弱い者へ:第三百三十二章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

弱い者へ

 

神の道

道に沿って歩きはじめると、いつもの道だとわかっていても、その日の天気次第で同じ道ではないように感じることがある。どうしてだろうと考えてみる。だけど考えることに何の意味があるというのだろう。と、また考える。

礼儀正しい者は、相手が礼儀正しくないと、上下関係をつけられたような気がする。なぜだろう。

しかし、本当に礼儀正しものは相手のその態度に有難く思う。それは、自分を部下のように、チームの一員としてみなしてくれたイコール受け入れられたことに喜ぶ。

人を治めない者を、神は天に仕える者として、人々に敬して順う事のように流し込む。天に仕える者は、神から「徳」を渡される。それを生かして、人々に心理を教える。

天に仕える者は、人々に愛と平等を与え伝える。しかし、その中から心を上流から下流へと流す者も数えきれないほどいる。非平等を生きがいとして、上に立つために戦い、時には皆殺しにして、己の強さを見せつけ、不平等を好む者の中にあって、優位に立とうとする。

そして、順位をつけることが好きな非平等を好む悪心を集める。そして、出来上がったのが俗世である。

しかし、己の強さを見せる者ほど、恐怖に震えている者はいない。そして、誰よりも孤独であり、寂しい。

だから、じっとしていられない、誰かが自分を裏切るのではないかと、そればかり考えながら、眠るときにも襲われる恐怖で、眠りは常に浅い。

人を治めない者は、いつも思いのままに、空を駆け巡り、神に跪き、神にハグをされる。

いかなる時にも七つの掟を守っいるので、焦ったり動じたりすることもなく、何が起きても当意即妙のごとく、機転を利かして、物事の大事にも対処ができる。だから、己の行為によって、人を悲しませることもなければ、恐怖で眠れぬ夜もない。

そして、同じ道を通るときは、雨の日には雨の楽しみを、風の日には風の楽しみを、晴れた日には晴れの楽しみを、道と一緒に歩くことができるので、道とともに進む一歩ずつが楽しい。

 

神と荒波

人間本来の生き方と純粋さには、肝胆相照らすものがある。それが無ければ、互いに、相手を疑い、腹の探り合いで無駄な時を長きにわたり使ってしまう事になる。

相手を疑うのなら、その場で純粋な心を持ち、聞いてみることだ。但し、相手への敬う言葉と心がそこに無ければ、相手もあなたへは本当のことを言えなくなってしまう。

偽り事、偽善者は、いつか露見し、中身が見えてしまうものです。だから、それを見つけようなどと愚かな行為は必要はなく、己の志しをただ進むだけです。

必ず、嘘をつく者、偽善者は見つけられるので、その者を、あいつか、こいつか、と考えるような無駄な時間で、生涯を終わらせてはなりません。

鶏群一雀の話は以前に話していますが、あなた方が、道を歩くときに、同じように歩く者がいる、その者たちはくだらぬことに悩みを抱え、その悩みは同じ仲間たちへの悩みではなく、例えば、自分の今の空腹が癒せれるかだけを考え悩む。

たった一羽だけ違い、無駄な悩みを考える時間もないほど、周りの者たちのことを考え、皆がお腹がすいているのなら、食べものを探すことで精いっぱいで、自分の食べ物などのことは考えない。今日という日に、人のために生きれるチャンスを逃さないと、歩き羽ばたく雀である。

あなたが覚悟を決めて乗った船に按針がいて、あなたの乗る船の按針は碩学と学んだ清節であるから、あなたは最後まで約束したことを守り抜けば、船は荒波にも負けることなく、当然、あなたもそれらに動じることもない。

 

神の掟に着いて行く

もし、善になることが難しいと思い、できない、されど行いたいと願うのならば、軌に一にすといい、神の掟を守る者が歩いた道の上をなぞるように進めば、同じ場所にたどり着くことができるのです。

神の七つの掟を習慣化している者や、主君聖人を見つけ、その者の足の後に合わせて歩けば、天国に行けるのです。

しかし、神の掟を守る者、主君聖人の足跡の上に足を乗せながら歩いていると、ふと後ろを振り向きたくなることが弱い者にはある。

振り向くと、幾許かの者が自分についてくるのを見た。そこで、よからぬことを考えるのが、自分で道を開かぬ者の愚かなことで、己についてきた者に、天国へ向かうための説法を説き始める。

足跡についてくる者も、言う者は知らず、知る者は言わず、という大切なことを、七つの掟を自ら開き歩いていればわかるのに、同じ弱さの塊である説法を説く者の話に熱心に聞き入る。

これは、知る者は、瞬きと頷きを同時に行い、物事の道理に生き、黙って進が、知らない者は、自分の前を行く者を見て知った知識を、ひけらかして話をやめることが無い。

そのために、自分の前を行く主君の足跡が雨に流されてしまっていることも知らず、行くてに悩む。そして、自分についてきた者を連れて、後戻りをして乱世に戻り、そこで、悪行の集団を築く。

善と悪は表裏一体という、それは、少し違う。善も、悪の楽しみを三日味合せれば、弱い善は悪となる。但し、悪を善に戻すことは、己次第となり難しい。ただ、神の七つの掟を守れば乗り越えられる。

神にどれだけ、追従しようとも、神はその言葉を聞くこともない。神は、せっかく主君や掟を守る者、聖人などの足跡をたどり、ついてきても、天に上るまでに後戻りした者のことを知ることは無い。

 

 

神の言う者

私が、どれだけ諫暁しようとも、頭の理解と行動が伴わないことに、高みを目指す力が私にはないのだろうかと、あなたは嘆いているのではないでしょうか。

神の七つの掟を守れなくては、行為に対する良い報いを享受する業感はできないことを知っていますか。

善に対する報いのことではありません。この場合のことは、神の七つの掟を行うときに、自分の喜び以外の、行為に対して他にも報いを求める業感、享受があると思っていることをさしています。

万が一にも、そのような思いでいるのであれば、それは非常に正しいことだが、今、それを考えて行動してはならない、一人刎頚されるようなものだ。

善による最大の報いは、神の七つの掟を習慣化した者には、必ずやってくるので、それを考えて神の七つの掟を行ってはならない。

 

 

神と勇気

神の七つの掟を守ることが困難な者は、掟を守り先へ行く者の足跡に足を置き着いて行きなさい。但し、前を行く者の強い信念と、強い意志と、強い気骨を持つ者とは違い、弱いあなたは、先に話したように、決して後ろを振り向いてはならない。

前を見て、足跡を見て、前を行く神の七つの掟を一人守りながら歩く者が、本当は己と同じ、弱い者であることを知り、それでも前を行く者は、弱い自分の殻を捨てて見せると、四六時中勇気勇気と己に言い聞かせて進んでいるのである。

それが、同じ弱いあなたには、なぜ、できないのであろう。立ち向かっていることを学ぶのです。そして、途中からは戻り、自分で神の七つの掟を勇気で進むのです。

それが、あなたの道を作ることになり、神はあなたを見ているのです。

己の道を作りなさい。四六時中勇気勇気と叫びなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

神の言葉:これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)