまった。と言う最後でしょう。

術中に陥るわけもなく、己から甘い蜜を舐めに向かい、最後まで舐め続けたのですから、自分でも自分に嫌気がさしていることでしょう。

あなたには一刻の猶予もないことくらいは、焦眉の急と分かっていて、しかし、あなたは立ち上がろうとはしない。

わかっていても、その日が訪れるまで座り続けて、実際に裁判官の前に行ったなら、謝罪して許しを請えば許されるだろうとまで、愚かな考えを持っているのでしょうか。

せっかく学んできた智慧は、俗世で蜜を買うために使い切ってしまったのでしょうか。

あなたが他者のために生きることが出来ない今の体と心の状態から抜け出す道を見つけなければ、死中に活を求めなければ、何のために輪廻転生をしてきたのでしょうか。

己を犠牲にして、他人を助けることがそんなに嫌なのなら仕方がないが、そんな者はここには来ない。ここに来たということは、出来ない自分、忘れていた目的を思い出すために、ここに来たのでしょう。

 

神の七つの掟と潮

潮が引くと小さな生物が残る、それが今の、あなたなのです。潮が満ちるとその小さな生物たちも大海の一部となってしまいます。

今は、あなたも少なからず、ここに存在していて、神の七つの掟を行うチャンスを手に入れることもできるが、潮が満ちたときには、もう、俗世の奥深くに飲み込まれ、二度と、やり直すチャンスを手に入れることは出来ない。

ここに来たのが、俗世に飲み込まれる前の最後だということを忘れてはならない。もう、これで終わりなのです。

然ればとて、善行を行うのはあなたで在り、あなたが犠牲をはらわないのならば、神の七つの掟、他者に親切にしないのならば、私には何もできないことは、いつも話しています。

神の七つの掟を、犠牲をはらって行って御覧なさい。あなたにいつも付きまとっていた、不安や恐怖が、いないことに気づきます。そして、心が穏やかな自分になっていることでしょう。一度やってみることです。

人は後顧の憂いと心を病んだり心配事が後にも残るものですが、これも不安や恐怖が無くなるのと同じくして無くなるのです。他者の為にと行った善行は、実は自分のために行っていることに、こんなところでも気が付くことになります。

私の話を敬して遠ざけようと、私は見ている。地獄へ行くときに、地獄へ行ってからも、私に泣き叫んでも、助けることは出来ない。それが出来るのは今しかない。だから、話し続けている。

 

智慧をいかす

悟りの智慧に依る、悟りに至る智慧、あなたはみなこれを持っているから、ここに来られたのです。

智慧を何に使うのか、俗世で溺れそうな者は、いち早く考えてそれを利用し、神の七つの掟を行いなさい。

謦咳に接すると私には言いながら、行為を行わない愚か者となってはならない。神にどれだけ手を合わせても、何の役にも立たない。

あなたが、この苦の世界に二度と戻らないために役立つ行為は、善行と言う神の七つの掟を行為として行う以外にはありません。

 

少女にありがとう

私の話に重い腰を上げた者がいる。彼女は、神の七つの掟を、犠牲を払ってまで行った事が無かったのだが、アジアの支店に赴任してすぐのこと、女の子が手を挙げて、マネー、マネーと泣いている姿を見て、痛く心に感じるものがあり、銀行で降ろしてきた給与の全額を少女に手渡した。

彼女は、神様ありがとうございます。すごいチャンスを頂くことが出来、それを成し遂げたと思います。そう呟きながら、もう一度少女の所に戻ろうとする路地で、少女が数人でお金を分け合いながら笑っていた。

彼女にはすぐにわかった、決して困窮と言うほど貧しいわけではなく、道に座って可哀想なふりをして、お金を稼いでいたんだと。

でも、彼女は、とても良いことをさせてくれたと、少女に手を合わせ、小さな声で「ありがとう」と言った。

これで、良いのです。彼女は騙されたわけでも何でもなく、犠牲をはらって神の七つの掟を行うことが出来たのです。少女にお礼を言うのは当たり前のことなのです。

以前に記しましたが、寄付先が本当にそのお金を恵まれない子に渡してくれるのか、途中でお金を抜いて、自分たちの肥やしに使っているのではないかなどと、考える愚か者になってはならない。

寄付をさせて頂けたことに感謝をするのであり、そのお金が何処でどう使われるのかは、寄付をする者が考えることでは無く、そのようなことを考える者は、せっかくの行為も、己の愚かさで無にしてしまうのです。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身