神に祈らず:第二百六十三章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

神に祈らず

 

神に祈らず

信念を持ちなさい。あなたを引きずり込もうとする者が、あなたの周りで蠢いている。それに流されてはならない。何のために、ここに来たのか。未だ半信半疑で在れば、時があなたに答えてくれる。それを待ってみるのも一つのあなたの信念かもしれない。

偽物ならば、メッキは必ず剥がれる、だから疑うことに時を使ってはならない。その前に神の七つの掟を行うのです。神の掟を守っていれば、偽物か本物か、必ず疑う者にもわかる日が来る。

あなたは、闇と沈黙の世界を知っているでしょうか。その世界はいつもあなたと共にいるが、あなた方の多くは、闇に恐怖、沈黙に面妖する。そうして生きることが変人のように扱われることも無いからである。

けれども、闇は存在し、闇はあなたのために、あなたを包み込み、あなたに学びの時を与える。

沈黙は、沈黙に存在し、沈黙はあなたのために、いくつかの過ちの言葉を閉ざそうとされ、あなたと戦う。戦いに敗れ、沈黙を守った時に、沈黙があなたに学びを授ける。

ここに来た者たちは、他者とは一線を画す。だからと言って権者で在ったり、貴ばれる者であるのかと言えば、それは違う。

ここに来たあなたは、あなたの善行によって、貴ばれる者となることができる。貴ばれる者となった時に、天国へ行く。

ここに呼ばれなかった者たちは、残念だけれど、来世でそのチャンスが待っていると考えてみるしかない。

だから、ここに来たあなたは、神の七つの掟を守り、他者のために生きるのです。生きているふりをする者もいるが、ごまかしても馬脚を現すこととなり、無駄に時を使ったことを、後悔することとなる。

ごまかしや偽物は、平仄が合わなく燻りだされることとなり、せっかくのチャンスを、自ら投げ出したことを、いつの日か後悔するが、その時はもう遅い。

 

臨終

世俗で与えられる甘い蜜から、今この時に這う這うの体で逃げ出し、他者のために生きることを、神の七つの掟を守ることに臍を固める時が来たのです。

中途半端な掟の守りは、今日を限りに次の段階へと進めてやり抜く、あなたの前を電車が通り過ぎて、遮断機が上がると、もう一人のあなたが背を向けて立っているから。

あなたは線路を超えて、あなたに背を向けているのが、本当の自分であると気が付く、本当の自分は、振り向きもせずに歩き始め、あなたは後を追う。本当のあなたは、道端で困っている者を見たら理性を抑えることもできず、走りすり寄り、声をかけている。

あなたは、本当のあなたと一体を成すことを望まなくてはならない。そして、不撓不屈と終わりが来る、その時までやり通すこと。大木の神が喜ぶのは、困難にあっても最後までやり通すことです。

今際の念仏誰も唱えるというけれど、神の七つの掟を全身全霊で行わなかった者の臨終間際の言葉である。

神の七つの掟を守らなかっことを、誰もが死に行く恐怖から神に願う。でも、私は、あなたに告げた、生きている時間の儚さと、行うべきことを、何度も何度も何度も。

あなたは、それでも読み知識という箱の中に入れて、蓋を閉じ全てを知ったかのように振舞うだけで、神の七つの掟を全身全霊で行わなかった。だから、臨終間際に私に祈るのです。

でも、私には助けることは出来ない、あなたの選んだ道であり、あなたの持ち物を困窮者や、倒れている人に手を貸してあげることを、いつも、あなたは知識を使って、いくらくらいの犠牲になるかと、計算をしてからでなければ、行ってこなかった。

 

神に願う

日暮れて道遠しとは、老年となり目も手も足も不自由となったときに、神の七つの掟を守ることが、全身全霊でできなくなり、そこで、大切なことに気が付いても、あなたを見守る者が、あなたに聞こえないところで、今日で終の別れとなるだろうと話している。

夜の目も寝ずに善行が出来るチャンスは、あなたには何度も与えられている。露命を繋ぐ者も、あなたに与えてみている。それでも、動かないのは何故か、その答えは、臨終間際に己で知ることになるでしょう。

電車で席を譲らない者に聞いてみた、あなたは、あなた自身と、あなたの財産と、どちらがあなたにとって大切ですかと。迷うのも当然であり、それを愚かと呼ぶ。

盾に取る者も愚か者で在り、聖人は決してそのような言葉や態度を示さない。それ故聖人である。

慈しみ、憐れむことは言葉ではなく、行為で示すものであり、それが出来ているのが、私が託されたあなたである。それでも、行いは容易ではないというのでしょうか。

 

神に願わず願う

倫理観念を心にいつも持つことで、善行は脆く壊れることはなく、いつもあなたともう一人の神というあなたが、一対となり他者への助けが行える。

あなたの隣で涙を流す者には、埋もれ木に咲いた花を一輪探してきて、差し出すことです。どちらも、一つの入り組んだ中に今はいる、だから、どちらのためにもなる。

あなたの隣で、怒気を帯びた者がいたなら、水を差しだしなさい。争うことには、如何なる徳も生まれないことを、あなたの身をもって示すために、その者に、頬を殴って頂きなさい。

互いに張り合い、頸木を張り合う者がいたとしたら、譲る側となり、自分の手に入れない者こそが、聖人となり、さらに数を尽くせば、神となることを話してあげなさい。

これが古からの聖者が行ってきたことで在り、大木の神が、神となるために託された者たちが行う行為である。

ここまで来たなら、私に倣う者はもういない、あなたが聖人で在り、後は、あなたが見つめた時計の秒針が、十二を目指して上る、十二であなたは天へ向かい、以って瞑すべく神となる。

今日の話を進める者は、今際の際に、神に祈らず、信念を持つがゆえに偉とするに足る。

 

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身