慈愛:第二百四十二章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

慈愛

 

慈愛

あなたが、他者の誰であろうとも出会う者へは、慈愛に満ち溢れた顔を持って接しなければ、非常に大切であったかもしれない出会いを、すれ違いで終わらせてしまう事になります。

心はいつも広大無辺でなければ、多くの喜びを他者に与えることが出来ず、それゆえに、己で己を滅ぼすことになるのです。

物事の最も大切なところ、つまり今生で生きている上での要訣とは、単純なことである、他者のために生きるということです。この言葉は、嫌でも何度も聞かせるのが、私の使命でもあります。

これは、困っている人に腕を差し出すこと、席を必要とする者を見れば、席を譲ること、急ぐ者には、道を促すこと、困っているようならば声をかける事、これらの行いを、ここに来た者は、行っているでしょう。

神の七つの掟を発進する者がいても、持続できない者も多くいる、継続することが必要であり、せっかく発進しても持続が出来なければ、継続へと進まない、その発進は無駄になってしまいます。

そもそも発進とは、真の志であり、半ばで諦めることは、己の志をも憐れなものと為すことになるのです。

志を持ったならば、もう、止まること、後ろを振り向くこと、これらを諦めることです。そのような、愚か者の行いを諦めて、発進したのなら、時が止まる日まで、志を成就させるのです。

 

志

神の七つの掟は簡単だから、いつでもできると思う者は、いつまでたってもできない。始めたところで、数回で終わって、またいつかやるから、の言葉を残して世俗の甘い蜜を舐めに行くのです。

何度も言うけれど、このような者となってはなりません。我が心締め括り在りと思う事です。一度、心に決めたのであれば、何があっても、そこから抜け出さないように、その場に締め付けておくことです。

濡れぬ先こそ露をも厭えと言います、一度、踏み外してしまうと、その後は、踏み外すことを厭わなくなっていき、泥沼に入り、極苦であっても、助ける者は現れないのです。

しかし、簡単だからいつでもできるという考えは捨てて、必ず、最後の日までやり通すというのであれば、按針が現れ、あなたを引き出すのです。

但し、助け出された限り、神の七つの掟を、久しく積み重ねなければなりません。怠ったときには、誰もあなたを責めたり、詰ったりすることもなく、相手にすることも無くなり、あなたが、あなた自身で、世俗に打ちのめされる者となるだけです。

また、助けられた限り、これからは必ず、崇敬、尊崇、という眼施をもっていなければなりません。

この世は苦であり、それが代わることはありません。だからこそ輪廻転生をして来たのですから、考えればわかることですが、あなたが常に二つの崇を持ち相手を見るのは、相手の心の中に、神がいるからです。

今は、見えないでしょう。見えないからこそ、畏敬の念を持つことが大事なことなのです。あの時は、見えなくて失礼しましたと謝っても、ここに来て、このことを知った限り、その薄い謝罪は通用することは無いでしょう。これも先の話と同じで、あなたがあなたを許さないのです。

 

過ち

ここに来た全ての人には、震天動地という、天にも声がかけられ、地にも動かぬようにとする力の術があります。

だから、過ちては改むるに憚る事勿れと、あなたは、過ちを犯しても、体面や体裁など考えることも無く、首を垂れることが出来るのです。

このように、己の過ちを取り乱すことも無く、生きているからこそ、他者から見た時には、不思議に思われることがあっても、いつか必ず貴ばれるのです。

ここに来た者達は、思いのほか早く肉体を無くすことにはなるけれど、それが、あなたの決めてきた時間なのです、遣り残したことは無いと、己の棺の中で、喜びの涙を流す。

大木の神は、それを見て、よくやりましたね、さて、裁判官の前から早く、私の前に来て欲しい。このように思われていることを、知って頂きたいのです。

 

肉体

肉体を持っているのに、過ちを即座に正したことは、神としての力の持ち主であることの証です。

深謝することは、肉体がある限り沢山起こり、沢山あります。けれど、そこからの行いの違いが、天国と地獄への向かうところの違いに当たります。

数奇な運命というけれど、その通りであり、しかし、実際には、行いにより揺れ動くことを数奇な運命と呼んでいるのです。

だから、私と出会ったことも不思議だと思っているかもしれない。しかし、これは、決められてきたことであり、後は、あなたが、神の教えを行うかどうか、守り続けるかどうか、それによって、数奇な運命となることでしょう。

 

熟知

例えどんなことがあっても、生命を助長するようなことは行ってはなりません。一日も早く、大木の神は、慈愛に満ちた笑顔で、他者のために生きたあなたを待っているのですから。

あなたの中には、全ての私の話を熟知しなければならないと思っている者も多くいますが、熟知半解というように、半分理解し、理解されたことは全て行う。これで、最低限の行いを為されたことになります。

要するに、聞いた道の上辺だけを知って、学びました、やり遂げます、等々という者にならず、学んだ中で、出来る限りの努力を惜しみなくする者の方が、どれだけ優れているかという事です。

世俗に生きている限りには、全ての教えが見えることは非常に難しい、けれども、半分を享受し、それを完全に遣り熟すことが、私にとっては、あなたを託されたことに、多少なりとも、大木の神に、頷いて頂け、あなたも、私と同じ神となられるのです。

あなたが、そして、今日初めて来たあなたが、神となられることを、大木の神は願われています。神となれば、この世のいかなる者も悪人も、慈愛で包んでしまう事になるのです。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身