輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
偽善行為
今回は、偽善、売名について質問を頂いたので、話をします。
売名に関しては、あくまでも、寄付や慈善事業(行為)を行う場合に限られた話になります。
さて、まずは、偽善も売名も、見返りを求めず奉仕をするのであれば、何も問題はありません。
但し、己が良い人だと思われようと考えて行う行為は、偽善です。
己のことを、他者が良い人と思うことは、それは他者が思うことであり、偽善とは呼ばない。
さて、苦しむ人に、施しをして、己が望んでいなくとも、その見返りに、自分の記念碑を建ててもらったとしましょう。
なぜ、苦しむ人たちが、記念碑を建てられたのでしょうか。
それは、施しを受けた人が、施しをしてくれた人のお蔭で、苦しみから助けられたからこそできる恩返しになるでしょう。
私は、前章で、GIVE&GIVE の心をもつ人になるように。と言いました。
心が、GIVE&TAKE を求めて、「施し」、「奉仕」、を行わなければ、よいのです。
賢者・聖人の像は、何のためにあるかご存知でしょう。賢者や聖人の像は、その功績を後世に残すために立っています。それをみて、その功績を知り、学び、そして共感したり、相反したりするためにあるのです。
像を見、その者の善行と言う功績を知ったのならば、自分も同じ行いができるようにと思い、善行をまねすることは良いことです。
それ故に、故意でも無く望むことでも無ければ、善行を行ったことで、己の名前が世に知られ称えられても、決して悪いことではありません。
世に名前が出ている人であるなら、名前を出して行為を行うことで、追随してくれる人が増えるのであれば、それも悪いことではありません。
今、苦しんでいる人を目の前にして何もできない人もいます。その者たちも、本当は何かを行動に移したいのです。でも、じっとして善行を行わなければ、隣で苦しんでいる人を助けないという愚か者となるだけです。
GIVE&GIVEの心で奉仕を行いなさい。
後は、奉仕を受けた人たちが、自分たちの足で立ち上がることができた日に、自分の家に、あなたの名前を飾るかもしれません。みんなで集まり、壁にあなたの名前を刻むかもしれません。街で集まり、あなたの像をつくるかもしれません。
あなたが、それを求めていなければ、その功績を継ぐ人が次に生まれ、亡くなった後も永遠に奉仕ができるかもしれないのです。
だからといって、奉仕を受けた人が、恩返しに像をつくったり、名前を刻んだりする必要はありません。
奉仕を受けた人が、行わなければならないのは、いつか恩返しができるように努力することです。
決して、奉仕をしてくれた人に恩返しをする必要など全くありません。奉仕を行う相手は、苦しんでいたり、困っている人を見つけて行うことです。
奉仕してくれた人に、奉仕し返すことは全く必要のないことであり、不要な行為です。
苦しんでいる誰かに奉仕をしましょう。
これが、GIVE&TAKE ではなく、GIVE&GIVEなのですから。
仮に、名前を伏せて奉仕をする人がいれば、それも立派な行為です。如何なる奉仕の仕方にも、何らの差はありません。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身