開かずの踏切:第五百十六章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

開かずの踏切

 

踏切の警報機

開かずの踏切の遮断機の前に立ち、何本かの電車が通り過ぎるのをじっと眺めているのでしょう。

だから、遮断機が上がると足を踏み出すことが出来、前へ進むけれど、渡りきる前に警報音に足を止められ、踏切を渡り切れず、線路の中央で、渡れなかった己に堕ち込んでいるのでしょう。

次に遮断機は、幾何かの時で上がるのだから、元に戻って遮断機が上がるのを待っていても、あなたは、あなたの言う通り、次も、遮断機が上がり、警報音で線路を渡り切れずに、線路の途中で止まる。

あなたは、線路の途中で警報音で止まる前に、善行を一つ行ったから、向こう側へと渡る時間が無くなったのであり、それでもあなたは、そこから元の遮断機の向こうへと戻り、前に進めないという。

それは、大きな間違いであり、あなたは、善行を一つ行い、一つの罪の償いを行って、他者を助け、右の道へ進んでいることをわかってはいないだけのことなのです。

あなたは、元に戻っているのではなく、あなたにはいくつもの遮断機が、あなたの前に現れているだけのことで、あなたが元の遮断機へと戻っていると勘違いをしているだけなのです。

 

警報音に引き返しているのではない

今のままででよいので、他者を助けて踏切を歩きなさい、それが、あなたの右の道なのですから。

外光の光が内から射しているのか、窓越しに射しているのか、己の正しき道が、正しいのか、正しくないのかを悩んでいる。

一歩踏み出し善行を行えば、次の善行が見つけられないと、時だけが過ぎていくことで、必ず次を探すならば、善行のチャンスが訪れるので、探しながら歩く事です。

そして歩む者は、他者を助けても、助ける相手がいない時に、俗世に堕ちて燥者とはなることはないから、歩みを止めないで、右の道を歩きなさい。

目はいつも凝視として、道を歩き、空が重き靄を目の前に降ろそうとしても、恐れ成すことなく、熱願冷諦と目を逸らさないで歩く事です。

 

線路

饐えた物を食べる者たちは、俗世と違い、右の道を歩く者の前には現れる、これぞチャンスと、その者の手から掬い取り、饐え無い物を与えなさい。

それでも、あなた方の中には、やはり後ろに戻っていると思う者もいるが、一つ一つの積み重ねであり、善行があなたに纏わりつくのだから、振り返っているのではないことを知りなさい。

白杖を持つ者が、遮断機の前にいるのなら、腕をもって一緒に歩いてもよろしいすか、と声をかければ、開かずの踏切の遮断機も上がり、向こう側へ行けることを知りなさい。

前へ進み、善行を一つ行えば、次には、後ろに戻っていると思う、相談者や、同じ悩みに今日まで己を責めてきた者は、己を責めず、惰眠を貪っているのではないことを知りなさい。

 

善行

善行を行えば、相好を崩して、笑顔をみんなに見せてよいのです。罪の償いができた時には、喜びにほくそ笑んでよいのです。

相談者や同じことで悩んでいた者も、今日の話で憂い事も消え去り、善行を繰り返すことが大切であることを忘れないで進みなさい。

そして、今日からは車両の警報音が、善行への出発するためのスターター音だと思い、歩み進みなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身