瞑想:第二百二十七章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

瞑想

 

瞑想

私は、私の話が必要な者からいただく話であれば、沢山来ているので時間はかかるが、必ず答える。その中の一人の者の話をする。

大まかな内容は、知らない人に声をかけるというのは勇気が要ったけれど、人のためになる、助けることになるという思いから、神の化身の言う通りで、親切にさせて頂いているんだなという思いと、喜びが同時にやってきます。という内容です。

そして、手紙には書かれていませんでしたが、私が見ていると、毎日、瞑想していました。

瞑想とは旅に出ることです。旅とはいっても、心の旅であり、結跏趺坐の姿勢で心の旅を始めていた。

心の中で、今日の旅先を明確にしていなければ、選択肢が多すぎて、故に心ではなく頭の妄想が始まり止まらなくなる。

瞑想には至誠の人となることが非常に大切だが、すでに、旅を幾度か行っているようであった。

始めて瞑想したい人は、慣れないうちから結跏趺坐でなくとも半跏趺坐で十分でしょう。そんなところに精神を使っていては、心の旅は、いつまでたってもスタートなどできないで終わるのですから。

心が正しい時に瞑想ができるというけれど、貞という心が正しい状況とは、如何なる時なのであろうか。

 

瞑想は妄想になる

私は、過去章でも書いているように、瞑想はやめたほうが良い、瞑想をしようと努力する時間を、街に出て困っている人を助ける時間に使いなさい。

私は、いつも瞑想については、このように話しているが、今回のお手紙を頂いた方は、神の七つの掟を行いながら、瞑想が出来ている。

しかし、瞑想が出来る者は、極々僅かな者であり、ほぼできることは無いので、やめておくことを、再度申し上げておく。

持っている智慧の、その更に先にある究極の智慧を見ようとする、これらの者が瞑想を行い、静けさの中に何かを感じることが出来たという。それは妄想で嘘で虚言になるので、やめておくことです。

 

瞑想と妄想を間違え偉人

次にある偉人が瞑想により、戦いに勝利する方法を見たと話されていて、無為無地によって名を馳せる、これは、大きな間違いです。

もちろん、解釈をするならば無為とは正当な方法で相手と話し合いを持つことです。但し、無地を、この言葉を記された者は、話し合いですまないのであれば、戦争に勝ってこそ、名を馳せると言われています。

これを、今回はあなたに瞑想によって、正しき道、真理に沿う言葉であるのか、この者が言う言葉は、他にもたくさんあるが、この一言でこの者を語ることが出来てしまい、良い話を残されていたとしても、それらすべてが瞑想から導かれたものではなく、妄想であったことになる

ある意味において、近しい言葉があり、それは瞑想と遁走である。瞑想も妄想に入ることが殆どであり、遁走も妄想から逃げているという事になる。それゆえに、私は、瞑想の無駄な時間を捨てることを勧める。

しかし、今回お手紙を頂いた者のように、神の七つの掟を行いながら、瞑想も結跏趺坐で行い、そこに、胸の中の神を呼び寄せて教えを乞う事まで、進むことが出来るのであれば、瞑想は良しという事になる、

 

瞑想と難しさ

されど瞑想は難しく、蕩然のように、流されるままどこかへ行きつくまでがわからなかったり、欲しいままに考えられたり、さて、どちらが本当の蕩然の瞑想に入りいっているのだろう。

今回の者の瞑想の中に入ってみたところ、瞑想が始まりだすと、まだ、胸の中の神を呼び出すところまでには達してはいないのだろう、こぜん、を見ていられた。

こぜん、には二つの大きな違いがあり、虎髯といえば、恐ろしい虎の髭であり、胡髯といえば、年を取り老人の垂れ下がった髭をさす。

どちらも、こぜん、と読み、どちらも、髭である。この違いは確かに大きいかもしれないが、このことが、もう少し瞑想を続けていき、胸の中の神が現れて、話を聞かれていると、こぜんの持つ重大なことを聞くことになった。

所詮は、瞑想とはこのようなものである限り、深く入り込む必要があるため、普通では、そこの境地には立ちいることが出来ない。

あなたにとって何よりも大切なことは、他者のために生き、他者のためになり、懇篤なあなたの心に、火をともす言葉がなくても、あなたが行った行為ごとに、その時に喜びに満ち溢れる、これでよいのです。

これらのことが、正しいのかどうかを知りたくて瞑想するのはやめなさい。そんなことをする必要もなく、あなたが、他者に、困っていそうな人に「何か手伝わせてください」これで、あなたは何度も言うが、この上ない喜びを感じる。

神は、その行為をするあなたを必ず見ている。絶対に、神は、その時にはあなたを見ている。

 

瞑想と神の七つの掟

但し、瞑想により慨嘆を見つけることが出来ることもある。すると同時に、取り除く方法を教えてくれる。

瞑想により、畏㩴することが無くなるのであれば、ある意味において心弱くすぐに折れる者にとっては、宗教の門を叩くよりも、良い効果を生むかもしれない。

特に、神の七つの掟を行い継続する者は、瞑想の旅に出ることは、そんなに難しいことでもないかもしれない。チャレンジするくらいは、行ってみても良いかなと思う。

但し、神の七つの掟の途中や、始めてもいない者が、どれだけ頑張って瞑想しようとも、瞑想はできない。

瞑想の間に神の七つの掟を継続させておくことが、瞑想のコツと言えるかもしれない。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身