輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
善行と見返り
今回は下記のお手紙を相談フォームからいただきました。
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生きている間に今まで犯してきた罪や、記憶には無いのですが前世で行ってきた罪の償いの為に、他者の為に生きることは正しいことと思っております。
ただ、教えられる7つの掟の中で他者に親切にしたりして、それを継続させるためには、まだまだ欲がなくせない者としては、見返りが少しだけでもあればもっと頑張れるのにとついつい思ってしまいます。
他者に親切にしても、その見返りがあまり感じられないというのは、なんだかとてもさみしいと感じながらも行うことは行おうと努力する日々です。
努力することなく楽しく善行を行うことは難しいので、どこかで逃げ出してしまいそうな自分がいます。
どうすればよいでしょうか。
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お手紙ありがとう。
他者の為になぜ生きるのか、それは過去世までに、己の犯した罪の償いであること、このことを先憂後楽しているのだから、善行を行えることに、見返りではなく、感謝するべきことでしょう。
今日、話すことは、今日を限りに忘れて善行を行いなさい、そうでなければ、見返りを求めて善行を行う者となり、それは、善行と言われるものではなくなるからです。
実際には、一つの善行を行うことに対して、三度の見返りがやってくるのです。一度の善行で、三度の見返りを手に入れられるのです。
あなたが他者に対して、例えば、老婆が横断歩道を渡ろうとしているならば、信号が変わらないように、手を取って差し上げ、横断歩道を渡り切ることができれば、あなたも善行が一つ行えたことに感謝する。
すれば、老婆は、あなたに対して「ありがとう」の言葉を心の底から言われる事でしょう。そして、そのありがとうの言葉を聞いたあなたは、「なんて今日はついているんだ」と思こともあるでしょう。
然るに、これは、見返りではありません。少しは、ほっとしましたか、これが見返りだと言われたら、残すは二つしかなくなるので、気をもんだだろう。
三度の見返りの、一番最初に起こる見返りは、例えばAという善行を行ったとしましょう。しかし、あなたは、その後も善行を日々続けて行くことで、いつの日にかAという善行為のことを完全に忘れてしまっています。
一番目の見返りは、過去の善行を忘れてしまったときに、喜びをあなたに届けようと、プレゼントがやってくるのです。そして、あなたは、その見返りである、善因善果に喜びながら、昨日の善行への見返りなんだろうな、と考えてしまうことでしょう。
二番目の見返りは、あなたが本当に何かで困っている時、それは、家庭のことや、他人との付き合いや、突然の病かもしれないが、あなたを助けるものが、必ず、現れる。
三番目の見返りは、肉体から離れ、天へ行き、天国へ行き、大木の神にハグをされ、神となるということです。
これだけの見返りは、たった一度の、己の罪の償いのための、善行によってもたらされるのであり、あなたの日々の善行によって、あなたは三度も見返りを与えられるのです。
但し、心胆に正直に生きなければならない、見返りを求めて行うことは、罪の償いにならないどころか、欲望という罪を作っていることになるが故に、何事にも正直を礎にして、生きて行かなければ、見返りはやってはこない。
少しでも邪な考えを持ったならば、足を止めて、風を吸い込み、風の匂いを味わい、己の利益のために他者に親切にしようとしていないか、自家撞着して、己の欲望が一つも入らない、そんなことを考えている暇があるのなら、今すぐ老婆に駆け寄り助けなければならないという思いに、常に駆られる者となることです。
そのような者だけに、徳は与えられ、三度もの見返りがやってくるのであり、それを手に入れるためには、遠慮会釈に立って、あなた方が本来持っている生得的な正直さに立ち返り、廉潔であることが必要です。
今日を知った限りは、ほんの少しくらいなら道義を怠っても良いだろう、その代わりいつでも辞められるのだから、これを最後として甘い蜜を舐めてみようと思ってはならない。
善行は何時でも始められるが、悪行は思い通りにはやめられない、いつでも行えるからと、今日から善行を行わない者は、いつまでも悪行を止められることはなく、見返りを手にすることも当然ない。
今以上の、善行を行う豪勇がないからと嘆く者よ、目を瞑って恐怖の中に飛び込むならば、豪勇があなたに野心を捨てさせ抱懐することとなるのです。
最後に言っておくが、今日の話を、二度と思い出してはならない。思い出して行為を行うのならば、それは己の我利のためであり、罪の償いにはなることもなく、徳を頂くこともない。
だからかといっても、三度の見返りを楽しみにしてしまうことは、性であろう。だから、無理をして遠ざけることはない代わりに、「見返りを三度も頂けるというけれど、私はいらない、その為に、他者の為に生きているのではない」見返りを思い出すたびに、このことを念仏三昧唱えればよいのです。
立ち止まるのならば、常に、他者の為に己の利己を捨てているといって、正直に己の心と歩んでいくのです。ただ、正直に。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身