輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
朝令暮改
ある若者がいた、彼は非常に朝令暮改であり、見ていても楽しくなるところが多々ある。たとえば、その一つに、一番有名な頭脳集団の大学教授が話すことと、名の知れぬ大学教授が話すことを聞くと、二人ともが同じ分野の専門家であっても、意見が違うと、有名大学教授の言うことが正しいと決めつける。
そうかと思えば、その二人の意見に違いがあった場合、自分の考えていたことと同じことを言う教授の方を信じ、さっきまでは、大学のネームバリューで正しいと思いこんでいたと思ったら、あっという間に、自分と同じ考えを語る者が正しいとなり、結局のところ、自分というものを持つことが出来ない、愚か者となっている。
愚か者の彼は、いつか気が付きこれではふらふらしながら、前に進むことが出来ないと思い始めた。
彼の思ったことは、今の討論会など聞いていては、同じことを繰りしてしまうため、すでに過去に答えを出されている、古の賢者の書物を読みはじめる。
そして、それが正しいと決めつけて、今も壇上に立ち、信者集めのために共感を持たれるように書き換えられた書物とは知らず話す者の内容と、古の賢者と比べて、違っていれば、壇上の者に怒りをあらわにする。
彼は、結局のところ何も判断できず、怒りに凝り固まるだけの者となり、古の賢者が本当に書いたかどうかより、自分の考えていることと同調するのならば信じて、それを周りに恥じることすら知らずに、押し付ける者となるのだが、また、そこで新しく見つけた、賢者の話が己の考えに近しければ、さっきまで信じていた賢者の話ですら、三日坊主で、終わっていく。
結局のところ、思い込みが激しく、神とはこのようなものだと決めつけてしまっている。
以前の章でも書いたように、神はあなたが考えるような次元など超越しており、大木の神は、何事も楽しく過ごされて、この世の説法を説く書物に書かれているような方ではない。
償いを行わない者達には、そのような神を理解することは出来ないが、償いを行う者達へは、必ず、理解が出来る日が来る。
心留まることが無い者は、素直にも俗信を飛び回り、落ち着くこともでき無いのに、帰依に縋る。周りから見れば、可哀想な人としてしか見られることが無い人生を送り、何の役にも立たないまま、棺の中に入る。
ユニセフ等へ寄付を行う行為は素晴らしい事であるが、それが三日坊主で終わったり、給与の中の、その中の小遣いの中の、その中の一部であってはならない。
それでは、小さな子供でもお年玉や、良いことをした時に親から頂ける、お金を寄付しているにすぎず、大人として恥じる限りで在り、せめて小遣いの半分を超える額は、ユニセフ等へ寄付することです。
しかし、彼は、それすら数回行っただけで、善行の全てが分かったような気持で、誰かに自慢したくて仕方なくなり、己が寄付を止めても、他者には寄付することをすすめる、愚か者なのです。
苦節と誓った、己の信念を貫き通すには、どのような自己も神の前では存在すらしないものであることは忘れてはなりません。
鳥は翼が無ければ、空を飛翔することは出来ないという思い込みと同じで、現実には空を飛んではいなくとも、あなたの優しい介護によって、翼を取り戻したならば、どこまでも飛翔していくことを学ぶことです。
最も優れている者は、俗世に堕ちてきてから、白眉となって俗世にいることすら知らぬ者であり、神を知らぬのに神を語る愚か者が、白眉となって俗世から出て、道を歩くことは出来ない。
私は、この教えのキャプションでも書きました。ここに呼ばれた者には、無意味であると思うけれど敢えて言うならば、宗教や賢者が昔語ったとされる話は、ほとんどが信者集めに長年にわたり粉飾されているということ、また、その本自体が、宗教で言うのならば、その祖が書いたわけではなく、弟子たちが祖から聞いたとされる話を弟子たちが書いたものがほとんどであり、その際に、信者集めのために手が加えられたり、削除されたりしているのです。
しかし、その中にはあなたにとって素晴らしい道を歩かせて頂ける内容も多くあり、その教えを聞いたならば、黙して行為に変えて、前へ一歩ずつ進むのです。
だから、いろいろな宗教の門をたたいて、あなたにはわかることのない、神の言動を少しでも感じることです。
成否が右と左に相反して、あなたを引き離さないと、まるで綱引きのように、片側は右の手を持ち右へ進み、片側は左の手を持ち左へ進んだとしても、あなたは、あなたの知恵を使い、後塵を拝する者はどちらなのかと、愚かな知恵で考え、己の愚かな考えに近しい方へと引きずられるようにと必死な形相で向かうのです。
あなたは、そのような者となってはならない、己の考えに近しい者が、神であるなどと思う者は、前兆の前触れが、向こうからくるのではなく、あなたから向かうことになる。
臣下がいて君主が生まれ、君主がいて尊ぶ者が生まれ、尊ぶ者がいて天の門の前に辿り着けるのであり、あなたはさて今どこにいるだろう。どこにいようとも、彼のように、己の浅はかな考えで、神を択ばず、ただただ只管に、他者のために生きれば、良いだけのことです。
君主を選ぶとき、尊ぶ者を選ぶとき、神を択ぶとき、いずれの時も、己の劣った知識が捨てられないのなら、己の考えと違うものを選びなさい。そして、三年たてば、何が正しくて何が違っていたのかを知るのもよしとすることです。
今の、彼のような考えの中で狂奔していれば、何もせずに最後には、己の考えが正しいのだと、憂悶して罪の償いも出来ず、時計の針を止めることになる。
何も、難しく考えることなく、今日の話からも何も学ぶことも無く、あなたは神の七つの掟のみ行い続けるだけで、それほど長い時ではなく、足元を見れば右の道へと歩いていることに気が付く日が、必ず、やってくる。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身