第二百三十四章:神と六十歳の船頭

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂き、次はどの章から読んでもかまいません。但し、必ず、全ての章を読むこと、それが絶対の約束です。

 

神と六十歳の船頭

 

神の七つの掟が見ている川を渡る船

 

六十歳の男が、初めてここにやってきた。そして、初めて神の七つの掟を知った。六十歳の男は、もっと若いうちに、ここに来ていれば、私の人生も変わっていたに違いない。どうして、若いうちに出会わなかったのだろう。と自分に怨仇(いつかやってくるかもしれないこと、それが自分自身の中で善と悪が戦っているさま)した。

その言葉を耳にした私は、彼に話しかけた。

私は、いつもは聞き流しているのですが、この世に降りては、あなた方に伝えるために、代筆者に私の話をあなた方にわかるように訳して話を書いて頂いている。

その内容を簡単に言えば、私になることは神になることで、それには神の七つの掟を守ること、守れば必ず、神になることを教えている。

でも今回は「もっと若いうちに、ここに来ていれば」と言うから、それは違うことを伝えるために、神の化身として声をかけた。

ただ、あなたがいくらまわりを見ても、私を見ることは出来ない。だから、私を探すのは止めなさい、時間の無駄です。それに何の意味もない。

あなたは、今は惇朴であり、これまでの人生を振りかえり、時に追われる今までの自分の愚かさを知った。

 

十七歳から働き始めて、職を転々とすることになる。あなたは、物事に対して捷径(てっりばやく近道ばかり探す)過ぎた。

何のために、都会に出てきた。それは、歌手になるためであったのに、歌手になるための苦労よりも、その間のアルバイトで稼ぐことに、意味もないお金に目がくらみ、歌手よりも、捷径で早く稼げる、そのアルバイトに熱中し、いつも自分を遁辞(言い逃れ逃げる・夢から逃げる)をしながら生きてしまった。

二十歳の前半ごろには、やくざにまでもなった。しかし、あまりにも馬鹿々々しいので逃げた。

また、人生の途中には、夢のような生活もあっただろう、しかし、それも捨てた。でも、捨てた理由が、俗世での悪い道に人を引き寄せるビジネスになってしまったために、もう一人の創始者に全てを譲り、裸になった。

あなたの人生は非常に面白いが、書ききれないので、いつの日か書いてみるかもしれない。

船のひもで結ぶ

そして今は、船頭だ。少し長くなるが、先日私があなたを見ている時の話をそのまま書こう。あなたのことを私は、客観的に見ている。
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いつものように船頭は、御客を乗せ、良い景色と涼しい風に心癒してもらおうと漕いでいた。

いつものコースは、許可を得ている川上から川下へ、一度海に出て、隣の川の、緩やかな川を上っていく、あくまでも緩やかなので、いつもやっている船頭には気にならない。

お客さんは、船頭のルートに心が洗われるように、空気が美味しくて、何よりも周りが美しい。

あるお客さんは、船頭さん、これだけのコースで値段が安すぎるよ。乗る側にとってはいいけれど、値段の数倍は払いたいくらいの気持ちにさせてくれた。ありがとう。

そんないつものことなのですが、お客様を乗せて漕ぎ出すと「船頭ここの船には酒は置いてないのか」船頭は、はい、申し訳ございませんが、飲食は何も置いていないんです。

そしたら、そのお客さんは、連れの男に、お前のバックの中に酒が入っているだろう。それを出せ、そして、酒盛りを三人で始めた。

船頭が、お客様に見てほしい場所など関係なく、酒でくだを巻いている。大声で、話していて、他のお客さんに迷惑がかかるので、船頭は「すみません。他のお客様もいて、この船はあくまでも、景色をお楽しみいただくことが、船乗り場にも書いてあったと思うのです」

酒盛りをする三名は船頭にかみついた。じゃ、金払って乗っている俺たちが悪いのか。そう言うなら他のお客さんに迷惑になるなら、ここで降りるから「止めろ」と言いました。

このやりとりは弥久の事に続き、船着き場に戻り、次のお客様を乗せる時間になることも船頭の心配の一つであった、船頭は、お酒を飲んで楽しまれることはわかりますが、私のお願いの仕方が悪いのでしたら、謝ります。どうか、ここで降ろせと言われても、それは生死にかかわるかもしれませんので、行うことができません。

