輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
徳を養う
労を執ることを煩わしく思ってはならない、それは一つの温容であり易々なことと思うことです。
もし、そのチャンスを逃したならば、きっと愚か者は詭弁を弄して言い訳をすることだろうが、そのような愚か者にはならず、チャンスを逃したことに悔いることで、次のチャンスを掴むことです。
そうして、あなたは徳を養うのです。徳を積むことは、一つ一つと罪の償いを終わらせていくことになるのです。
口は閉じていることが一番良いが、これは軽佻浮薄と軽はずみなことを言わないためであり、他者を助ける時にだけ口は開けばよいのです。すれば、一つ徳を積むことが出来る。
聖人は説教を説くのでよく話すが、それは聞く者に有道を歩かそうとしているからであり、だから、たなごころを指し、どれだけ話しても恥辱を受けることは無い。
聖人と出会えないから徳を積む行いが出来ないという者は、何度も言っているようにいろいろな宗教の門をたたき、話を聞くことも一つの道が開けるかもしれないので、行ってみることです。
相手変われど主変わらずということは無いので、沢山の宗教家の話を聞くうちに、己にあった道を教える者に出会うことが出来るかもしれない。
多くの宗教家と会えば、宗教家とは名ばかりの馬脚を露す者も見えてくるようになるので、騙されるのではないかと心配することは無い。
過ちを犯すから聖人が必要なのではない。過ちは誰もが犯すが、すぐに改め、善行へと進む者には、すでに聖人は必要が無いかもしれない。
聖人が見つからないから徳を積めないと嘆く者に、もう一つの方法として、一寸の光陰軽んずべからずと時間を無駄にしないで、私の話など読むことも無く、神の七つの掟を行っていれば良いのです。
迷うことだろう、迷うことは良いことであり、迷って迷って迷い抜いたその先には、朧気だった道が見えるのです。若いから迷い、年を取ってから迷い、それはあなたが決めて来たことなので、それでよいのです。
但し、迷ってはいても、聖人という宗教家探しと、神の七つの掟は行っていなさい。それを行わずして、ただ迷う者は、俗世に堕ちていることになる。
徳を積みながら歩けば、思いがけない幸福に出会うこともある。それに出会ったならば、困窮な者に分け与えなさい。すれば、また、それ以上の幸福に出会う日が必ず来る。
徳を積みながら歩かぬ者は、己とはかかわりのない者から酷い災難を起こされることになることを忘れてはならない。
徳を積む者には、向こうから困っている人がやってくる。たとえば、大きな荷物を持っている者が疲れているようならば「お手伝いさせてください」と声をかけるチャンスが来る。
声をかけるだけで、一つの徳を積んだことになり、そこで相手から「結構です」と断られても、声をかけることが、徳を積むことなのだから。
最初に話したように、労を執ることに喜びを感じなさい、危険なところを登りなさい、そこに、あなたの道があるのです。
作為を持たず怖がらず、頭で考える役に立たない知恵など捨てて、やってみることです。そうでなければ、一生後悔をして俗世の人間となることになる。
あなたが知っている話で、獅子の子落としという伝説があるでしょう、這い上がる子だけを育てるというものだけれど、そうであってはならない。
あなたの歩く道の傍らで、這い上がれず俗世に堕ちている者でさえ、言葉ではなく、あなたの善行を見せて、道の上を歩くようにするのです。すれば、徳がまた一つ増え、罪の償いが一つ終わる。
あなたが、そのように生きれば、あなた自身が、畏敬の念を持たれ、聖人となるかもしれない。
棺の中で、喜びの涙を流すのか。棺の中で、恐怖に涙するのか。それは、これからのあなたの行い次第です。
右の道を歩き、天国の門を潜るのか。左の道を歩き、地獄の門に墜ちるのか。どちらを択ぶかは、あなたが決められることなのです。
伏線を張ることも無く、ただ只管に善行を行う事です。席を必要とする者には席を譲り、貧しい者には、あなたの食べる物を与えなさい。決して余り物を与えてはならない。
私の今日の話は、楽しみを捨てなさいと言っているのではなく、楽しみは楽しめばよいのです。但し、それらはすべて善行を行いながら、善行の中でも生まれるものです。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身