人格障害:五百五十七章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

人格障害

 

人格障害

今回は、下記のお手紙を相談フォームから頂きました。
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私の娘は、パーソナリティ障害によって、家じゅうがぎくしゃくしていて私も限界に来ております。直して頂くことは出来ないでしょうか。それが無理な場合には、どのようにすれば直るのでしょうか。
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お手紙ありがとう

最初に、行うべきことを話しておきましょう。二つの方法を紹介するが、一つ目の方法を、三カ月間行っても聞き出せない場合、二番目を用いることも良いが、いずれを使わずしても、良いこととなる。

さて、別の章でも同じことを話したのだが、子供から、いかなる手段を使おうとも、欲しいもの、必用なものを聞き出すのです。

そして答えを引き出し、仮に己のできることが、その中に二つ以上あるのなら、二つだけ叶えてあげるのです。

精神的な病を持つ者の心を推し量らうことは、精神科医にもわかってはいないのであり、それは、あなた家族も同じであり、初めに、知ろうとすることを止めることがスタートラインです。

精神的破壊を起こしている子供の場合、子供の欲しいもの、やりたいことを、試行錯誤を行い、聞き出すのです。一度目は難しくても、一度、聞き出し方を学んだのなら、後は本当に楽になります。

そして、いくつ欲しいもの、やりたいことあっても、最初の一回目のときは最大二つだけを叶えるのです。かなえられたものには、必ず飽きる日が来ます。飽きる日、飽きるころを見逃さないようにするのです。

飽きてきていると感じたならば、また、欲しいものやりたいことを聞き出すのです。但し、二度目以降は、一つだけを叶えて見せるのです。

繰り返し、飽きそうだと感じたなら、同じように、次に欲しいもの、やりたいことを聞き出すことを繰り返し、九か月間を過ごしてみなさい。場合によっては、一年の時間を要するかもしれない。

子供が欲しがったり、やりたい事をまとめたリストを作れば、今までの、あなたには、入る余地がなかった子供のバリアに、一部穴をあけることが出来、そこから、その穴を広げていくのです。

 

自閉症を開く

決して、あなたの想像で、勝手に物を買い与えてはならない、それは、支配される事への恐怖を、さらに増すことになるからです。

与えることは、甘やかすこととは違うことを忘れてはならない、甘やかして動かそうという考えは愚の骨頂であり、賢しらな智慧を働かせて、壁に当たり堕ちて行くだけのこととなる。

あくまでも、病気の治療方法であり、その結果が、親の愛が子に通じ、倚閭之望の扉が開くことになる。

 

人格障害者

生まれた頃から幼児期において、親子の間に何らかの欠けているものがある場合、成長とともに、感情的フラストレーションを持つことがある。そのことが蓄積されていくと、人格障害を起こすことがある。

人格障害に陥ると、感情表現が薄れ、家族や他人との接触を避けるようになり、人間の持つ、自分を他人からよく見られたいという、行為を見せることも無くなる。

この幼子が、そのまま大人になると、済度し難いという以外には無くなり、誰も近づけないが、誰をも支配下に置くことができれば、虚辞を持って行う者となることもある。

また、時に奇を衒うことで、感情の歪みが脇に逸れることもあり、大人となった彼らに、その時の変化が見られ、家族にとっては窮地の一策となることもある。

人格障害は、感覚知覚の欠如も伴っていることが多く、暴力的であり、反社会的なものには賛同することで、そこに生きがいを見出す者もいる。

そしてほとんどの人格障害者において、生きている自分の要としてあるものは、愛することの欠如である。愛への欠如といってもよい。

人格障害者が歩く道は、他人や家族を、欺き、騙し、瞞着、これらを上手く企んで道を歩くのです。

それ故、普通の人間の話すことへの理解力は持たず、それらの言葉一つ一つに、暴力的怒りを持つことになる。

人格的障害者を、救い出そうとすればするほど、その者の理解は、自分を苦しめようとしていると、まるで怨恨に苛立ちを覚え、逃げ道が無いと考え、襲い掛かろうとまでする。

このような時であっても、機嫌気褄を取るような事を行ってはならない。相手には何を言おうとも、何をしてあげようと、全てが自分を陥れるために行われていると考え、怒りが膨張していくだけである。

 

人格障害は治る

人格障害は、ある一定のことを繰り返すことや、家族以外の見知らぬ尊い者を引き合わせることで、普通の人間に戻すことが出来る。

その一つに、一切の無私という態度をとることが、大切であり、ここで言う無私とは、無視の意味ではなく、少しでも近づいてきて欲しい、少しでも関係の修復をしたい。このような利害を計算しないことを言っている。

よりよい関係性を持つことが出来ればいいのにという考え方は、利害関係と非常に似ているので、この利害関係を無くすことを繰り返していくのが、一つの方法である。

良心の欠如を、正常な状態に戻す方法の、もう一つとして、親が宗教家の話を聞きに行き、その宗教家の話し方が溶け込みやすいと感じたならば、子供の情況を話し、自宅に招いて、子供と話してもらうことが、かなりの効果を発揮する。

あくまでも、それは宗教家でなければならず、セラピーや精神神経科などへ行くことや、話を聞くことは逆効果になるだけである。

宗教家と言われる者を選ぶのは慎重に行う事、そして家に招いても、子供に、その宗教家のことを、紹介してはならない。教えを説くのが得意としている宗教家であれば、子供の心の扉へは、己からノックする。

このようにして、人格障害は必ず治る病気で在り、深刻に考えることが、子供への対応に出てしまい、人格障害は根深いものと陥っていくので、深刻になってはならない。

 

歪んだ

人格障害で、歪んでいた脳を治すことが出来た後は、生きがいを見つけさせなくてはならない。

治ったからと言って、何から始めれば、生きる上において大切なのかを知らなければ、踵を返すことになりかねない。

まずは、あなたが知る、神の七つの掟、他者に親切にすることの大切さを、知ってもらうところから始め、街を歩くことで、そのチャンスを得ながら、街に染まり、社会に染まり、善悪を知ることになる。

 

宗教家

今回の話のような、人格障害者であっても、輪廻転生をしてきた者であるならば、必ず、神への道を歩くことが出来る。

人は、誰もが、何らかの障害を持って輪廻転生をしてくるが、それは、誰が決めたことでもなく、己が決めたことなのだから、受け入れることです。

また、障害を持つ子の、親となった者も、それを選んできたのだから、今の道が誤りでは無いことを、忘れてはならず、思い通りに進んでいることに、喜びなさい。

考え倦ねることは無く、障害を持つ子の親になったこと、その子の将来などは、考えることは無い。

その子には、その子が輪廻転生時に決めてきた通りになっているのだから、後は大切な、天国に行くための精髄を知り、一日も早くその子が動き出すかで在る。

人格障害者を持つ家族に、宗教家が手を貸す日は近いことだろう。すれば、病から解き放たれ、家族や周りの者達の言葉に、肯んずることになる。

このようなことは誰にでも起こることであり、その時には、深く考えることはせず、必ずや、笑壺に入る日が来ることを知っておきなさい。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身