酒酔い人たちは、金を払っているのだから自由でしょう。何を注意してるのですか。あなたは金をもらっているのでしょ、それであれば、客のために何かするべきで、客に説教するなんて、おかしくないの。三名のうちの女性が甲高い声を張り上げた。

船頭は、お客様の言うとおり自由です。但し、他のお客様もいる限り、また、船乗り場の注意事項にも書いていたように、私がお客様にお願いしたいことは、団体行動においては、その中で定められた範囲での自由だと思うのですが、いかがでしょうか。

私にはお願いする以外に方法はございません。ここまで私も揖譲していますので、お静かに船の旅を楽しんでいただくことは出来ないでしょうか。

おい船頭、船に乗って酒を飲むことを楽しみに来た、我々の気持ちはどうしてくれるんだ。

私は全員に楽しんでいただければと思っております。このままでは、全員ではなく、他のお客様には口を噤むしかなく、お客様だけがお楽しみになられているのではないかと、心から心配しております。

それでは、お客様の酒盛りが終わるまで、この川の真ん中に船を止めて、酒盛りが終わるまで待つことにしましょう。

酒飲み

 

他のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、此方の酒盛りのお客様が気持ちよく船の旅を楽しんでいただくために、どうかお待ちくださいませ。

そして、他のみんなで盛宴を見守ることとなった。

一人の老人が船頭に話しかけた。船頭さんは温柔敦厚ですね。なぁみなさん。美味しい空気が余計に吸えると思って、私らも黙って、酒盛りを見ていましょう。

酒盛りの皆さん美味しそうですな。私らも、船着き場に戻れば、酒盛りさんたちの楽しそうな風景は、この景色には似合わないけれど、船が着いたら飲ませて頂きますよ。

酒盛りたちは、気まずい空気にやっと気づいたようで、だんだんと話さなくなってきて、今度は、へりくだり、トイレはありませんか。お客様、見ての通りでトイレは無いんですよ。船着き場まで我慢してください。

我慢できないんですよ。どこか岸につけて頂けませんか。酒のせいでトイレが我慢できなくなった三人のうちの男性二人は、船頭に助けを求めた。

では、岸に着けますが、ここいらは毒蛇がわんさかいる場所なので、噛まれるかもしれないです。大丈夫ですか。

じゃ、船の上からは、お子さんたちも数名乗っていますので、教育上もよくない、また、まさか、そんな場面を見せるわけにもいかないでしょう。

恥をかくか、殺される危険性をとるか、さて、どちらがよろしいですか。

二人は、岸を選んだ。

そして何事も無かったような顔をして、船に乗り込むときには「今回の私たちの失礼を、謝罪いたします。申し訳ありませんでした」そして、ようやく静かな船旅は始まった。

人間の悍ましさ、悍ましいと言えば言い過ぎかもしれませんが、垣間見ることができたのだから、今日のお客様は、自分はこのような態度を取らない様にしようと学ばれたのではないでしょうか。良い見本になられた、酒人たちのあなた方は素晴らしい人ですよ。

私が、万が一にもこの船の乗客であれば、楽しいとは思いません。みんながすべて楽しめるなんて、そんなこともありません。誰かしら、不平は必ずございます。

でも、それを口にも態度にもださないのは、他の人の楽しみを奪いたくないからです。

お客様はお酒を飲まれているから、今のように自分たちだけが楽しめればよいと思われていることは、私にもよくわかります。

でも、一番楽しいのは、自分よりも、人を楽しませたときに、自分自身の最高の楽しみとなるのではないでしょうか。

是非、お客様には、お酒を飲んでいただき、周りの人を楽しませて、景色の素晴らしさ、空気のおいしさを、話して頂けないでしょうか。せっかくなので、是非、景色とお酒を割るには、この空気で割れば、最高においしいですよ。と、言っていただけないでしょうか。

ただし、貸し切りの時か、船に乗る前か、着いてからのいずれかで船が進み始めたら、お酒はだめですからね。
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私は、この光景を見ていて、いくつかのあなたの素晴らしさを見た。

あなた方は、この話を酒ではなく、別のものに置き換えて考えてみることです。

 

