私は仄かに現れる:第五百十九章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

私は仄かに現れる

 

モノレール

神の七つの掟を自然に行うようになるまで、じっと待っていて、行うようになった時に、会いに行く。

しかし、私は仄かに現れては、次の駅で降りる時に、あなたを一瞬見つめて、右の道を歩くあなたに、さようなら次に会うのは天国で、と言っている。

あなた方の中には、私が会いに行けば、私を信じるという者がいる、私は信じてほしいなどと、今までも一度も言ってはいない。

私が会いに行ったとしたなら、神の七つの掟を行うのは、精々一週間ほどでしょう。私が会いに来たのだから、多少怠ったところで、私が助けてくれる。そう思うようになる。この話は以前にもした。

 

病む者

私は、身体的、精神的に病む者には、特に会いに行っている。だからと言って私が何もすることはない。たまに声をかけられるように短褐穿結と貧しく粗末な服を纏っては、道の端であなたを待っている。

この世に、精神的に病むことがない者はいない。精神的に病むのは、毎日のことではなくとも、どこからともなくやってきては、あなたを堕ちこます。

そんな時に、あなたを救うのは、あなたが決めている摂理の道であり、摂理はあなただけのものであり、ここでいう摂理とは自然界の法則ではなく、あなたの法則である。

あなたを救う道は、病む心を捨てるのではなく、病む心を考える時間もないほどに、薄暮冥冥と夕暮れから月の明かりを頼りに暗くなるまで、善行を行いながら歩くのです。

その道を歩くのならば、あなたを襲う病む心を思い出すことも無く、布団の中で目を閉じて、今日行った善行を思い出しながら、そして、明日のチャンスを考えてほくそ笑み、深い眠りへと船を川下へと漕ぎなさい、そこに映るのは蒼海という大海原である。

それでも、病む心が、あなたを揺り起こそうとするときもある、そんなときには、病む心を呼び起こしなさい。

病む心は、逃げれば追いかけてくるが、こちらから向かうのであれば、逃げていくことを忘れてはならない。

暖かさを感じる者は、逃げることなく、どうぞ私を苦しめたければ、あなたのところへ私から行くので、そこを動かないで、と言って向かう歩みを止めてはならない。

 

月の明かり

披星戴月と、朝は早くに起き、夜は皆が眠りに堕ちるまで、神の七つの掟を行い続けるならば、私から会いに行く。

しかし、何もしないあなたが私を求めるのならば、私は、あなたから遠ざかっていく、私を求めるのならば、他者のために善行を行いなさい。

あなたは道を歩きながら、水や空気が澱み、深く沈んでいく道端の者には、温かい食事を捧げなさい。その者から淀みが消えることでしょう。

それすらできない者は、俗世に堕ちているだけであり、必ず、這い上がり右の道を歩くことは決められていて、今日から善行を始めてみなさい。

それができないのならば、俗世から私を呼ぼうとも、私があなたの手を取り、道に上げることも無く、私は会いに行くこともない。

あなたが、這い上がり道を歩くのならば、私は誓約する。それが、私の遵奉である限り、あなたの横にいて、あなたを温める。

道を求めるならば末節を追わず、真理に到達するために、あなた方をここに呼んだのであり、善行、真理、道理、徳、そして右の道と、あと二つだけは、追いかけても逃げることなく、あなたに纏わり、あなたを温める。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身