敗者が勝者:第四百十五章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

敗者が勝者

 

敗者が勝者

あなた方の中には、眠りにつく前になると、いくつかの章を思い出し、なぜ今日何も出来なかったのだろうと、天井を見上げながら考える者もいるが、考えている間は遣り果せることはない。敬虔な姿勢で、今日をどう生きたかを思うことです。

為せなかったことに思い耽る者は、ここに来たことは良かったと思うけれど、逆にそれが、今まで手にいれた物や、人格や、地位までも、荘重されるような言葉で、押さえ込まれるように思ってしまうことがある。

物事の精髄を知らぬ者は、いつも己の身を案ずるがために、言い訳をしては、その場を凌ぐ名手となって、守らぬ部分と守る部分とを、己の中で己の勝手な真義を作り、それで許されるだろうと願っては、己と己の中にいる神とさえ争っている。

そして、来る日も来る日も、天井を見ながら、己の半分は責め、後の半分は失うものが無くて良かったと就褥する。

しかし、その者達の胸の中にいる、その者達という神が、悲しんでいること、言い訳でごまかすことの愚かさを嘆いていることを、その者達自身もよく知っている。でも、出来ない。

 

信じる

出来るようにして欲しいと私に頼む者も多くいる、どのようにすればできるようになるのかは、私ではなく、あなたの胸の中にいる、あなたという神の言うことを聞くことです。

私に対しては、私が会いに来てくれたなら、信じて必ず行いますと言う者もいる、私は疑う者に、私を信じさせようとはしない。然るに、私を疑わない者にも、私を信じる必要が無いことを説く。

あなた方の頭の中に浮かんでいる神の姿とは、私がビールを飲みに行く姿とはかけ離れていることだろう。あなた方に、神の行いが分かることは今は無い、但し、すぐそこまで、神の七つの掟に和衷するあなた方には、神を知る日が来ている。

だから、神の七つの掟だけは行い、右の道へと進み、神となり、己で己が神であり、神とは何かが分かり、そこで初めて神の深甚を知るのです。

何度も認めて来たことだけれど、私を信じる必要は無く、神の七つの掟のみを行為として行い、それを後押ししていただける宗教家を探し求めたり、聖人を探しなさいと私は言っている。

宗教家の姿や、宗教家の語る神の姿が、あなた方の頭の中に浮かぶ神の姿となっていても論を俟たないけれど、真実の姿とは全く違うことだけは、話しておきましょう。所詮、私が話さなくとも、右へ歩きさえすれば、あなた方がその姿に変わるのだから。

 

スポーツと争い

あなたが神となれば、争いごとがなぜこの世では起きていたのか、己と己で争う者もそれを知ることになるでしょう。

以前いただいた手紙で、返事を返しておいたのですが、その者の質問の中に、天国でも主権争いのような争いごとはあるのかと言うものでしたが、そのようなものは存在することも無ければ、主権と言う概念すらないことを伝えた。

もう一つの質問でスポーツは争いごとではないのかと言う話もいただきましたので、その部分で答えた話を少しだけ書いてみましょう

その者からは、争ってはならないのならば、スポーツは行ってはならないのではないでしょうか。という内容でしたが、スポーツは確かに争いとみてもかまわないが、スポーツは競い合っているという所懐とみれば、争っているという場所にある無秩序ではなく、具現化された秩序の上に行われていることからも、争いごとでは無いことが明らかになる。

スポーツ選手が行う努力とは己のためのものであり、善行の努力とは違うことだけは、よく知っておくことです。

スポーツを行う者達には関係は無いが、それを見て一喜一憂する者達にとっては、心の中で争ってしまうこともあるので、スポーツを見る時には、己の言動と立ち居振る舞いをよく見つめることです。

 

敗者となる

スポーツは、互いに限られた場所で、決められた規則に則り、練習を重ねて来た者同士が、どちらがよりチャンスに恵まれて練習の成果を出し、勝ったか負けたかと言うものである。

だから、勝者は一人ではなく、もう一人の敗者のお陰で勝者になったのであり、勝者が勝者であったわけではない。それ故に、勝者は敗者に謙り、敗者に対して最大限の礼を尽くさなくてはならない。

生涯にわたり、敗者となって頂けた者に対して、勝者と称えた偉大な人と畏敬の念を持って忘れることが無い。だから、敗者は皆から忘れられようとも、勝者からは忘れられることは無い。それ故に敗者は、たった一人からの勝者と呼べるのです。

すれば、これは争いではなく、どれだけ相手に対して礼を尽くせるかの人としての道理を表すものとなるので、敗者を忘れる勝者は、道理において敗者ではなく、愚者と言わざるを得ない。

これは、スポーツを行う者だけに限ることでは無く、あなた方の生き方の中にもあることなのです。

あなたに席を譲った者は、勝者なのです。勝者はあなたの行いに懇切を覚え、己にも何か他者に良いことが出来無いだろうかと考える者となります。そして、そのような行為が出来たときには、あなたのことを思い出し、あなたのお陰であることを天に向かい礼を言うことでしょう。

席を譲ったあなたは、日々他者の為にと、神の七つの掟が行えないかを探し回っているが故に、席を譲った相手のことは忘れている敗者となれるのです。

しかし、あなたの知らないどこかで、あなたのお陰で勝者となった者から、手を合わせられ、思い出される者となるのです。

これからは、何故できなかったのかや、章の話などどうでもよいことと考え、ただ只管に、神の七つの掟を行いなさい。敗者となり続けなさい、多くの者から敗者と称えられなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身