輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。
書き換えられた聖典
今回は下記のお手紙を相談フォームからいただきました。
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旧約聖書に以下の記載があるので人間は動物を食べても良いと言う人がいます。
その人は、人間に全てを支配させよう、と書かれてあるから動物を食べても良いと言っています。
聖書にはなぜそのようなことが書いてあるのでしょうか?
(引用)
聖書箇所 創世記1:24~31
1:24 ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。
1:25 神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
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お手紙ありがとう。
何故、このような聖書や聖典になってしまったのかについては、過去章で少なくとも十以上の章で、私は話してきている。
例えば
苦悩の闇路:第六百三章
二人を諸徳が包む:第五百六十章
朝令暮改:第三百九十四章
古に、大木の神は、罪咎に堕ちる者達に善行を行わさせるために、数名の神の使いをこの世に送ったが、大木の神が、神の使いを呼び戻すたびに、慈心で仁恕となった残された弟子たちは神の話を多くの者に伝えようと、神の残した話を聖典にまとめ上げた。
しかし、弟子たちの話を聞く俗世の者は少なく、弟子たちは考えあぐねては、書いた聖典の内容を、弟子が弟子を集めるために、俗世の者が集まりやすいようにと、書き換えて行くこととなった。然るに、書き換えられた聖典。
大木の神は、それを見て、神を使わせても弟子を取るような宗教制度ともいえる方法は、使わなくなられました。
しかし、今でも宗教は残り、また、新たにも生まれていますが、その中には、良い教えもあることから、宗教に話を聞きに行くことや、相談してみること、自分に合った宗教を見つけることは、良いことであると、私はいつも話しています。
但し、ここに来ている者たちは、都合の良い宗教の教えには、耳を閉じて、大切な部分を学ぶ力を備えているので、己に合う宗教を見つけ、入信してもかまわないが、入信するまでは必要もなく、学ぶことです。
宗教に行き学ぶならば、戒律や律法は遵守し、仏教ならば、煩悩熾盛と怒り愚かさ欲望を捨て、道を歩く事です。
キリストの贖罪によって、信者たちが神に認められるという義認などというようなことはないからこそ、キリスト教でも一部の壇に立つ者が罪を犯している。
どの宗教にも過ちがあるので、そこには耳を閉じ、正しい行いとして不殺生戒を遵守し、他者の為に生きることです。
あなた方の弱さが、道徳を守らない、悪行には簡単に手を染めても、善行に走ることには、息苦しく足は重りを巻いたように進まない、そのような時こそ、宗教の門を叩きなさい。
しかし、宗教にのめり込んではならないが、上手く距離を置きながら助けて頂きなさい、そして、足の重りを外して頂きなさい。
ただ、のめり込んだのであれば、その中にいて、鶏群一鶴となり、他者を行為によって助けるという神の摂理を忘れることなく、日々善行を行う者となりなさい。
あなたの行為を見た周りの信者たちも、あなたの真似をするようになり、共に天に行くことができるように、言葉で説教するのではなく、あなたの行為を見て頂き、あなたを真似る者となって頂くのです。
春蛙秋蝉の如く、世の中は不要な論争やら他人を陥れたり欠点を探したり、そのような中に入ってはならず、心で思ってもならず、かといってどのような宗教の中にも、そのような者はいるが、決して、その中に堕ちてはならない。
ここに来た限り、規範はすでに理解しているのだから、常に、己を律していなさい、そして、宗教に入ろうが入るまいが、あと少しで天国に行けるのであるのだから、あと少し、他者を助けて歩く事だけに、全てを捧げなさい。
神はあなたを見ている、あなたの中の神もあなたを見ている、あなたが神から見られたくないからと、神など信じないといって、どこへ行こうとも、私は、あなたをいつも見て守ることを怠ることはない。
あなたが、ここから去ろうとも、そんなことが理由で窮途末路の如く悪いことが起きたりすることなどは無いのだから、どこにでも行けばよい。
あなたが、どこに行こうとも、私に唾を吐こうとも、私を誹謗しようとも、私には全く、そのようなことは感じることもなく、常に、あなたが神に手を合わせ助けを求めている姿しか見ることはない。
あなたが手を合わせ救われたいと願うのであれば、困っている他者を見つけては、助けながら歩いて行きなさい。
時計の針は、いつまでも、チックタック チックタック チックタックとは鳴り続けることはないのだから、救われたいのならば、先に他者を救いなさい。
他者を救ったのならば、あなたは必ず救われる、あなたが他者を救う道を歩かないというのならば、あなたが救われることはない。
どちらを選ぼうと、それはあなたが決めることであり、神は指顧などを行うことができない、それは、今生に輪廻転生をしてきて、何をするのかを全て決めてきたのは、あなたなのだから、あなた次第なのです。
私にできることなど、僅かなことだけであり、右の道、善行の道を歩くと決めてきたことを、思い出させるため、思い出せないのであれば、只管に右の道を歩くだけで良いのだから、右の道を歩くことを、ただ願うことしかできない。
あなた方が、棺の中で流す涙が、どうか随喜の感涙であることを願い、決して、右の道を歩かなかったことへの後悔の、血涙で無いことを心から願う。
神の七つの掟
■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない
■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」
■ 動物を食べない
■ 罪を犯さない
■ 恩と責任・恩に報いる
■ 我慢
■ 奉仕と施し
神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。
七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。
(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)
私は同じ話、同じことを何百回も言います。
神の化身