船頭とお酒

さて、話を戻そう。

六十歳だから、神の七つの掟は、今さら行っても意味がないと思っているようだが、それは全く違う。

でも、あなたの賢いところは、ここに書かれていることは、日々更新されているが、あなたは全てを、読んでから「もう終わりを迎える」ので無理だと言った。

つまみ食いの読みかたをしたわけではない。それなら理解する必要性がある。それは、書かれていたであろう、ここに来た日が始まりだと、あなたは六十歳、これから始めても、何も遅くは無い。

書いてあった通り、ここに来た者は必ず、生まれ持っての神の七つの掟の中の一つは持っている。

それが何かは、人それぞれ違う。

ということは、残りが後、六つと考えるのではなく、次の一つは今日から五日以内に行おうと考えなさい。そしたら、ちょうど一か月で、全てを達成できる。

しかし、一番の問題は、それを継続することにある。継続無くして、何の意味もない。

あなたは、まだ六十歳だ、これから始めて、何が遅い、逃げるのではなく、後退するのでもなく、前に進み、継続しなさい。

ここに来た者は全て、二十歳であろうが、あなたのように六十歳であろうが、全く関係ない。問題は、せっかく生まれもっている一つに後の六つを乗せて進むことです、でなければ哀れな人生です。ここに来た限り、他者のために生きる事です。

では、一つ話しておこう、せっかくここに来たのが三十歳なのに、言っている神の七つの掟は分かるが「それは、無理でしょう」といい、何もせずに、通り過ぎて行く者がいる、その者もここに来たということは、大木の神が、神の化身の私に託された人物なのです。

だから私は、その者を救いたい、この時点ですでに左へ落ちて行く者にならせてはいけないと、どうすればよいかをいつも考えている。

人は、努力すれば何でもできる。わけがない。人は努力するためには生きてはいないからです。だから、努力などあるときには無駄になり、ある時には必要かもしれない。

ただ、「思い」、というものは何があろうとも絶対に行わなければならない。

もし、あなた方に、思い、が無いのなら、ここにはたどり着かない。大木の神が、私に託された人ではないということです。

一度も、川や海に出たことも無く、一人小舟を浮かべて、流れるだけで、最後は、自分のいる場所すらわからない。もう、取り返しがつかない、流されてはいけません。決して何に対しても流されてはいけません。

神の七つの掟は、「思い」、で行うことです。

紙への思い

生きる時間は限られているのに、そんなに欲望をもって、何が楽しい。あなたたちが、豪華な家に住みたいと考えれば、天に行けば、あなた方の思うがままだ。

しかし、この世で、短い人生なのに、傷つけあいながら、欲望を取り合いながら、あなたたちは哀れ人か。そうではないはずです。

あなたは、いくつだ、仮に二十歳としても、後どれだけ生きると思う。病気や事故や事件に巻き込まれない限り、所詮は数十年で死ぬ。あなたは、棺に入るその日まで、いったい何をしてきたんだ。

よく考えなさい。あなた方がいくつであろうとも、ここに来たことは偶然ではない。来るべき齢になったときに来ただけのことだ。

船頭は、二十歳や三十歳などの時には、ここに来るべきでは無いから、今日まで来なかっただけで、船頭はここに来た今からが、始まりだということなのです。

逆に「そうか私はまだ二十歳だから、六十歳になったらもう一度くればいいんだ」という愚か者はここには来ない。もし、そのように考える者がいたら、私は見捨てる。

来るべき時、神の七つ掟を始めるときに、私がここに呼んだのであり、ここに呼んだ者が、その日から神の七つの掟を守らなければ、私は呼ばない。

それぞれに、必要な年齢があり、それが二十歳か六十歳かは、あることで定められている。ここに来た、その日が二十歳ならば、その日、二十歳から始めなければならない。

私は、船頭が六十歳になったら来るように、しただけのことです。

人生は、実に短い「今年は頑張るぞ」と言って、今は何月なのだろう。人生という年齢は、坂を下り落ちるように早い。もうすぐ、あなたが来ることを知っている、天の扉の番人は、次はあなたの番です。と言って扉に手をかけて、待っている。

大木の神は、全ての者を天で待っている。そして、神はハグをさせてほしいと思っている。

ここに来ることが無ければ、どこにも行くところは無い。

 

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身より

神より
「我が子よ、最新の数百章のページ程度の新しい章から読めば、最初のページから三ページ以上づつ読みなさい。そうするといつか近づく日が来る。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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