国王となった者達:第四百二十七章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

国王となった者達

 

知公に溺れる

知功を弄する者は、知功によって他人を操ることに快くなり、それで時が来て終わる。

しかし、阿呆を自己としている者は、食事さえあれば、欲に溺れることも無く、徳を積むことすら知らぬのに、無心に善行を行い続けて、時の終わりを向かえる。

祭服を纏う者から、神の言葉と言われれば、その言葉を信じて固執するが故に、束縛から逃れようともせず、己の中にいる真実の神の言葉を信じようとはしない。

この世に生きる誰もが、神を知るわけも無ければ、ましてや神の言葉と作為を持って他者に話すことは、祭服を着る者の中の神の言葉かもしれず、然るに、あなたもあなたの中にいる、真実の神の言葉を信じればよし。

 

国王

古に、どの国も国家主義を第一として、国民を牛耳っていた。そんな時代に、ある国の一人の民が、国家主義から国民主義への変革を訴え、その言葉は国民を動かすまでになり、革命を起こしたのです。

この革命は、成功することとなり、その一人の先導者は国民から称えられ、国王に祭り上げられることとなった。

それからしばらくすると、国民は国王の前に自らの意思でひれ伏すようになり、国民主義を唱えた国王は、我が意を得たりと、己のことを己で賞賛するようになった。

隣国から隣国へと、改革を訴える者達が、国王を訪ねてきては、改革には何を必要とするのかを訪ね、国王は、その者達から財を取り、教えたことは、御伽噺を饒舌に語れば、国民は動くものであり、その為の練習だけを繰り返した後に、壇上に立って話せば、国民は頭がよくないから、ついてくるものだ。と説いた。

もう、この国王は、改革を訴えていた時の自分を見失っており、国王の椅子から堕ちないことだけに、生涯をかけた。

国民は、だんだんと国家主義の方が、今の税のとり方よりも安くて、住みやすかったことに気付き始め、また、その中から改革を訴える者が生まれ、国民を先導して、国王を、その椅子から降ろし、改革の旗を揚げた者は、国民から国王と呼ばれるようになり、国民も今度こそはと、国王に全権を委ねたのです。

しかし、同じことは同じように繰り返されるだけで、新しい国王も、国民たちが己に阿るばかりに、己を忘れて放蕩無頼と贅の限りに金殿玉楼な御殿を建て、黄金の椅子に座った。

国民は、黄金をあしらった御殿を建てるために、前の王よりも税を取られ、このままでは、生きて行くための食べ物にも困ることになると、失意に墜ちている時に、改革を訴える者が現れ、また、この者も人々が己の思いのままに動くことに溺れて行った。

 

城

巧みに人を導く者は、その知功に溺れるものであり、貧しき頃の己の強い思いも、失ってしまうものなのです。

それ故に、知功など持たぬ者を、君子と仰ぎ、上に立たせればよし、知功で作為をすることも知らないからこそ、国民のための政治が行えるのです。

知功を持たぬから、隣国に責められようとも、第一に国民の安全を考え、弱い自分を見せることが出来るから、東の隣国が確実に勝てることを知り、戦う前に不甲斐なさを見て、東の隣国は戦意喪失となった。

戦いがあるという噂を聞いた西の隣国が、国民を第一に思う国王を知っており、可哀想にと、助け舟を出し、それを知った東の隣国は、話し合いに出てくることとなるが故に、国民は安全に暮らせるのである。

智慧を持って、巧みに人を動かす者は、動いた者を見て、己の知に溺れて行き、己が己に課した坦懐の思いで立ち上がった、国民のための挙国一致を忘れるのです。

この話のようなことは、国家を揺るがすようなことでは無くても、あなた方の中にも持っている者がいるのであり、智慧を捨てることによって、初めて他者の為にと心の底から生きることが出来る。

 

人の上に立つ

あなた方の中に、今をもってしても富貴や名声を求める者がいることを、非常に嘆かわしく思う。

人の上に立つ者、立たない者、いずれも、あなた方が決めて来たことであり、人の上に立たないと決めて来た者が、人の上に立つと賤しい者とみられるだけで、その器を知ることになる

人の上に立つと決めて来た者は、知をもたず、作為の無い心で、人々に尽くさなければならない。

人の上に立たなければ、己の罪の償いが出来ないと生まれて来た者は、柔かく人々に謙った態度と言葉を使わなければならない。それも、作為せずにである。

人の上に立つ者が、国王のようになってしまうのに、最も近い存在となる。しかし、その気持ちを捨ててこそ、罪の償いの何たるかを知ることになることを忘れてはならない。

人の上に立つ者は、とかく過ちを犯すが、人の上に立たぬ者も過ちを犯す、人の上に立つ者の過ちは大きい、しかし、上に立つ者、立たない者も、過ちをすぐに改めることを、しっかりと脳裏に焼き付け、作為を持たず、時にはひれ伏すことも厭わぬ者となるのです。

人は、己の置かれた環境や立場が、己が決めて来た訳柄であることを受け止め、それ以上は望んではならない。

人の上に今は立ってはいない者も、人の上に立たなければならないと決めて来たのであれば、善行を積み重ねている間に、立つことになる。

人の上に立つために謀略を持って臨めば、人の上に立たねばならないと決めて来たことも、為すことが出来ずに、終わりの時を迎える。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身