神に願わず:第五百八十章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

神に願わず

 

神に願わずの朝焼けの写真

あなた方の中で、今もって阿呆になれない者は、冷静を会得しなさい、然るに、突然に何かが起きようとも、常に冷静でいるのならば、善行を思い出しては、右の道を歩くことが出来る。

冷静でいるのなら、神の七つの掟を思い出し、ここでの話も少しは思い出すことで、あなた方の信じる神に手を合わせ、己の利得、欲望のための、お願い事などは、神に対して誤ってもすることは無いでしょう。

神に、己の欲望の成就に関して、願い事をしてはならないことは、何度も話してきているので、そのような者もいないことだろう。

大木の神に助けを求めたなら、神は沈黙で助けることはできない。それだけに、神に願い事をするということは、あなたが輪廻転生時に大木の神に己で決め、そして誓ったことを投げ出すことになり、大木の神を悲しませることとなる。

 

善行の朝焼け

あなたの過去の行いが原因で、今のあなたが定まりの結果として、罪の償いを行うために今生にいるのであり、あなたが、今のあなたから抜け出て、あなたを褒めることが出来なければならない

それは唯一、これからの日々の善因であり、然るに、今日から善行を繰り返すのならば、数歩先の未来には、天国の門が、あなたを迎え入れようと扉を開けることとなる。

あなた方が、輪廻転生時に大木の神に誓ったことは、罪の償いを終わらせるために、他者の為に生き、善行をもって、徳と言う貴いものを頂き、天国に行くと言ったのです。

毛布を乞う者、食事を乞う者、心の傷の癒しを乞う者、一角ならぬ大きく深い慈悲をもって、手を差し伸べるのです。

すべての者へ賜う者となることを夢想の中で生み、そして、今、現実に行う者となっているのです。

 

神と善行と朝やけの写真

あなた方の中には、善行を行うことを、畏れていたり、怖がっていたり、それ故に、理解しているのに、行為に移せずにいる者がいる。

それは、今あるもの、見えるもの、そこから右へ進まないのは、心が弱いからであり、心が弱いのは、智慧者のしるしである。

今生に降りて来たのだから、流謫の如く罪を犯し、川上から川下へと流されてはならず、目の前にある俗欲こそが、幻覚であることを知るのです。

ただ俗世に流されていくのなら、万古不易と屈折した心理に覆われ、俗世の者が、今生を破壊し、空劫の如くこの世が生まれ変わることなどは無いことを覚えておきなさい。

神は幽遠のごとく遠い遥かなものと考えている者がいて、破滅し、生まれ変わると言っては、あなた方を惑わす者がいるが、大木の神はこの世の空劫など起こさないからこそ、善行を説くために、使わされているのである。

 

塵にまみれた朝焼けの写真

俗世間の塵埃にまみれるのは、そろそろ終わりにし、寛ぐ時も必要と燕娯して楽しむ時間を使ったのであれば、跳梁跋扈と俗人たちとの遊びに終止符を打つのです。

私は、右の道を歩くことが辛い者たちへ、最後の一度と、思いっきり俗世を楽しんで、そして、二度と俗世にはまることなく、右の道を歩くことも話してきた。

中途半端では、必ず、右の道から左の道へと、漫ろ歩きとなることで、安易を求めて左へと、また左へと、最後には堕ちて行くことになるのであるから、俗世に思いっきりはまってくることを伝えたが、どれだけの時間までが許されるのか、それは、任せてみることとした。

しかし、それをいいことに、半年を過ぎても俗世で甘い蜜を飲んでは、他人を傷つけながら、俗人から抜け出さない者がいる。

俗世に溺れる時間は、己で決めなさい、しかし、明日亡くなる者もいることを忘れず、限界は己で決め、それ以上いたとしても、甘い蜜を呑めば飲むほど、その邪悪な毒牙に身を染めていき、抜け出すことが出来なくなる。

そして、俗世では何かを手に入れても、何かを盗まれることを知ることになり、俗世の宴席が遊戯と続いてしまうことになることを忘れてはならない。

さて、今日から右の道を歩く者たちの中で、未だ判然としない者は、今日から、俗世に溺れに行くがよいでしょう。できるならば早く帰ってきて、右の道を歩くのです。

すれば、右の道がどれだけ楽しいのか、己を幸福にしてくれるのかがわかることとなり、右の道が苦ではないことを知ることとなる。

 

棺の中へ善行を入れる朝焼けの写真

今日も変わらず、いつもの教えを説いているだけであり、これは忘れさせないために、そして成就させるための畢竟するに言うことである。

今日は最後に重要なことを伝えておくが、これは阿呆であるか、冷静であるか、いずれかであるのなら、既に理解できていることである。

あなた方が亡くなった時に、あなた方が大木の神への捧げものとして、棺の中に入れて持って行けるものは、あなた方が他者に捧げた善行というものだけであることを覚えておきなさい。

棺の中に、どれだけの善行を入れて行けるのか、それは、あなた方の時計の針が止まるまで、どれだけ他者の為に、神の七つの掟の中にある善行を行ったかである。

あなた方が、今、手にしているものは、何一つ持って行くことはできない、それは、地獄であろうと、天国であろうと同じである。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身