羞を忍び声をかける:第五百六十七章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

羞を忍び声をかける

 

声をかける

あなた方は、物事の本質を知る精華であり、そのものの神髄であることを、知らぬ間に身につけている。

ここに来たばかりで、章も読まない者には、神髄を己のものとしていることは無いが、すぐに精華となって、他者の為に生きる者となる。

他者の為に生きる方法が、いくつもあることは、あなた方はすでに知ってはいるが、仮に、不自由な肉体の者に出会っても、声をかけるのに戸惑いを未だ持つ者もいる。

物事の神髄を知っていても行為に移せない者は、悔やんで、また同じような場面が来ても、声をかけることができない。

声をかけてみたならば、相手の方から、大丈夫だから、と冷たく言われたらどうしようと、声をかけるのに躊躇するなら、ほんの一瞬だけ羞を忍ぶのです。

ほんの一瞬で終わることであり、ほんの一瞬だけなのだから羞を忍ぶことは、決して難しいことは無い。

もし、あなたが声をかけるのに、迷ったり、躊躇したり、悩んだりするのであれば、ほんの一瞬の羞を忍ぶこともできない愚者であることを知りなさい。

 

安楽

安楽な生活は、物質的な豊富さにあるのではなく、ベットに横たわり、今日を思い出したときに、他者の為に、勇気をもって、温かさを差し出すことが出来たか、出来なかったのかで決まる。

貧しい者たちの中には、貧しさを受け入れ、それで安楽であるという者がいる、これは、他者の為に生きることが出来ているからである。

その逆のことを思う者も、貧しい者たちの中には沢山いて、物質的豊富さが、安楽であると言っては、嘆きの道を歩いている。

しかし、物質的豊富さを持つ者に言わせるならば、持つ物を無くさないため、奪われないため、それが心をよぎり、しっかりと右の道を行くことが出来ていないことを、悔やんでいると言っては、嘆きの道を歩いているという者も沢山いるのです。

 

安楽と貧しさ

誠の安楽を感じたいのならば、阿呆となって、他者のために尽くすのです。戦争が起きている国の者たちの為に、赤十字などを使って、必要な物資が届くようにと、お金をかき集めて寄付をするのです。

声がけに羞を忍ぶのも、大切だと思い込んでいるお金を寄付するのも、阿呆でなければ勇気のいることとなるが、それでも、必用な者がいる場所へ援助を行うのです。

しかし、それを行うことに、阿呆でなければ、作為をもって、これだけ寄付をすれば、神からの何らかの見返りがあったり、赤十字から何らかの表彰を受けられるかもしれないと考えて行うのなら、それは作為ある智慧者の行うことである。

あなた方が、善行を行った相手は、あなたに善行を行わせ、あなたの罪の償いを終わらせようと、あなたのために辛い道を歩いているのです。

 

袈裟と宗教

あなた方には、何度も言ってきているが阿呆になって、善行を行う者となることが、今生で最も必要なことであり、あなたは、善行だけの為に、棺に入る日まで、あなたを捧げるのです。

今が、苦しいという者は、天への道が囁く言葉に従うことなく、己の将来のため、己の安定した生活を望むが故に、他者を助けられないでいる。

あなた方の今生での、この先の道は、あなたが、今日からどれだけ善行を行ったかによって決まるのです。

あなたの決めてきた時計の針が、チックタック チックタック チックタック、そして時計の針が止まった時に、あなたは、己がどのように生きたか、犯した罪の償いを終わらせたか、その時に、あなたは知ることになり、喜びの涙を流す者とならなければならない。

あなたは方の中には、困っている他者を助けたと未だに思う智慧者がいるが、困っている者は、あなた方が善行を行い、罪の償いを終わらせ、徳を積ませるためにいるのであり、このことを、決して忘れてはならない。

 

宗教を探す

袈裟を覆った者が著明だからと言って、他者のための善行を行う話とは違い、あなたや、あなたの家族が健康で長生きをして幸福に過ごせるようにと話すのならば、訝しい言葉には、のめり込んではならない。

祭祀や袈裟は、あなたたちの脳が、見た目で判断をすることがあるが故に、用意されているものであることを知らなければならない。

見た目で、聖職者たちを判断するのではなく、それぞれの者たちの経典等の解釈の話により、善行を行う上に置いて、一番己に合う者を見つけて、左の道を歩きそうな時には、その者を訪ねて、右の道に戻して頂くのです。

聖職者であっても、善行を言葉で、あなた方に伝える反面、あなた方と同じように、困っている者を見かけたならば、すぐに駆け寄り、何かお手伝いさせてください、と言っていなければならない。

もし、祭祀や袈裟を覆っていても、それを脱いで街を歩き、道端で蹲っている者に、声をかけないのであれば、決して、その者の話は聞かないようにしなさい。

そのような者は、智慧者であり、言葉をもって、あなた方を縛り付けることにたけているが故に、注意をし、言葉に縛り付けられてはならない。

かといって、あなたに合う宗教を見つけておくことは、あなた方が迷う時、迷う時は誰にでもあり、これは阿呆になり切れていない証拠である。

しかし、阿呆になるまでの時間が必要なのであれば、迷ったときに頼れる宗教があるというだけでも、勇気をもって阿呆になれ、他者の為に、己の罪の償いの為に、他者を助けて道を歩き、この世を去るのです。

羞恥は一瞬で終わるのであるから、困っている者を見かけたならば、必ず、声をかけさせていただきなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身