区別と善行:第五百九十七章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

区別と善行

 

区別と善行と夕暮れ

あなた方は、蝶と蛾を区別するがゆえに、人間をも区別するような愚か者となってはならない。

蛾と蝶を区別する学者がいる、学者の授業の中で、若者が学者に、一般的なイメージは、どのようなものですか、と聞いた、学者は、蛾は汚いイメージを持つ者が多く、蝶は綺麗なイメージを持っている者が多いと話した。

それは、何らかの方法で、綺麗なものと汚いもの、智慧者と無知な者、穏やかな者と怒鳴り散らす者、美しさと醜さ、数えきれないほど、区別をしたがる、そのような者のことを無知蒙昧と言う。

悪人と善人を区別して、善人には善行を行い、悪人には寸進尺退と後ろへと大きく下がり、背を見せて通り過ぎるような道理にかなわぬ者となってはならず、善人にも悪人にも、同じだけの善行を行うのです。

悪人を見捨ててはならない、悪人も、善人になりたいと望んでいるのです。あなた方が、悪人にも善行を行えば、少しずつかもしれないが、悪人も善人になろうと努力するのです。

 

蝶と蛾と夕暮れ

科学的に蝶も蛾も区別することは何も問題はなく、蝶と蛾の見た目の違いは、学問的には学べばよいのです。

科学と言う視線で物事を見ても、あなた方は主観的に蝶と蛾を区別する者となってはならない、それと同じように、智慧者も無知な者も、区別してはならない、温厚な者と、すぐに怒り出す者も、区別してはならない。

区別が出来ないというのは、以前にも話したように、それぞれがコインの表と裏になっているから、離れることはできないが、表側が善であり、裏側が悪とするのならば、悪が表を向かないようにするのです。そこから離れなければ、己と他者の違いばかりを探る愚者となる。

世の中に、区別ができるものなどないというのに、区別することで、いかに己にとって、利益を生むかを考え、付き合い方に差をつける。

綜覧の如く、見てご覧なさい、世の中は、区別や、差別、善行を少し行う者と、善行に全てをかけて行う者とに分かれてしまっているが、ここに来た者が、俗世の逸楽を楽しめば、必ず、その反対側にある燎原の火の中に飛び込むことになることを知っている。

 

善人と悪人の区別と夕暮れ

何も行わないのではなく、ここに来た者、呼ばれた者は、神の七つの掟を少しは必ず行う、しかし、いつも己を責めては、善行をもう少しできないのだろうかと嘆く。

嘆く者よ、石の上を茨の上を歩いていても、慣れるまでは、きざはしは硬く痛みを与えるので、辛いことであろう、しかし、踏み続けて行けば、いつか足裏の痛みも無くなり、沢山の他者への奉仕が出来るのです。

命旦夕に迫ると考え、明日亡くなっても良いような生き方をし、意気軒高と己を奮い立たせるだけで、あなた方は道を過らずに、前へと進んで行くのです。

物を持つが故に、守ることが一番目の考え方になり、本当にやりたいことが出来ずにいるのだろう。

そんなときにこそ、烏有となって眼先にとらわれずに行ってみると、あなたの得意分野である、他者への善行を、得手に帆をあげ進むことが出来るのです。

せっかく、己の得意とする、己自身の生き方である、他者への善行が、己の背中に担ぐ重たい荷物の為に、駆け寄って助けることが出来ないでいる。

 

努力と夕暮れ

努力が必要だろうか、あなたの善行は、神に対して有らしめているのだから、俗世の者から褒められることなど考えることも無い。

芥子粒の中に家を建てるが如く、あなたが行いたい善行が行えないでいるのは、あなたが智慧者であって、小石程度の上であっても、家を建てられると考えるからである。

あなたが船頭で、あなたの子船が荒波に掬われても、乗せていた一瓢というひょうたんに抱きついてみたならば、見えなかった島まであなたが海底に沈まぬように運んでくれる、このことを覚えて置き、善行の見返りが、どれだけ小さく儚いものであっても、善行を行った者を、神は見ていて喜ぶことを忘れてはならない。

ただ、いつも話すように、見返りを求めるような愚か者となってはならず、しかし、求めなくても、あなた方は一つのひょうたんに救われるのです。

 

神様の神と夕暮れ

あなた方が、あなたの少ない善行に、神は許すだろうかと聞くのならば、神は許すことも無く、罰を与えることも無く、ただ切ないだけであり、神が、あなたを見捨てることは無い。

万物の全ては、現れるということから始まり、そして、そこにある道は、道で無いようで、神の道なのであり、倒れる者たちが、あなたに善行をさせようと、あなたの善行為を待っている。

あなたが行いたい気持ちは、神に臻るのであり、それに神は、貯め込んだ荷物、これから訪れるだろうと考えている快楽、それらを捨てなくても良いので、瓶に詰めて腰に巻き、歩いてみて欲しい。

すれば、執する者から遠ざかり、俗世の囚われ人から、あなたが、あなたを救いだし、他者を助け歩く者と、あなたが、あなたに行わせることになる。

荷物と欲望を瓶に詰めたのならば、次は、賢しらな智慧者となっている己から、常に、頭で考えないで、行為に移す者と、倒れる者に駆け寄りなさい。御託を並べず、駆け寄りなさい。

様々な時があることだろう、例えば湿潤で浮かない時にも、あなたに善行をさせようと、あなたを待っている者がいることを、あなたに罪の償いをさせ、徳をあなたに与えられるようにと、あなたの行為を待っている者がいるのだから、いかなる時であっても、困っている者を捜し歩き、駆け寄りなさい。

詠歎とならず、感情に惑わされることなく、駆け寄ったならば、「私にお手伝いさせてください」と伝えること、不幸を聞きつけたならば、赤十字やユニセフに、寄付をすることを、忘れてはならない。

あなたは、あなたを愛おしむのではなく、あなたの愛の力を発揮し、困っている者を見て、知らぬ顔をして通り過ぎていく愚者では無いことを知るのです。

あなた方の、名前の無い道は、糸を縒り合せ、糸を紡ぐ。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身