神の掟を守る方法:第百七十九章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

神の掟を守る方法

 

神の七つの掟を守る方法と夕暮れ

心が監獄に入れられていることを知る者は少ない。享楽にいる者たちと同じ監獄の中に、主君や聖人、神の七つの掟を習慣化している者も一緒にいる。

それは、その中にいても、心乱されず、風習に溺れることもない。そして、溺れる者を一人でも助けるためにいる。

塀の中に入れられていても、いつでも外に出ることができる。しかし、自分から出ていく者は少ない。出たとしてもまた、戻ってきては、狂う仲間たちと付け差し、乱世に勤しむ。

ある者は、外に出て戻ってはいけないと強く思うが、月の出るところで眠り、潮が出潮になることも考えることができないまま、潮に流されて監獄に戻ってくる。

それほど魅力的なのが、俗世である。

 

神とイノシシの子供

一人の者が、そんな俗世の中にいて慟哭していた。その声が聞こえた私は、その者に近づき、理由を聞いてみた。

その者は、私は聖者の方の次の話を聞きました。監獄から逃げてはならない。監獄にいてこそ「償い」ができるのである。

聖者が神の七つの掟を話されて、この中にいて、この七つを達成して、この世を去るまで行い続けた者だけが、天国に行ける。と聞きました。

それが、一月ほど前の話になります。しかし、一月たっても、それができていない自分が情けなくて、泣いておりました。

綯い合わせるものが足らないだけのことであり、そんなに泣くことなどないのですよ。と話すと、それはどういうことなのでしょうか、私に教えてください。

今のあなたの涙が感性であり、あなたには一つだけ足せばできるので、私についてきなさい。

その者は、涙を拭い私についてきた。

山の裾野で、岩陰に二人で隠れた。その者が、ここで何をするのでしょうか。

あそこを見てごらん、イノシシの子供が二頭いるでしょ、あなたは、そこにある石の塊をもって、イノシシの子供の後ろから、そっといって、どちらの子供でもいいので、その石で仕留めてきなさい。

その者は私に言いました。そんな可哀そうなことは私にはとてもできません。

じゃ、私が行って仕留めてこよう。私が歩きだすと、その者は、後ろから私を羽交い絞めにして「やめてください」と私の体から手を離そうとはしなかった。この石でお前の頭を殴りつけてもいいのだぞ、一撃でお前など殺せるのだから、さて、どうする。

その者は、イノシシの子供を殺すより、私を殺せばよいでしょう。

私は、さて解ったかい。お前が逃げていたのは、勇気、というものからだよ。でも、これで足りなかった一つを思い出したろう。

これで、お前には、もともと持っていた感性と勇気が綯い合わさった。今から、できないことは何もなくなった。

それじゃ、お聞きしたいことがあります、もし、私が止めなければ、イノシシの子供を殺したのですか。私は笑いながら、この辺りには元々イノシシなどいないんだよ。

その者は、でもあそこにと振り向いた先には、イノシシはいなかった。

わかるかい、ここにはイノシシなどいないのと同じで、俗世にいる狂う者たちに、心の底から悪いものなどいないんだよ。でも、ただ、俗世の欲望に溺れているだけなのだよ。

お前は、今から天国を目指して神の七つの掟を守りぬくことだ。それじゃ監獄へ戻ろう。

 

神と曇りガラス

愁眉を開くには、勝たなければならない。何に勝つのか、それは己の愚かな体にである。いつも、何をすればよいのか、どのような態度をとればよいのか、わかっていてもできない。その愚かな頭だ。

しかし、それではいつまでも心が不安に包み込まれ、そこから出ることが無い、わかっているというのなら、なぜ、立ち向かっても、すぐに負けを認めて、体の言いなりになる。

原因は、負けそうなときに、自分の弱さに自分で怒りを持ってしまうことだ。怒りというものは曇った窓ガラスのように、外界を見させないようにして、勝たせない。

だから、怒りを捨てることが、弱い心を鍛えて強くする前に必要だ。

人間というものは、弱点、欠点、悪行を持つものであり、それを、叩きのめし、天に向かう。そのために、ここにきて、勝利の法則を学ぶ。

欲望の影が、己の体から出ず、目に見えなくなる、その日を目指す。その道には是非もないことに出くわすこともあるが、乗り越えていくことができないことは無い。

それは、一度目で跳ね返され、二度目で学び、三度目でそれを生かして超えていくのです。

だから、二度の失敗を三度目で生かすことができなければ、単なる愚者だ。

 

神の掟を守る方法

頭が固いと、視野も狭くなるものです。人の心は真っすぐに鉄よりも固く、頭は水よりも柔らかく持つと、広く見ることができ、人を助けるチャンスに巡り合う回数も多くなる。

掟の習慣化のためには、涵養では遅すぎて終わりの日を迎えてしまう。脱兎では早すぎて周りが見えない。掟の習慣化のためには、一つずつを確実に、涵養でもなく、脱兎でもなく、中有の速度で進めるのです。

常に根幹には「恕」があり、その上に、神の七つの掟を並べて進むことです。恕が無ければ、七つの掟は習慣化しない。「恕」とは、思いやりである。

人はなぜ輪廻転生を行ってきたのかを忘れる。輪廻転生は、過去世また過去世以前の全ての世で、人を悲しませたり、貶めたり、沢山の罪を犯して来た、罪の償いのために生まれ変わってきたのです。

しかし、人は生まれ変わり、始めに教育されることが、恨み、妬み、驕り、数えればきりがないほどの悪行の方法と快楽享楽を叩きこめられる。そこから、いかにして聖人になり、神になるのか、その道への方法こそが、心を鍛えること、これに尽きるのです。

心を鍛える方法は、神の七つの掟を守ることであり、我慢、我慢が大切なのです。

誰もが、どんな悪人であっても人善人になれればと思う。しかし、心を鍛えるチャンスに巡り合っても欲望が勝り、人を悲しませる人となる。このことから学ばなければ、あなたも変わらない。

意気地なしになっては、不善を起こす。小人になれば、不善を起こす。強く優しく生きてこそ、人に譲ることができる心の大きな人となるのです。

今日の話は、いくつかの神の七つの掟を守れる人になるための方法を話しました。あなたは、神の七つの掟を守り習慣化して、天国に行くためにここに来たのですから。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身