第三百二十六章:狂う者たちへ

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は気になる章をお読み下さい。もし、全ての章を読まれたなら、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。それは約束致します。

 

狂う者たちへ

 

道理を説く雀

物事や、物の完璧さを知るには、使ってみることである。そして、目で見て素晴らしいと思う物と、稚拙だと思わせている物を、あえて試してみれば、稚拙に見えた物が、いかに完成された物かがわかることがある。

人の目をあてにするよりも、試して、行ってみることが大切だという事です。淵源には、物だけに限らず、者も含まれている。

鶏群孤雀を訳せば沢山の鶏の中に、一羽の雀がいる。踊り狂い、酔い狂い、遊び狂う、その俗世の中にあっても、道理を曲げることも、そのような物に溺れることもなく、あえてそこから逃げもせず、狂う者たちを助けるために人生を捧げる。それが沢山の鶏の中に、たった一羽しかいない雀のことである。
(あくまでも鶏はたとえであり、決して鶏が悪いわけではない)

あなたは、何かに狂っていますか、それとも、雀のように、まずは、その狂う者の中に飛び込み、皆を助ける前に、己が道理を守れる者となり、それから狂うものを助けようとしていますか。

 

 

神の掟を習慣化する主君

神の七つの掟を己では行わず、それを習慣化できている者に、こびるような阿諛追従のごとく、習慣化している者の後ろにくっつき、その者に気に入られるような、ことばかり言い、最後まで、それで切り抜けても、習慣化している者は、私を見て己で考え、私のまねをしてほしいと願っている。

狂っている者は、習慣化したある意味において、主君と呼ぶ者のの後ろに付かせてもらっているのに、そのチャンスを取り違えている。

そして、主君に付く者が増え、主君を尊敬し、主君のまねをして、いつか習慣化できたときに、己も主君となり、狂う者を助けるために俗世を歩く。そして、ただ主君の後ろに付いて、何も己では行わない者は、後から来た皆に追い越されて行く。

しかし、そのような者は、後から来た者に追い越されることには、許しがたい怒りを覚える。握れる拳、笑める面に当たらずというが、しかし、七つの掟を習慣化した者は、振り上げられた拳にさえも笑顔でいるために、拳を下げざるを得なくなるのです。

愚か者というものは、俗世が大好きで、大金が手に入る、それも方法は巧みで、ある意味犯罪ではない、そういうときに何かしらあるもので、刑務所の塀の上を歩くようでいて、刑務所側には落ちない。

そのような楽しみは極端な話であり、然れど、小さなことでは日常茶飯事起こしている。人を怒鳴りつけたり、嫌がらせをしたり、騙したり、数えればきりがない。

酒を飲めば、自分の悪さを棚に上げて、そこにいない者の悪口に花を咲かせる。大きな声で、周りに人がいることなどお構いなく、己の過去の武勇伝まで持ち出す。さもしい者が多くいる。卑しい者は限りなくいる。

そして、そういう者ほど、首鼠両端と言われるのである。穴から顔だけ出して、三百六十度見渡し、今は、どうすれば上手くいくのかばかり覗いては考え、道理という輪廻転生をして来たことも忘れ、道理に逆らう。愚か者よ。

愚か者は、残念なことに思慮深く無く、軽薄な者であり、静かに唾を飲み込めば、周りの者からは、一目置かれるというのに、怒りを放つ。

 

 

時計の針と神

私がいつも言う、儚い人生、儚い時間、時計の針は チックタック チックタック と、終わりへと、止まることなく進み続け、巻き戻すことはできません。

だから、あなたの放つ言葉も、巻き戻すことはできないのです。それは、あなたが信じる神に手を合わせようとも、巻き戻すことはできません。

一度ついた、あなたのイメージを回復させることはできません。しかし、たった一つだけ、あなたという人を見直してもらえる方法があります。それは、神の七つの掟を行い、それを習慣化することです。

それ以外に、子供ではない限り「もう二度といたしません」と言えば言うほど、あなたから周りの者は離れ、幼稚扱いされるのです。

神の七つの掟を今日から行わなければ、今日ここに来た意味はありません。この先も後ろ向きに挑戦して敗者となるだけのことです。

 

 

神が助ける

下化衆生という言葉があります。俗世は迷いの世界であって、真理を極める者はわずかしかいない。けれど、真理を貫く者は、俗世で狂うものを救うために、愛というものを持ち合わせなくてはならない。

この言葉をも包んでしまう行いこそが、神の七つの掟であり、それを習慣化した者だけが、輪廻転生を終わらせ、天国への緩やかな坂を歩くのです。

あなた方は、同じこと輪廻転生を何度繰り返しても、また、繰り返す。永劫回帰は、もう終わりにするのです。

それを止めて天国へ連れて行くために、大木の神が選び、私に託された者たちだから、この話を聞くために、順次集まってきているのです。残念だけれど、私に託された者たち以外は、この話を聞きに、ここには来ない。

あなた方が、困ったときや、自分の欲望のために加持祈祷等しても何の効果もありません。祈るのは「人を助ける人間として今日から頑張りますので、神様見ていてください」「人を助ける人間になれますように神様お願いします」

この「」の二つには大きな違いがあります。前者は、自分で行うので、何もせずに見ていてくれれば嬉しいですと言い。神の力は借りないで自分の力で行う。

後者は、神の力により行う。この後者は、まるで良いことをするようなことを言っているように聞こえるが、そうではなく神の力で良い人間にさせて下さいと神に願っている。

これでは自分の欲望のために願っていることになり、神は残念でならない。

万が一にも、前者も後者も神が何かで助けることは絶対にないので、そのことは忘れないように。

大海を手で塞ぐことは不可能だと言われるが、不可能であっても、それは道理を外すものの言い訳にすぎず、不可能なことであっても、人を助けるためには己の命を捧げ火水も厭わない。そして、大海に沈んでこそ、棺の中で自分を褒めることができる者となる。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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