助けるものを尊ぶ:第六百十五章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

助けるものを尊ぶ

 

助けるものを尊ぶ夕暮れ

古に、ある村で起きた人間というものの愚かさと聡いの心を話そう。

山峡に村はあり、人口は三百人ほどの春風駘蕩という言葉が一年中を覆っているかのような、温和でのんびりとした者たちが集まる村であった。

しかし、ある日、大洪水に村は飲み込まれた、ただ、軽いけが人が出た程度で、洪水は通り過ぎて行った。

村人たちは、近所の者たちが集まり、互いに助け合い、壊れた家屋を直したりと、皆が皆の為に助け合っていた。

但し、数日も経たないうちに、食料が尽きてきて、田畑は洪水で作物を作るにしても半年はかかる状況の中、隣の村への救援の願いは届いているはずだが、隣の村でも助けられる量は少なく、まして、洪水で道という道が使えない状況では、何日かかって食料が届くかわからない事態に陥っていた。

村長の元、百姓代、村役人と集まり、食料が届くまで何日かかるかわからず、このままでは、飢えで死ぬ者が出てもおかしくはない、何か良い方法は無いものかと話しあった。

そこで、誰からともなく、農家で働く雄牛を肉とし、雌牛からは乳を取ろうと話し合われた。

その時、百姓代は、農地が使えるようになった時に、牛がいなければ、農地が耕せず、結局は飢えで苦しむことになるだけだと反対をした。

しかし、結局のところ雄牛を肉とする案に賛成する者が多く、雄牛を肉とすることに、皆も仕方なく同意をした。

 

村の牛と夕暮れ

そこに、一人の若者が、皆の前に出て、雄牛は、みんなのために今までも、辛い仕事、重い荷物を運んでは、我々を助けてくれたというのに、食料が無くなれば、殺して食べるというのは、助けるものを尊ぶという心から見ても、あまりにも身勝手過ぎないでしょうかと、お伺いを立てた。

村長は、若者に、では、お前に何か妙案でもあるというのか、もし、あるのならば、ここで皆に説明をしてみなさいといった。

雌の牛には、今回助けて頂こうと考えており、ただ、乳を出し飲むだけでは、腹にはたまりませんが、乾酪というものがあり、牛の乳と混ぜ物を入れれば、例えばお酢を少し加えて煮詰め、冷やせば乳が固形の食べ物になり、皆のお腹を満たすことができます。

酥は加熱により生じる乳皮を煮詰めたもので湯葉のようなものが出来、酥はさらに煮詰めれば、調味料になり、いろいろなものに塗って食べれば美味なものとなります。

話を聞いた村人たちは、雌牛の乳だけで、隣村から届く救援物資が来るまで、十分に食つなぐことができるというのならば、今まで、私たちの為に、一生懸命に働いてくれた、牛たちを殺さなくてすむので、そうしようではないかと村長も、みんなも賛成をして、みんなで作った。

 

牛に感謝と夕暮れ

この村では、牛たちに感謝をし、特に雌牛のお産には、みんなで雌牛に寄り添って、お産の手助けをし、牛との共存共栄、牛を大切に扱った。

この村に、突然現れた若者の言葉に、お世話になってきた牛をただの肉とはせず、大切にすることで、洪水から村を立ち直らせる時にも、牛は大きな助けを行い、村は、想像以上に早く元の姿に戻った。

誰もが、己を助けてくれているものに、困ったから捨てたり、売ったり、簡単に己を助けてくれたものを粗末に扱ってはならないことを、この村の話を思い出し、あと少しの人生を、生きて行って欲しい。

あなた方の住む世界での牛の扱いは、このようなものとはかけ離れており、この古の村では、牛を小屋に紐でくくりつけたり、自由を奪ったりなどの行為は一切行わないから、牛に助けられる考えが浮かんだのである。

この古の村では、どの農家も牛の小屋はあっても、鍵もなければ、ロープで括ることもなく、牛は自由に村中を歩き、歩き疲れれば、道端で平気で寝ている、誰も、牛を邪魔扱いすることなく、牛が寝ていれば、その横を村人たちは、牛が目覚めないようにとすり抜けて行く。

あなた方の世界でも、牛や家畜たちを、囲いなど一切作らず自由に暮らさせてあげるのならば、殺して肉を食べてはならないが、動物達の方からミルクなどを、あなた方へプレゼントすることだろう。

 

相手のことを考える夕暮れ

常に瑣事にとらわれながら生きているから、洪水よりも日々襲い掛かる懊悩で、己で己を追い込んでは、藻掻き苦しみ、その場から行く道を見つけられないでいるのです。

意馬心猿と心の乱れを抑えられることもなく、今回だけは仕方がないと、何度も言っては、変わることもなく、誰かの自由を奪うことに厭わない者となっている。

あなた方を覆う繋縛を剥がしとることは決して難しいことではない、古の若者が、殺されてい行く牛の心を思い閃いたように、あなた方も常に相手を思い善行意を行うのならば、善行への扉を開き、右の道を見つけられることになるのです。

その為に必要なものは、何もかもを己が必要とはせず、相手にとって必要なことを考えることから始め、相手にとって何をしてあげればよいのかを、自分にも置き換えては考えてみる、そして、行為に移したならば、ただ、それだけで、誰を苦しめることもなく、他者の為に生きられるのです。

そして、そこに徳が一つ与えられ、罪が一つ償われ、徳をまた一つ積むことができるのです。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身