愛しく思う:第百六十五章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

 

愛しく思う

 

祭りの糸紐と夕暮れ

愛しく思う人は、誰にもいます。

愛しく思う人に会いたいと願う人は、同じだけいます。

まるで、祭りの日の糸紐を引くように、互いが同じ思いでいれば、そこに再びの出逢いがあるかもしれない。

ある想いに、人生の中で眠りに落ちることができない日があるでしょう。

今の君はどのような年の取り方、どのような家庭、どのようなあの頃との違いがあるのだろう。

忘れたことは無いけれど、思い出すことは避けていた。それは、もう過去のことで、君はきっと私が声をかけたときに、振り向いた君とは違っているだろうから。

チャンスは与えられたようにあったのに、おかしなプライドや、照れくささから、逃げたのが、今の私なのです。

もし、あの時に戻れるなら、間違いに気が付き,今のようなことは無い。人生という生きている道は、ゼブラにひかれる場所を通ることもある。だから、過去を嘆いても仕方がない。

あなたは、いつも航海をしていて、その中で後悔するのが当たり前なのです。あなたの前に聖者や偉人や、それをはるかに超越した神が現れるまでは、人生の航海は、あなたが目を覚まさない限り目的の港へ着くことは無いのです。港に降りることができる者は、目を覚まし神の七つの掟を守り継続した者だけです。

愛しい人を思いながら、神の道へと進み、神となれば、天国であなたの愛しい人と、祭りの糸紐を引けば必ず、そこには愛しい人に当たるのです。

 

理性、物理、知識

人は、人間という肉体を持つ間には、ごかし、を行うことがあるものです。ごかしとは、相手を思いやる表向きの顔を持ちながら、自分の見返り利益を考えてしまう。

そんな時にめぐり合わさっても、自分の心を呼び起こし、愛しい人が、相手ならば、どのようにするのかを考えれば、過ちを犯さずに、人への行為を純粋に、その人が幸福になるように,喜んでいただけるようにと、変わる。

理性を失い、情痴などの欲を受け入れる、愚かな行為による、愚か者にならないで、そのような欲に溺れそうになる自分が、小胆であることを認め受け入れなさい。

そうすれば、愛しい人に声をかけることさえできなかった時の小胆な自分を思い出しながら、これと、それとの違い、今、自分が行いそうだったことへの後悔などすることもなくて済むのです。

私は、思う事がある、善美である思いでこそ、愛しさにいかに己が純粋で清らかな存在であるかを、思うが思えばこそ、神の七つの掟を純粋で何も考えないで進められるのかと。

あなたの持つ知識は、決して物理や化学では計り知れず、そんなものが人を形成する上においていかに不要かを知る。

知識というものは、あなたが人に感動を与え、与えられたものが、次の者へ感動を与える、これができる元となるものが知識なのです。

あなたの知識とは、人に喜びや感動、人のために生きるために今生に生まれ変わってきたことを、身をもって伝えられれば、あなたは博雅と呼ばれるのです。

博雅と呼ばれる知識こそが、神の七つの掟を習慣的に行う事なのです。

不要な学びも、日々習慣として身に付くものであるように、博雅も同じように神の七つの掟を日々行う事で、習慣となり肉体に勝ち、肉体から去る時まで続けなければなりません。

しかし、肉体から去る時間は、過去章で話したように七つの掟が習慣的に行えるようになれば、今までの時の流れの何十倍ものスピードであなたの決めてきた死の時間が来るのです。

早く、博雅となり肉体を亡ばせ、神のもとへ、大木の神のもとへ行きましょう。

 

人はいつも言い訳ばかりですが、そのわけを疾風が襲ってきたために、こんな場合には、取り敢えずは、身を隠して疾風が通り過ぎるまで待つことが得策と考えましたが、違ったのでしょうか。

良いのではないでしょうか。身を隠すことができれば、誰も助けることができなくても、自分の命は助かるのですから。

さて、そう思う者は、ここには来ない。

疾風に対して、これだけ凄ければ怪我や命も危うい人が沢山いるかもしれないと、そこで、奮起してやるぞと、疾風に逆らうように前に進める者だけが、あなたの愛おしい人を神は授ける。

そのようにいつも自分の全てを捧げ、人のために生きる自分であることです。それがいかに楽しいかは必ずわかります。

神の七つの掟、私が言う、七つの掟の言葉を紐解くことに時間を割くことなく「悲しませない」や「動物を食べない」という言葉を聞けば、悲しませなければよいだけです。食べなければよいだけです。

大木の神の言葉を紐解くことができるのは、神のみです。絶対に出せない答えに溺れてはなりません。

それが、あなたに冥利を必ず与えます。

あなたの周りで困っている人々へ、あなたは奮起して、やるぞという気持ちをもって、益体しなさい。相手に幸せを上げ、その何倍もの幸せになれるのは、あなたなのですから。

いつも、行いたいと何度も何度も何度も読み直しても進めない、そんな自分の心を忽せているのは、あなただけではありません。だからといって、いつかきっとチャンスが来て、まるで宝くじが当たるかのように、どれだけ期待していても、その日が来ることはありません。

私は、今までもできる限り特定の宗教につながる話等は行わないようにはしてきていますが、いくつかは出てしまってはいます、基本は、何度も言い続けていますが、あなたが来る天国には宗教などはないから、特定の宗教についてはあまり話さないのです。

でも、今日はその中の大切な言葉を、ある三つの宗教から、十戒、戒律、山上の垂訓、この世の宗教にも素晴らしい守らなければならないものがあります。すべて、この世のものですが、この世で生きる上で大切なことです。

 

天国と神

 

但し、天国に行く者が守らなければならない規律とは、ただ一つ、神の七つの掟です。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身