善行は神と天国に通ず:第二百十一章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

善行は神と天国に通ず

 

善行は神と天国に通ず

善行は神と天国に通ずことを少しまとめてみた。

あなたの惨禍により、痛ましい災難を引き起こすことが出来る、それも、あなたが決めて来たことなので、畏れてはならない。動揺などしてはならない。招かずしても、あなたが決めたことが起きるだけのことなのだから。

但し、引き起こす災難は善行によって塵となすことが出来る。それが、あなたの中にいるあなたという神の言葉を聞き、善人になることなのです。

世の不公正に憤慨し憤りを感じても、その感覚こそを微塵もなく、息を吹きかけ塵となさなければならない。

 

悪行を取り払い善行

人は睦み合う事も大事なことではあるけれど、それが善なる成長に繋がるものであることが、前提としてなければならない。

もし、それが悪行を生むようであれば、まつわりつく綢繆を、一本ずつ切って行かねばならない途方もない作業時間、儚い時しかない人生なのに、殊更無駄に時間を割くことになる。

このことからも、友を選ぶときには心の神に聞くことも時に必要かもしれない。一番良い方法は、己が道理から外れない、固い信念を持ってから友を増やせば、その友も道理を知る者となり、善のために生きることでしょう。

道理を歩く、あなたや友やその弟子たちの善行には、感果という甘い果実が降ってくるけれど、それを食べてはならない。自分の物にしてはならない、それは、困窮する者に分け与えるのです。

それを繰り返すことで、最後には天国の方から、あなたに天国への階段を差し伸ばすのです。

この時には、あなたは世間から認められるかもしれない。しかし、それを求めてはならない、また、逆に世間に認められず轗軻不遇と思われたとしても、それでよいこと、あなたの他者への善なる行為を認めるものは、大木の神だけであって他にはいらない。

善なる者となったあなたが、水鏡に己を映したならば、肉体は影のように透けて薄く、その中には、魂という善の塊だけが、光り輝き映し出される。それが、善となった本当のあなたの姿なのです。

 

困窮者を助けるために舟をこぐ

あなたがどれだけ善の塊で、周りの者達から手を合わせられようとも、支配者になってはならない。常に謙虚でなければ、道は途中で途切れ無くなってしまう事を忘れないことです。

他者を助けるのに、風の吹くのを待って帆を上げるのではなく、己の力の限りで櫂を漕ぐのです。それで助けられなかったとしても、あなたは善なる行いをしたことになるのです。

善なる行為とは、結果ではありません。行為そのものであり、あなたの善なる行為を、不要だと断る人もいるでしょう。それでも、声をかけるのです。「私に何かお手伝いさせていただけませんか」と、これが善なる行為であることは何度も話しています。

善なる生き方を貫く者には、苦しみに累られることはない。悪行に精を為す者は、いつも苦しみに累られている。しかしこのような悪行に精を為す者も、善なる者になりたいと本心では思っている。チャンスを探して救い出してあげることです。

善なる理を録すことは不要であり、それは、大木の神が見られているだけでよい。ただただ正しく生きることで道理は明らかにあなたが手にしていることで間違いはない。

ある意味においては、善行を数えてはならない、また、報いを貯め込んではならない、それがあなたであり、あなたという善行を行う者=聖人となる。

聖人となれば、全てを困窮する者に捧げ、何も持たない、しかし、善行を行うが故に、報いが後を絶たず時に大きなお金や物で帰ってくる。それを、また困窮する者にすべて分け与える。

 

善行は道を照らす

あなたは一世木鐸世の指導者となってはならない、善なる者は、あなたの心の中にいる神に、いつも指導されているのであり、そのあなたという神に順い生きることであり、なぜ、世の指導者になる必要があるのでしょう。

困っている者に声をかけ、相手から助けを願っていただいた時には、あがめうやまう心で助けさせて頂けることに感謝する。これを斡運めぐることで、善の上に徳が落ちてくるのです。

善に三昧するならば、必ず、あなたの中にいる、あなたという神が、弱いあなたに迷いを生じさせる雑念を取り去り、真理の道を示していただけることになるのです。

示された真理の道は、光晃としており、俗世の暗闇で騒ぐ者たちには、眩しすぎて腕をつかみいれることもできない。この道を歩く者は、善行を行い続ける者だけであるが故に、あなたも同じ道を歩かなくてはならない。

その道を歩くことは、実に容易いことで、神の七つの掟を行い、継続するだけのことなのです。なにも難しくは無いでしょう。下方にある神の七つの掟を改めて読み直して御覧なさい。

 

神と善行が光

曙霞の後に太陽が昇り、その眩しい輝はあなたを射すのです。そして、あなたは今日も善行を行うため、目を覚まし、困窮する者を探し善行を行わせていただくのです。これが日常的になったなら、あなたの罪の償いが終わるのも近いという事です。

道を歩けば、時には、もく拾いとなることも良いかもしれない。しかし、あまり下ばかり見ていると、困窮の者を見逃すことにもなりかねないので、智徳をもって周りを見ることです。

大木の神が地に降りてくると、なぜ、弊衣破帽ぼろぼろの衣服を身に纏っているのか、それは、その姿は誰の目にも、権威も畏れも感じることが無い故、人がどのように生きうるのか、一番見やすいからなのです。

乞食を見たら大木の神と思い、病の者を見たら大木の神と思い、善行を行う事です。乞食にありったけのお金を捧げてみなさい。ポケットに余った小銭を投げ入れることならば、小さな子供にもできる。

善行を語る言葉は少ない、言葉で語っても何の役にもならない、言葉を知っても、善人にはなれない。むしろ一度聞けば、その後は思い出す必要もなく、不要なものとなる。

言葉を一度聞いておけば、後は、行為に他ならない。行為とは、もう一度言う。神の七つの掟を行う事。これ以外に生きる意味もない。

善なる行為の塊となったあなたは、天国に行くと、万の神を掌る天帝を担当することになるかもしれない。天国で担当者となったときには、ありがたく行いをしなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身