似て非なり:第四百二十三章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

似て非なり

 

似て非なり

人は人に気に入られることを望むことが多い、それが、もし阿諛追従といい媚び諂う(こびへつらう)のであれば、これも一つの俗欲という欲望となり、あなたを苦しめる原因ともなる。

このような時には、己の中から抜け出して、外から、己が相手に対して、媚び諂う姿を見てみることです。その姿に、あなたは恥ずかしさと情けなさで、自分の愚かさを知ることになるでしょう。

遜る(へりくだる)ことと、媚び諂う事は似て非なりものであることを忘れてはなりません。方や、遜るとは、相手を敬い己を己で謙遜することであり、方や、媚び諂うとは、相手を己の得のために敬うふりをしたり、機嫌を取ったりすることである。

同じ下に付くにも、こうも違いがあるのです。そして、あなた方の世界には、その僅かに見える違いが沢山あるからこそ、一つ間違えれば、自分の得のために何らかの行為を行っていることがある。ここをいつも見張っていることです。

方や、真理の道であるのに、方や、真理を遠ざけるものであることを絶対に忘れてはなりません。

俗世にいて、これらのほんの少しの違いは、見透かされてしまう。真心からなのか、裏があるのか。

そう考えた時、裏が無い者になるため、または、そのような真心で生きるには、心がいつも、おおらかな有様でなければならない。

心がいつも、広々とのびやかであれば、俗世に繋ぎとめられることはなくなり、世俗に関与する心を持ち合わせることも無くなる。

 

苦しみ

あなたが苦しいとき、あなたより苦しい者がいることを思い、人生に打ち勝つのではなく、あなたより苦しむ者を助けに行かなければならない。

あなたの周りには、苦しむあなたを見て、お前よりも苦しい奴がいるんだから、お前は大丈夫だと、励ます者がいるが、耳を貸してはならない。

それは、本当のあなたの苦しみを知らない者の言葉であり、自分が抜け出せない俗世に、自分だけにならないために、同じ甘い蜜の中に閉じ込めて置こうとする者の声だからである。

本当のあなたの苦しみとは、あなたが苦しいために、あなたよりも苦しむ者を助けに行きたくてもいけない自分を責めている自分であると思ってしまう自分がいることの情けなさを、ただ、情けない、申し訳ない、という言葉でしか逃げ道を見つけられずに困っている自分である。

両足を揃えてみなさい、両足を揃えられるのであるなら、何処へでも行くことが出来るでしょう。不測を考えるのであれば、その前に己の両足が揃えられるのかを、見てみることです。

 

生と死と徳

あなた方は常に、あなた方から見られている、決して、心と言葉に乖離があってはならない。いつも、自分の行いを見張りなさい。

病に陥り亡くなる者を、幸福なのか不幸なのか見ていなければなりません。ここに大切な話をしましょう。

死は徳であり、生は不徳である。この場合に言う徳とは、溺れかけていた水の中から、水面に出ることが出来たことです。

すれば、死が徳とは、死ぬことにより、溺れかけ苦しんでいた水の中から、出ることが出来たことを言っています。

しかし、苦しみから抜け出せたという、死、とはいっても、その死までの道徳によって、さらに苦しい水中に沈み込み、死ぬ前よりも、遥かに長い苦しみの世界に行くことは、せっかくの死を無駄にして、徳、をなくすことになります。

されど、苦しみから抜け出せたという、死、をもって、二度と水中に沈むことのない世界に行ってこそ、死をもって徳を得た者となります。

それからすると、生、というものは、苦しい溺れかけの状態のままに、たまに水面に出れたかと思うと、己の行いによって、水中へと沈む。この繰り返しだからこそ故に、生は不徳であるという事です。

しかし、生ある時に、神から授かってきた教えを守り、本来の意味である、徳、品性、品性とは人格であり、その人格は恒常的に遜ることで、逆に周りから尊敬や信頼を受ける者に、神が与えるもの、それが、徳、である。

生という、不徳の世界にいて、己の苦しみを顧みずに、足を揃える者こそが、他者のために生きる者で在り、徳を持ち死にいざなわれる。

これにより、生は不徳で、死は徳であることになる。このために、あなた方は輪廻転生をしてきた。

 

言霊

死を恐れる者は、神が授けた言霊を役立てなかった者であり、死を楽しみに待つものは、神が授けた言霊を生かした者である。

あなた方には、儚い時間しかないことは、何度も言ってきたけれど、儚い時間を無駄にしてはいないだろうか。今生にいる限り、不徳は当然のことと、受け止めなさい。

今日は、似て非なりと一つ間違えれば、どちらにもなることを話しましたが、このことを忘れては、知覚を啓くことは出来ない。

たまに水面に顔を覗かせて目いっぱい空気を取り入れても、さて、あなたは水中で何秒持ち堪えられるだろう。

仮に、水面に出た時に浮木に捕まることが出来たとして、幸せと感じていられるのは、どれくらいの時だろう。

浮木に捕まっているだけでは、誰も助けることは出来ない。己の腹を満たすこともできない。さて、八方塞である。

しかし、これが、今生で生きているという事なのです。何をしに、輪廻転生して来たのですか、俗世で甘い蜜を飲むために来たのではないことくらいはもう分っているでしょう。

足を揃えられる者は、足を揃えなさい。

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)