媚び諂う者とならず:第四百十六章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

媚び諂う者とならず

 

媚び諂う者とならず

今日話すことは、今一度思い起こさせるべきことを話すのですから、もう忘れてはなりません。

さて、あなた方にとって、世に迎合し、諂うことの方が、世をどれだけ生きやすいものかと思うのも当然なことなのです。

巧みにこびへつらうことで、歓心を買うこともできることから、ある意味においては注目もしてもらえるので、そこに生きている証を見い出せていると感じるのも当然のことでしょう。

しかし、そのように阿付迎合と、他人に取り入れられようとすることから、俗世にいながら俗世に嵌まっていくのです。

俗世にいながら、俗世に嵌まらず生きるために輪廻転生をしてきたというのに。それならば一度、気持ちだけでも己を己から抜け出させて、高いところに立ち、下にいる己を俯瞰して見てみることです。

あなた方は、俗世にいながら、俗世に赴くことなく生きると決めて、今生に来ているのですから、未だ、他者を助けて生きることよりも、俗人に媚諂い、甘い蜜を分けてもらいながら、まるで幻覚の中にいるかのように、生きることは他者を助けて生きることよりも楽だと思い込むことは大きな過ちであるのです。

甘い蜜の時間は僅かで、肉体を持っている時間は短いのだから、快楽はあっという間に過ぎ去り、左の道へと進み千年間の地獄の時を送ることになる。

自分で、地獄か天国かを選択できるのなら、この世で善行を行わなくても、裁判官の前で、右を選択すると言う者もいるが、可愛そうだが、不善を善で包み込まなかった者が、自ら右を選ぶことは無い。

肉体を無くしたあなた方は、善の塊のみとなり、本当のあなたとなるが故に、己の罪を、己が絶対に許すことは無い。だから、己で左を選ぶのです。このことを決して忘れてはならない。

 

不善を善で包む

人間として罪の償いの人生を送る中においても、人生最良の日と言う日がある。それは、亡くなる瞬間である。だから、今生において逸楽だけで生きることなど出来無いのです。

しかし、肉体を無くした次の瞬間からが、あなた方の本当の始まりなのです。そこから右へ行く者は、法悦と恍惚する世界に入り、鳶飛魚躍の如く、あなたの思うがままに時は終わることを無くすのです。

今生にいる時間は、ほんの僅かしかないのに、そのわずかな時間だけ、過去世までの罪、そして今生での罪の償いをする、それだけに、この僅かな時間を、償いの神の七つの掟に傾注できないのだろうか。

私は何度も繰り返し言っているが、罪を犯した相手に、直接償いをする必要など全く無いのです。奉仕や施し神の七つの掟によって行う償いは、他者の誰に行っても、あなたが罪を犯した相手への、償いとなるのです。

あなた方が、行ってしまった過ちを咎める者はどこにもいない、過ちは不善で在り、善で包めばそれで償いは終わるのです。

今の己を見、過去の己を見、そこに諫めるものがあるとすれば、そして、それが解決できないほどのふくらみを見せているのならば、何故それに囚われて、無駄に座り込み悩み続けるのか、その償いを為したいのであれば、他者に親切にしに外へ出て行きなさい。すれば、解決できないのではなく、解決させない己の既往に過ぎないことを知る。

年老いた者や、体の不自由な者、一時の体の不自由さを持つ者は、他者に親切にさせて上げるチャンスを与えなさい。そして、あなたに声をかける者の言うことを聞いて、奉仕をさせて上げなさい。それが、あなたの善行となり、相手の善行となるのです。

 

聖人と村人

ある村に来た聖人の話をしましょう。

そこは小さな村で、年寄りがほとんどであったが皆働き者で平鍬や備中鍬を持ち、一日中畑で働いていた。

その村には一人の青年がいたが、彼は一切働くことも無く、一日中河原の上で寝転んでは転寝をしているように村人たちには見えていた。

村人たちから嫌われているのかと言うと、全く違い、皆彼の食べ物を毎日届けていた。彼は、それを、周りの動物たちに分け与えた。

彼は、月に一度だけ、村人全てを集めて、今月どのような善行を行ったのか、一人ずつ聞いていった。

村人たちが、何のために青年にひれ伏して、青年の元に集まるのか、それは、この村に青年が来る三年前までは、村と呼べるようなものではなく、家同士の付き合いも無く、何かあれば醜い争いばかり起こしていた。

そこに青年が突然現れて、家を一軒ずつ回り皆に教義を説き、次の決めた日時に、決めた場所に必ず来るようにと話した。

 

罪を償う盗賊

その教義とは、誰も協力し合わないために、田畑は荒れ果て、数か月もしたら食料もそこをつきて、餓死してしまう。神がそれを見て何を思うのかを、神の言葉を訳し話して聞かせた。

約束の日時に、ほとんどの村人が集まった。村人たちは、すでに青年の教義を少しでも聞き、心が動かされていたために、青年を聖人と信じひれ伏していた。しかし、人々は、他の人々に迎合するくらいなら餓死してしまった方がましだと青年に話した。

青年は、媚び諂う態度を誰にもとる必要は無い、そして餓死するのはあなた方の自由だが、憎しみを持ち、罪を持ち死ぬことは、あなたの胸の中にいる神に対して、そして、天で待つ神に、どのような言い訳をするのだろう。

村人の中から一人の者が話しだした、誰にも憎しみは無いのです。その逆で、神にも皆にも、そして私たちに襲われた人々に、許して頂きたいのです。

今は、皆年寄りになっていますが、この村の者はすべて盗賊で、街道を通る旅人を襲っては、全てを奪い取って生きてきました。

しかし、皆年を取りそれも出来なくなると、互いの物を盗み合うようになったのです。そこから、何か物が無くなると、疑心暗鬼になって周りの者を疑うように、皆が皆そのような思いになり、今このようなことになっております。

すると、憎しみを持つと言っていた者達も同じように、許してほしい、と涙を流し始めたのです。

 

街道

青年は、許されたいのであれば、互いに許し合うことで解決できないこともあり、積年の恨みであれば、尚の事である。

あなた方が、互いに心の底から許し合うためには、街道を通る旅人に親切にすることから始めなさい。

そのためには、田畑を耕し食べ物を育て、旅人たちに配りなさい。そして、それが当たり前のように思えるようになれば、それぞれに善行を行いなさい。すれば、あなた方の過去の罪を一つずつ償うことができるのです。

月に一度、これからはここに皆を集めるので、その時に、その月にどのような善行を行うことが出来たのかを、私にだけ聞こえるように耳元で話して頂こう。

私が、その代わりに、あなた方の善行が、過去の過ちから許されるようにしてあげましょう。

村人たちは、協力し合って田畑を耕し、旅人たちに奉仕と施しを行いながら、八年足らずで全ての村人が天に召された。

聖人は、最後の村人を天に送ってから、村を去って行った。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身