第百六十六章:人を見下す

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂き、続いて全ての章をお読みください。第一章から何度も読み返しなさい。愚か者にならないため、救われるために。

 

人を見下す

死と忘れる

今日伝えるべき言葉に必要な、哀戚ということについて話しましょう。
哀戚とは、人の死を悲しみ悼むなどの意味に訳されたりします。

しかし、本来のこの言葉の意味は、人の死を見て、我は、この方のような生き方はしないと誓うことです。

しかし、中にはほんの一握り、その方の生き方をまねて生きるべき人もいます。そのような人になれば、その人は天国にいて、あなた方を見、あなた方も、その人が、人のために生き、自分が貧しくても、他者への奉仕と施しを守り抜いたことを忘れないでしょう。

しかし、あなたは、まねてはいけない人、まねなければいけない人、いずれにしても数日もたてば、俗世に流されて、次から次へと、何かを手に入れたがり、死後あなたは誰からもまねてはいけない者となります。

俗世から離れてはなりません。俗世にいて、俗世に負けないことこそが魂を育てるからです。ものを追いかけるものは、手に入らなければ心が痛み、死に負け誰もがあなたを忘れ去るだけです。その繰り返しが、哀戚という言葉には秘められています。

ほしいものを手入れる

 

いつも私が見るものは、俗世の快楽を追うあなたの後ろ姿です。何もかも、この世で手に入れたものは、この世でなくします。

それがわかっていても、追いかけるあなたの後ろ姿は、追いかけない者から見たら、あなたが勝手に思っている友人であろうとも、滑稽で、腹を抱えて笑う以外にありません。戯者としか見ていません。

それすらもわからないのは、止まらず、あなたを笑う者たちを見るために、後ろも振り返らないからです。

それでも止まれなくなったのは、快感を得たからです。または、快感を見たからです。一度得た快感が離れれば、また取りに行くために走ります。

快感を得ている時には、不思議にものが集まる人や、人が集まることになります。その時のあなたは、誰であろうと見下しはじめ、近いうちに周りのもの全てより、自分が上に立ち見下す日を夢見て、寝ても覚めて、考えていることは、もっと大きな快感です。または快感を見た者は今よりも良い生活を求めて走るのです。

人を見下す

しかし、あなたが見下そうとしているのは、ほんの小さな世界でしかありません。

そして、自分の周りのものすべてを見下すことを知らぬ間に考えているのです。天秤の話と同じように、人を見下し、誰よりも重たい分銅を持ちたくて、もっと、もっと、と心落ち着くこともなく、すり寄るものだけには、自分の力を見せつけたがり、お金や物をほんの少し与えては、自分から離れないように、自分の僕として生きるように、必死です。

しかし、それらのものは、快感があなたから去ってしまうと、それらも同じように、去っていき、全てのものがあなたから去るのです。

でも、あなたは立ち止まることをせず、考えることもなく、今の自分の姿を鏡に映して見る事もなく、去っていった快感を求めて走ります。

いい加減な生き方

 

忽略について話しましょう。この言葉は知っている方も多いでしょう。
物事をいいかげんに扱うなどと訳されます。

先に話したように、なぜ、見下し始めたのか、それは、お金の力、友人の力、物の力、そこにはいろいろなものがあります。

ただ、それらを持ったものは一時的な快感に溺れていくだけで、人を見下すのです。

そして一度、人を見下した者は、その快感を忘れられなくなり、死ぬまで走り続けます。そして、棺の中でようやく止まり、追いかけていたものが幻であったことを知るのです。

快感を求め走りながら、死に負け誰もがあなたを忘れ去るだけです。死の棺の中にいる、あなたに皆涙するでしょう。しかし、そこを離れれば、タバコをふかし、酒を飲み、あなたには関係のない昔話や商売の話をしているものばかりです。

あなたを思っているのは、ほんの一握りのあなたの家族だけです。

決して、人を見下してはなりません。神は、あなたが見下す人の胸の中にもいるのです。あなたは神を見下したのだから、あなたは自ら地獄を選ぶでしょう。

確かにそれらから読み解けば、忽略の訳し方が、いい加減に扱うと全く違うとは言えません。ただ、人を見下す者は、必ず、あなたの後ろ姿を見る、あなたが友人だと思っていた者、自分の僕だと思っていた者、すべてから、笑われていたことを知ることになるのですから、他者をいい加減に扱っては、見下してはなりません。

 

快感を求めたり、今の生活に満足しない者にならないように。

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。あなたを救いたいから。
神の化身より

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