犠牲の上に:第三百三十四章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

犠牲の上に

 

 

犠牲

今回は下記を相談フォームから頂きました。
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会社の仕事の関係上、ある駅からはタクシーで向かうことが許可されているので、いつものようにタクシー乗り場でタクシーを待っていると、後ろのベンチに80代と思われるお婆ちゃんが座られました。
あまりタクシーが来ない駅なので、せっかくだから次にタクシーが来たらお譲りさせて頂こうと思っているところにタクシーが来たので、お婆ちゃんに「どうぞ、お先に」と譲ることが出来てうれしくなりました。
また、次のタクシーを待っていると老夫婦がベンチに腰掛けました。よし、もう一度譲れる時が来たんだだから、譲ろうと考えながらタクシーを待っていると、タクシーが来たので、「どうぞ、お先に」と譲りました。2回もよいことが出来て気持ちも晴れやかでしたが時計を見ると、打ち合わせが始まる時間が迫っており、間に合わないかもしれないと思ってタクシーを待っていると、また一人の老人がベンチに座られました。2回良いことをしたのだから、今度は譲らなくてもよいだろうと考えて、来たタクシーに乗ろうとした瞬間に「どうぞ、お先に」と振り向いて、その老人に譲ってしまいました。

もう、タクシーに乗っても打ち合わせには間に合わないだろうと思っていると、すぐに次のタクシーが来て、運転手さんが抜け道を知っているとのことで予定ギリギリで着くことができ、相手先も会議が伸びていて逆に待たせていただくことになりました。良いことを行うと、その次にもつながるんだなと不思議に思ってしまいました。

何かを手に入れたいときに他人を犠牲にしてはならないのは分かりますが、その人を犠牲にすることで、その人の本当の幸せが手に入るとしたら、犠牲と言う言い方が重たく聞こえるかもしれませんが、相手を振り払うと考えてもいいのですが、それで相手が幸福になれるなら、その時にはどうすることが正解なのでしょう。
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お手紙ありがとう。

譲ということは大変良い行いです。これからもその日のこと、その時に感じた喜びを忘れないで、続けていくことです。

 

不幸の上に幸福は無い

他者の犠牲の上に、行くとして可ならざるはないということは無い、上手くいったようでも必ず後から、その責任を取らなければならないこととなる。

幸福は他者の不幸の上に成り立つことは無い、もしそのようなことを幸福だと思うならば、それは幸福ではなく不幸の始まりである。

不幸の始まりは、誰かを犠牲にして山の頂上に立ち、見渡す限りの素晴らしい景色を見た後、山の麓までの鵬程万里と言うはるか遠い道のりをおりていく、誰かを犠牲にして得たものとはそのようなものなのです。

得たもののおかげで、あなたはこれから何の装備も持たないで、遥か彼方の麓まで下りて行かなければならないのです。そんなものを幸福とは呼べないでしょう。

寒さ暑さに空腹と苦しみの中で必死に麓を目指しても、誰かを犠牲にした限り、そのつけは必ずやってくるのです。

唯一つ違う場合もある、それはあえて相手の幸福に繋がるために、相手から忌避される行為に出ていくことである。

相手が、あなたを忌み嫌うことで、別の方に目を向けて幸福を手に入れられるような場合には、自分を犠牲にして、相手を幸せにすることもでき、それによって自分自身も幸福を味わうことが出来る場合もある。但し、これを行うには大きな条件が一つある。

 

満天の星

誰もが思う夢の先に無くてはならないのは、炳として思うことすべてが叶う世界で在り、それは決して誰をも犠牲にすることのない世界でなければならない。

今のあなたを神に変えることは出来ないけれど、今生を七つの掟で生き抜けば、あなたは神になるのです。

満天の星にも隙間があるように完璧で終わりを迎える必要は無い、しかし、完璧を求めて七つの掟を行ったかどうかが問題となる。

行為とは、結果ではなく全て過程であるから、行うべき時から完璧を求めていなければ、その人生は何にもならない。

 

犠牲と徳

相手の幸せに繋がらない犠牲の先には、あなたが翹望する天国は無い、だから他者を犠牲にするときには、あなたが犠牲をはらい、他者があなたから離れることで幸福になるときにだけ使うべきことなのです。

だから、容易く誰にでも使えることでは無く、徳を持つ者と徳が高い者だけが使える。

あなたが己の行動を見て、徳が高いと確信できたならば用いてみても誤った使い方をすることは無いでしょう。

一つ言っておけば、習い性と成ると言います、神の七つの掟を習慣として行い続ければ、必ず、それはあなたの性質となり、貴い徳を持つ者となれます。それまでは励みなさい。

他者に対して、犠牲に見せかけ幸福にすることは、所詮は俗世の人間にはできない、出来るのは俗世に居ながら、高い徳を持つ者だけが出来る、あなたはそのような高い徳を持つものとならなければならない、いや、ここに来たあなただからなれるのです。

神の七つの掟を習慣化し性質にしなさい、すれば、犠牲に見せかけ他者を幸福へ導く一つの手段として使えるのです。

但し、己をよく見せようとしてはならず、犠牲を帯びた幸福を与えたならば、後から必ず感謝され尊ばれなければならない。そのようにならないと思われるのなら、それは暗に淡く言葉と行為が乖離しているのだから、止めておきなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身