生き方は三つしかない:第五百九十一章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

生き方は三つしかない

 

生き方は三つしかない

あなた方が、ここへ来たのは、輪廻転生の意味を知り、あなた方が、今生で何を行うと決めて来たのかを、知るためである。

あなた方が、輪廻転生をしてきたのは、罪を償うためであり、そして償いを終わらせ、天国に行き、神となるためなのです。

罪の償いの方法は、善行であり、それは困っている者を探しては、助けて歩く事であり、一つの小さな善行が、一つの大きな罪の償いとなり、いつか、あなた方は償いを終わらせて、天国へ行き、神とならなければならないのです。

 

三つの選択

この世の生き方は、三つしかなく、あなた方の中には未だ、三つの中を行ったり来たりしている者も多くいる。

三つとは、困っている者を見つけた時の、あなたの行う行為であり、その三つを書いてみよう。

一つ目は、困っている者に出くわしたならば、後ろを向いて逃げ去る。
二つ目は、困っている者に出くわしたならば、その場から動かず、座視する者となる。
三つ目は、困っている者に出くわしたならば、疾駆の如く走りより、助けさせて下さい、という。

これが電車で、席を必要とする者に出くわしたとして、あなたも立っていて、席を必要とする者に、誰もが下を向いていたとしたならば、その中の誰かに、「すみませんが、こちらの方に席を譲って差し上げて頂けないでしょうか」、と言う言葉が出るようになれば、もう、あなたには、一つ目も二つ目も訪ねてくることは無くなる。

三つ目を行う時があっても、未だ、一つ目も二つ目も時々訪ねてくるという者は、罪の償いの道のりが辛いと身悶えしていることだろう。

今回の、席を譲って頂く話の場合、あなたは二つの徳を得て、二つの罪の償いを一度に終わらせたこととなる。

あなたは、座っていた者へ、席を譲ってほしいと声をかけた、この時点で、声をかけたという行為だけで、あなたは一つの善行を行い、一つの罪の償いを終え、一つの徳を積んだ。

しかし、もう一つある、あなたが声をかけて席を譲った者も、一つの善行を行い、一つの罪の償いを終え、一つの徳を、あなたのおかげで積んだことになり、この場合には、あなたにも一つの徳が積まれる。

一つの善行のように見えて、実は複数が絡み合うこともあるのだから、善行は行ってみてからしか何もわからず、然るに、考えてから行動するようでは、このようなチャンスを頂けることは無い。

三つ目の道を歩く者は、邪悪な肉体から逃げられないことを知っており、それでいて、邪悪な肉体が操ろうとしても、肉体が命令する言葉を聞く暇などないため、邪悪な肉体に操られることも無い。

 

邪悪な肉体とバラ

邪悪な肉体に操られる者は、夢と失望の間で煩悶とし、輪廻転生を行って来たことを台無しにしてしまい、この先に輪廻転生を行おうとも、二度と神となるチャンスを己に与えることも無い。

善行の道が今生にあり、あなた方は、その道を歩くことで、己の大切なもの、必要とするものを、他者に分け与えてこそ、価値が出ることを知る。

三つ目の道と言う右の道を歩く者は、神となる日までの物語の主人公が己であることを知り、主人公の役目を果たすことに全ての時間を費やし、時計の針が止まり、神となる。

三つ目の道と言う右の道、神の七つの掟は決して難しくはない、それは誰もがわかっていることであり、但し、困難であると感じる者がいる、それでこそ、困難を克服することで、喜びの随喜之涙を溢れさせる日が来る証であるのです。

あなた方の中には、生きる目的を誤り、硬い鉄の塊に、手縫い針を指しこもうとする。実を結ぶことのない、無益な時間を浪費しながら生きることは、止めておきなさい。

満ち足りた気持ちになれないでいるのは、一つ目と二つ目に尋ねてこられては、ドアを開けてしまい、あなたは無為となるからであり、満ち足りた気持ちになりたければ、只管に、三つ目を歩き進むことで、いつも、あなたの気持ちは満ち足りている。

 

三つ目に生きる

一つ目と二つ目の者に言っておこう、幸福というものは、不幸が待ち伏せをしていることを知らなければならず、一つ目を選んだり、二つ目を選んだりして、俗世の幸福を手に入れようとする行為、その行為こそが、不幸に堕ちる証なのです。

幸福とは、他者のために生きることです。それ以外の幸福など絶望への坂道です。愚かな幸福が高くなればなるほど、坂道へ落ちるスピードと落ちた時の痛みは大きくなります。

三つ目を生きる者となり、貴い徳で、あなたの棺の中をいっぱいにすることが、輪廻転生をして来た目的を達成させたことになり、この世の短い時間に、恥辱を受けることも無く、さよならが言えるのです。

他者を守らぬ者に対して、神が仏の姿となり仏罰を与えたりはせず、この世で言う神々が何か罰を与えることも無く、神は、ただ見ているだけなのです。

あなたが輪廻転生をするときに決めてきたことを、守っているかを、いつも、神は見ているだけです。

私も見ているだけです。でも、私はあなたが大木の神に会いに行き、神となるために話しています。

 

三つ目と言う右の道と木

今日から行うのであれば遅くはない、三つ目を選択し、今までの積年の罪を、高く積み上げてしまった、いくつもの跳び越えなければならなかった、罪の償いのハードルを快翔しなさい。

常に控えめでいて、プライドや智慧は捨てるのです。たとえば、青い花を見て、青くて綺麗という者に対して「なぜ青いのか知らないでしょう」と言ってはならない。

あなたは、単純に綺麗ですねと返すだけにしなさい、もし、相手から、どうしてこの花は青いのでしょうかと聞かれたなら、初めてあなたの知っていることを伝えなさい。

己の智慧など、ちっぽけなものなのに、それを使って何かを行おうとするのならば、そこにあるものは、作為から生まれ出るものであり、最後の結果は、この世の短い人生の時間を無駄に使い、棺の中には、尊い徳が入ることは無い。

最後に言っておく、他者の幸せのために祈るのではなく、弱い者のため、困っている者の為に、三つ目を選択し、三つ目に生き、行為に移し、罪の償いを終わらせ、この世を去り、神となるのです。

先延ばしにしている時間はない、輪廻転生時にあなたが決めて来た、三つ目と言う右の道を歩くのです。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身