悪人と善人:第五百四十二章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

悪人と善人

 

悪人と善人

この世のはじめは、善人で全て埋め尽くされており、生まれ変わってきたあなた方も、完全なる善人として生まれ変わってきた。

悪人は善人から生まれてくる、悪人も善人であるということだが、悪人は善人ではない、まるで善人と悪人とを行き来している者が、この世の多くの者となっているように見え、悪人と善人とを行き来する者が、この世を治めているように見えてはいるが、それは違う。

善人から悪人となった者は、悪人になってしまい、時に善人のふりをしているに過ぎない。

悪人になれば無慈悲な者となり、己の為ならば、善人のふりをして他人を蹴落とすくらいのことを何とも思ってはいない。

但し、善人が元なのだから、蹴落とし殴り倒し、貶め己が成功したときには「悪いことをしたな」と一瞬だけは考える。

しかし、翌日には、そんなことを忘れ、同じことを繰り返し、少しでも己の思い通りに行かなければ、人に怒りもぶちまけている。

あなたは、そんな無慈悲な者となりたいのか、善人になりたいのか、さて、どちらを選ぶのか、あなたは善人を選びながら、無慈悲な者となることを選んでいる。

 

善人と悪人

私の言うことが分かるだろう、何すればよいのかもわかっているだろう。無慈悲な者となりたければ、ここには二度とこないことだ。

ここに来るたびに、畏れることになるのだから、ここへは来ないことが一番良い選択肢と、己に言い聞かせることで無慈悲な者となれる。楽な方を選ぶ者となれる。

善人であるのは、全ての者が善人であり、善人でない者は、物語にしか現れることは無い。

しかし、善人が無慈悲な者となるのは、愚かな者達だけであり、善人でいたければ、辛いことも、苦しいことも、悔しいことも、甘んじて受け止めるのではなく、受け入れるのです。

善人が、楽を好んだり、小さな過ちに怒りを露わにしたり、大きな声で反論したりする、小さな赤子のように、喚き、泣き散らせば、人が言うことを聞くと思っている。赤子と同じなのです。愚かな人よ。

腕力が強いからと、善人に喚き散らす者ほど、臆病者はいない。吠える者ほど弱い者はいないというでしょう。吠える者と出くわした時には、可愛そうに怯えているのだと思って許して差し上げなさい。

 

無慈悲

善人には、憂悶しているようなときは無い、いつも前向きで禍に巡り合った時にも「なんとかなる」と前へ進むようにできているのです。

そして「なんとかなる」には、決して誰かを引きずり下ろし、己が先に進もうなどとはしない。常に、急いでいる人を見たら「どうぞ、お先に」と譲っている。

揚揚とすることも無ければ、慢心することも無い、いつも甘美は他者に与え、己は薄く味気のない木の実を食む者となる。

誰かが言っていた大切なことを胸に仕舞い込むことは無い、常に、それらを分け与え前へと歩んでいる。

常に無雑であり、それは無慈悲や悪人と混ざり合うことが無い、言葉にできないほどに無垢で在り、廉潔な心を持って歩んでいる。

困苦窮乏も、楽しむ術を身に着けていて、それは決して探し求めて見つけたのではなく、善人でありさえすれば、今からでも善人で生きさえすれば、自然に湧き出てきて、楽しむことが出来る。

優渥で人を包むことの大切さを身につけていて、誰もが近づきたく無いと思うような者にでも、何の躊躇もなく声をかけ肩や背に手を合わせることも自然にできる。

 

無慈悲と善人と悪人

逸楽を楽しむ者たちの中にあっても、楽しもうとは思わない、それよりも「なにか人のために」と、その横で考えている。そして、行動に移す。

いつも厚志に溢れ、気が付くと誰かに親切なことを感謝されて驚く己に驚いたりする。

はじめは、感謝される喜びよりも、親切にさせて頂いたことに己の心が満たされる思いであったのが、いつの日からか、それが当たり前のことなので、ありがとうの言葉に驚いたりしているものである。

そんな善人を見て、唾棄する者は少なくない。多くの者に敵愾心を持って見られることにも、慣れているので気にすることも無い。

無慈悲な者が追いかけてきて、殴りかかろうとも、遁走することも無く、どうぞ、と言う顔で相手に殴られても見ようとするが、所詮は無慈悲悪人暴力怒鳴る、このような者は臆病で弱虫なので、立ちはだかり逃げもしない善人に恐怖を覚え「覚えてろよ」と吐き捨てて逃げていく。

幽寂な森とは言うが、幽寂な人と呼んでもよいのかもしれない、何もない時にはひっそりとして、偉ぶったり、善行を誇らしげに語ることも無い。それが、善人である。

あなた方は、皆善人から始まっている。だから、善人に戻ること、善人となり日々喜びを感じること、「なんとかなる」この言葉の中に全てが秘められていて、実は善人になることは非常に容易なことなのです。

但し、世俗の楽しみを捨てられない者は善人にはなれない、所詮は悪人で、たまに善人のふりをしているだけの無慈悲な者に過ぎない。

それでもいいなら、もう一度言う、ここに来るたびに畏れることになるのだから、ここへは来ないことが一番良い方法だ。

無慈悲な者達よ。善人は神になるのだよ。

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない ヴィーガン

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)