瞑想と神:第二百三十二章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

瞑想と神

 

瞑想と神の話

下記のお手紙を相談フォームより頂きました。
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瞑想についての質問です。
瞑想はなかなかできるものではないことを読み確かにそうだとは思うのですが、もし瞑想が出来れば、それで素晴らしいこととも読み取りました。
瞑想が最終的には出来なくても挑戦したいのですが、可能性のある方法を伝授していただけませんでしょうか。
もちろん瞑想のために教えて頂いたことやってみせます。どうかよろしくお願いいたします。
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お手紙ありがとう。

瞑想については、以前の章でも難しいと話していますが、それでもということなので、最も簡単な瞑想に入る方法を話しましょう。もし、これが難しいといわれるようであれば、過去章でも話したように、瞑想は諦めておくことです。

瞑想には、思考を停止する必要があります。しかし、それは何か良い行いに浸り付いている人以外には、非常に難しいというか、困難です。

思考の停止は、これは誰にでもできることで、あなたも毎日行っている睡眠です。この眠っている間は、思考を停止させることが出来ます。

但し、眠っていては瞑想の世界には入ることは出来ません。これは、瞑想の概念を知ったからと言って、その境地に至ることは無いという事です。

しかし、あなたが瞑想をしたいというのなら、一番簡単な方法を教えます。ただ、これで瞑想が出来なければ、再度言います、諦めることです。

 

瞑想と善行

先ずは、始めに話したように、善行に浸ることです。ここが始まりなので、徹底的に雑念を寄せ付けないで、と言っても雑念がやってくるので、それが聞こえないようにするための方法が、善行に浸るという方法です。

徹底的に善行を行いなさい。もし、今のあなたが次の給料日まで十日あり、一日千円が費用として、手持ちのお金が一万円だとすれば、始めに行う事は、その一万円をユニセフ等又は乞食の人に差し出しなさい。

これで、あなたの思考は、「明日からどうしよう、ご飯が食べられない」という、たった一つのものへ向きます。

しかし、その反面、あなたは善行のために全てを投げ出した、次の給料日までの生活費を、困っている人に捧げた。

その行為のお陰で、あなたは明日からの生活のことだけに思考を向けるという、第一歩を踏み出した。

では、あなたのお腹を満たしてくれるものは「私は、困っている人のために、全財産を捧げた」この気持ちだけで、お腹を膨らます以外に、手立てはありません。

この時に、悩みや苦しみや享楽を考える力が飛んでしまっている。雑念が無くなっている。

ここから瞑想を行うのです。ここで、万が一にも雑念が入り迷いと誘惑に、足を掬われそうになるようならば、あなたのユニセフか乞食人かに渡した一万円は、本当は全財産ではなかったいう事になります。

雑念とは煩悩のようなもので、これを滅尽しなければ悟りが開けないのと同じように、瞑想に入ることは出来ない故、今回の方法がいかに簡単であり、やる気さえあればできるという事だけれど、困難でしょう、という事です。

 

仏教と瞑想

仏教などでは、これらの彼岸に達することを涅槃とも呼んでいます。ようするに、迷と誘がともに流れ去り、彼岸の境地に達する。これが出来るのも、一つは瞑想にあります。

また、それとは逆に、今生のような迷と誘が混在している中にいることを、此岸といって、この世をさします。

とすれば、仮に、私の教えで瞑想に入れなかったのかは、考えることも無く、迷と誘の中から、あなたは出ることを躊躇したからに他ならないのです。そうでしょう。

試して見て、あなたの答えはいかがですか。「いや、そんなことはない」といえるのであれば、いつでもお手紙をください。会いに行きましょう。

此岸から彼岸へと到彼岸出来る人は、神の七つの掟を守る人です。だからといって、瞑想が出来なければ、ならないわけでもありません。

人間の肉体を持ちながら、解脱できたという人は、それは素晴らしいことです。その為には瞑想が必要であり、瞑想ができたということは、他者のために尽くし切ったという事になります。

しかし、そこまでできる人は少ないでしょう。だから、神の七つの掟があるのです。これだけ簡単な神の七つの掟を行わない者は、左へ行き、また、左へ行き、苦の世界を楽しむ人でしょう。

 

神と瞑想

瞑想のために、ある宗教では次のように話しています。布施は施しであり、見返りを求めてはならない。困っている人に食事や精神面での支えとなるためのものである。

これは、確かに、その通りなのですが、その宗教が、その布施を受け取り、その宗教の発展のために使っている。これは、大きな間違いです。

布施については、過去章でも話したように、神社仏閣教会等の維持費や、そこで働く人が手にすることは当然のこと必要でしょう。しかし、それ以上に余る布施を、己の宗教の肥やしに使ったり、信者集め、また、必要以上に立派な神殿のようなものを建てるのに使う事は、大きな間違いです。

大木の神は、この世に降りて来られて、街を見られるときに簞食瓢飲、貧しく質素に暮らすことを厭わない者を、始めに見に行かれる。

だから、大木の神が地に降りられるときには、その者達より貧しき姿となり、降りられて勇気を与えられる。

その、大木の神が、栄耀栄華な神殿のようなものを好まれることもなく、近づくこともないのです。

だから、大木の神は、如何なる宗教であろうとも、立ち寄ることは無いのです。なので、天国には宗教など存在しないのです。

瞑想が出来ることは良いことです。さて、これを読んだら試して見てごらんなさい。できなくても、気にすることはないが、出来た者には、大切なものを差し上げましょう。

 

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身