第三百章:感動に落ち夢に依る

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感動に落ち夢に依る

 

ベンチに座り夢を考える

五十歳代と思われる女性が、僕が座っているベンチの前をジョギングして、何往復も走り抜けていく、走り方を見ていると、ぎこちないので、若い頃からジョギングしていたのではないだろうと思った。

でも、年齢的にはすでにジョギングがかなりきついのではないだろうかと見ていた。

それを見ているうちに、自分の人生を考えはじめた。僕の人生に、この女性のような苦しくても走り続けた日があったのだろうか、辛いこと悲しいことは何度も経験してきたけれど、それとは全く違う。

走り続ける。そんな人生が僕にあったなら、今僕は昼下がりの緩く穏やかな風を味合わいベンチに座っていただろうか。

きっと、この女性は走り終わった後に、なにかの達成感に微笑むのだろう。そして、僕はベンチから立ち上がり、仕事に戻り、そこに僕の笑顔はない。

夢に憧れていた、少年だった僕はもういない、でも、夢がかなうことを祈っていることは確かにある、でも、いつの日かそんな夢がかなうことが無いことを知り、それから僕は走ることはない。

 

 

初めてのジョギング

夢を追わなくても、なにかの達成感が欲しかった、そして、次の休日に走ってみることにした。そのために、ジョギング用の着衣やシューズを一通り揃えた。

僕は、何だか一通り揃えると、休日が来るのが待ちどうしくなった。そして、ようやくその日が来た。

先ずは、決めていたコースまでは歩いていき、河原を走り始めた。でも、足が動かない、なぜだろう、走るなんて何年もないからだろうと考えながら、それでも走った。歩く人に追い抜かれ、それでも僕は走っているつもりだった。

僕は決めた場所から走り、Uターンする場所まで走り、そして走り始めた場所にゴールした。なんとなくわからない感動が僕の中から沸々と湧いて出てきて、自分に「よくやった」と褒めてあげた。

家に帰る途中で、明日も走るぞと決めた。それは、家に向かって歩いていても感動に笑顔が絶えなかったから。

翌日になると、あまりの足の痛さに走るのを断念した。その痛みは、五日続いて、走るどころではなかった。

そして、前回から七日後痛みはあるけれど、走りたい気持ちが痛みを上回っていて、走りに行った。小声で「よういスタート」と言って走り出したが、先週と同じで上半身は前に行くけれど、足が全くついてこない、でも、走りぬき「ゴール」と呟いた。

その時に、先週とまったく同じような感動に、よくやったと自分を褒めた。歩いて家に帰る道で、こんな感動に落ちいるのであれば、明日も走ろうと、今度こそと決めた。

しかし、また足の痛みに歩くのもつらく走るのを断念した。でも、今度は五日目に十分走れる状態になったので、仕事へ行く前の早朝に走りに向かった。

でも、走り方は全く変わることなく、足が動いてはくれない。でも、三回目のジョギング中に思ったことは、これでいいんだ、早いか遅いかに人生の喜びをかけているわけではなく、ゴールした時の、計り知れぬ感動、少年時代に夢見た夢とは違うけれど、夢の中で何かが爆発するように夢に依っていた、感動を今、走るたびに感じで、嬉しくて仕方がない、また、走ろう。

 

 

感動とっ神の七つの掟

ある時気が付くと、毎日走っていた。そして、毎日深い感動を味わっていた。その喜び感動が、何度走ろうとも、一番最初の感動と何も変わらなった。それは距離を徐々に伸ばしていったからかもしれないが、一度も萎えることはなかった。

こんなことに感動を覚えるのは僕しかいないかもしれないけれど、と何かが燃える思いで、毎日が感動の日々でいた。

彼は、そんな中で、心の余裕も出てきて、以前何かのことでネットで見たここのことを思い出した。そこには人に良いことをすれば感度すると書かれていたが、その時には全く興味がなく、読まずにいた。

でも今の彼は感動というものの大切さに、目覚めていて、もう一度読み、神の七つの掟を行うことで、感動するのだろうかと考えた。彼は感動ができるか試してみようと思った。

でも、そんなに七つの掟を行う事には、あまり興味はなかった。でも、試してみた。彼は、ジョギングでゴールした時と同じ、胸が熱くなり、感動し、自分によくやったと褒めた

それから彼は、早朝はジョギングで感動し、それ以外は神の七つの掟を行うことで感動して、生涯の終わりを迎えた。

死因は、ジョギング中の心臓発作で、彼は、燃える人生を送れたことに感謝していた。

 

 

遅くてもいい人生

彼の人生は、ジョギングにより有卦に入る(なにもかもうまくいく)ことができて、嫌なこと、理不尽なこと、辛いこと。これらは、他の人たちと同じだけやってくるのだけれど、すべてを受け入れていく人生となる。

くよくよと悩んだり、無駄に怒りを持つこともなかった。それは、ジョギングと神の七つの掟で、すべてが上手くいきすぎていると彼は思っていた。

時流にのることは勧められません。時流に乗る者が落ちているものを、拾うことなく進んだ後の道に、感動という宝物が落ちているものです。

彼が走り続けた、その走るスピードは歩く者たちよりも遅かった。だから、彼は余計なことを考えることが無かった。自分には感動するものがあったから、人と同じように時流を追いかけず、時流に乗る気もなかった。時流に乗っていたら、神の七つの掟も行うことができなかった、時流に乗るとそんな暇がないからです。

彼の人生を私は見ていて、ジョギングを始めたときに、驕りを捨て去り、慢心することも捨て去られた。彼は神の七つの掟を始めたときに、誰かを妬んだりすることもなくなり、人を羨む心も消えていた。

人の行いを見たり、映画を見たり、他人のやることに感動したのではなく、自分の行いに感動していたのです。

当然、善い行いをする人を見たら感動してもよいが、人を助けることを追い越された悔しさに、次は私の番だと強く思いなさい。

 

 

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身より

神より

「我が子よ、最新の数百章のページ程度の新しい章から読めば、最初のページから三ページ以上づつ読みなさい。そうするといつか近づく日が来る。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身の言葉を皆様に解るように変換して書くものです。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

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