同情とは行為:第四百四十四章

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同情とは行為

 

同情とは行為と輪廻転生

あなた方のいる世界には、あなた方を成長させる沢山の苦しみが、烏合のごとく寄り集まり、立錐の余地もないけれど、それらの全ては、あなたが望み、あなたを責め立てるようにと、あなたが決めてきて、輪廻転生をしてきています。

この苦の世界において、あなたは、あなたという人格を作ることが、大切であることは言うまでもありません。

その人格というのは非常に簡単で、神の七つの掟を守る、他者のために生きる人格です。

失敗も成功も、この世でのことは、どちらでも同じです。どうせ、生きている時間は、僅かしかないので、それが、他者のためになることを、行った結果であれば、どちらも、神となる上において、成功と呼べるのです。

 

人格者

あなたは、常に優しさを持っている。同情ということを考えたことがありますか、有るということは少しおかしい。

すでに、行為に移さず、言葉巧みに逃げることが身に沁みつき、済度し難い者となっていないだろうか。それを心して同情について、再度チャンスを与えられたと思って聞いてみてください。

同情というものは、後先考えることもなく、ついしてしまう行為であり、考えることとは違うものなのです。

同情と苦しみは、初期の段階で人格を構成するもので等しいものです。苦しむ人を助けようとすれば、己が苦しみます。これが同情というものです。

同情すれば、己が苦しむので、同情はしたくないと思うのであれば、そこで、あなたは苦しみから抜け出せなくなります。

すれば、己がどのようになるかの浅はかな考えを捨てて、苦しい者が、あなたの同情によって救われることを、行動によって示せばよいだけのことです。

己のできる範囲の中で同情するというのは、同情ではなく、逃げ口上というものなのです。

己のできる範囲を超越したときに生まれるのが、これまた、真理であることも、あなたが決めてきた同情に他ならないことを、忘れてはなりません。

三回の過ちが許されるのであれば、三回の人生を捨て同情を行ってみることで、同情の裏に隠されたものを見ることができます。

弱きものはいつも、優しさを弱さと誤りみている。できない、できない、できない。これが、あなたの中で、己にとって精一杯であると訴えようとして、しかし、本当は、やればできるのに、その方法を知りながら、逃げている。

 

同情

チャンスは、そう与えられるものではない。あなた方の中には、チャンスとは直接的に自分に良いことが、安易な言葉、安易な行為で、勝手に降りかかってくると思っている者もいる。

チャンスは、あなたが行った最大の同情によって、帰ってくるものであることを、よく覚えておき、雑事に煩わされて向上心が削がれそうなときにも、同情という行為を、言葉ではなく、行為で示さない限り、柔い考えや、見え透いた言葉の努力など、神には薄っぺらすぎて、ただ、愚かに、そして大変悲しく見える。

比まれな才能に因んで、今生から天国へと向かうあなたが、今も俗世で楽をしたいのであろうか、今も世俗で、あなたを助けたいけれど、今の私には何もできないと、空涙を流してみせるのでしょうか。

悪行が罷り通る俗世の中で、己は違う、己は本当は助けてあげたかった。だから、己は悪行を積む者ではない。そのような愚かな声で叫ぶのはやめておきなさい。

今からでもできるのだから、やり方を考えられるくらい一人当千極めて高い才能があるあなただから話している。

この世に輪廻転生するときに抱いてきた、あなたとは違うようだ。卑しい思いに甘い蜜を吸って、情け深い顔をしながら、卑しい者となっている。

何度も言う、これは、あなたに安心を与えるための言葉であり、それが全てだから言うけれど、あなたの時計は、止まるのを急いでいる。

それでも、卑しいものとして、言葉巧みに、己を犠牲にせず、相手に同情を売り捌くのであれば、滑稽な人格者というほかにない。

生きている上においては、気忙しいくらいが寧ろあなたのためにはよい。そうすることで、余計な計算高さの愚か心を多少なりとも、越えていけることでしょう。

あなたの心を、常に丹念に磨ぐことが、あなたの全身全霊を同情に捧げることが出来ることとなります。

 

失敗と同情

誰かが、何かを始めようとするとき、愚か者は「それに、君の全てをかけるというけれど、失敗したらどうするんだ。やめたほうが良い」といい、賢者は「それに、君の全てをかけるというのであれば、危うくなった時には、一番最初に助けるので、これからは君から目を離すことはない」

いかなることも賢者と愚か者は、相手に対する見方の違いではなく、己の行動が先に違っているのです。

失敗を恐れずに、失敗をすることこそが、大切であり、その基本的なことには常に、その行うことが、人のためになっているかということです。

人のためになっているのか、そこさえ間違いがないのであれば、失敗をしても、それは決めてきたことであり、そこに手を貸す権者も、同じ気持ちで、行為をしているのです。

己を捧げた者に与する帝(大木の神)というように、儚い人生で、何のために輪廻転生をしてきたのか、それなのに、帝と約束をした、すべてを他者のためにという言葉を、言葉だけで、己を犠牲にしないのは、この世の蜜から離れられないということです。

己の思うようにならないことを慮り、憂は横にあっても、心改めることはなく、その場、限りの言葉で、うまく取り計らったと思うのが愚か者である。

 

同情しないものが棺の中へ

そして、時を濫りに使い、あなたにとって、あなたの行いに多くの者が、あなたの棺の中の姿を見て、無駄に時間を過ごした人だとわかる姿となっている。

それは、無駄に時間を費やし、同情に生涯を捧げることもなく、過ごした結果の、あなたの姿は、装身繕いすることもなく、言葉だけの人間であったことが、そこに現わされることとなる。

同情という、あなた方が普段使い慣れている言葉につてい、少し解いてみましたが、同情ほど、世俗にいる限り、他人でも友人でも家族でも同僚でも、すべてにかかわる機会があるものです。

あなた方が、地獄から出て、大木の神に、あなたの気持ちを伝えて、俗世に輪廻転生するときにも、同情を薄っぺらい言葉で誤魔化して生きることは、あなた方は、全く考えていません。

チャンスが来た時には、己の命と引き換えに、同情を行為とすることに決めています。そうでしょう。その引き換えの結果が、もし、あなたの全てを奪うものであれ、それはあなたが願ってきたことであり、チャンスを生かしたのです。

同情により、あなたが死を迎えるのであれば、あなたにとってチャンスに出くわしたことになるだけのことです。

あまり難しく考えないように、わかりやすい言葉を選ぶのに苦労しましたが、ただ、最後に一つ、口先だけの人間になってはなりません。

神は、あなたの同情をすべて見ているのですから。隣で困っている人を助けなさい。その人は、バスを待っている人かもしれない。行動と、人生をかけて。

特に、乞食を見たら神だと思いなさい。

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)