漢字は読まず:第百十四章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

漢字は読まず

 

漢字や難しい文字は読まないで感じるだけ

ある方が、相談フォームから私に手紙をくれました。
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神の化身様へ

漢字が難しいです(笑)

いつも、あなたの話を楽しみに読んでいます。
私は、神の化身様の話の中で、このようなことを話されていて、多くの人は理解されているのかと、よく考えることがあります。私の会社には社員食堂と、喫煙室があり、タバコを吸う人は食後に私を含め喫煙室でのんびりしています。私も、いつものようにタバコを吸いながら、こちらのサイトを見て、読みふけっておりました。すると、隣にいた同僚が「おい、それ俺も読んだ」と声をかけてきました。彼が言うには、40数章あたりで読むのをやめたそうです。理由を聞くと「全体的に書いている内容が分かったから」と答えました。確かに、40数章あたりまでは、こんなものかという感じでしたが、そこを過ぎて進むと忘れましたが、何章目かあたりから、読むことが自分に取って学ぶことになり、今では読み返す事や新しいページを読んだりという感じで、日々学んでいるのと号泣するページなどもあり、更新されていない日などはがっかりで、午後の仕事に力が入りません。
ここまでは、私の感想ですが、だからこのサイトで40数章あたりで、それ以上は読まなくてもわかるという勘違いしている人が多くて読むのをやめてしまう人が多いような気がしますが、それでもいいのですかあと聞きたいことは、人殺しの話やいろんな話は事実ですか。
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難しい文字は、無理などして読まなくてもよいのです。

漢字の形には意味があるだけで、読まなくてよく、情緒を味わえばよい、だから、読みなおすたびに、あなたは成長していることを知ることになる。

なぜ、難しいと思う漢字なのか、そこには、その漢字に秘められている形の意味が必要だからなのです。

漢字は読めない私はひらがなというものもわからない。ただ、私は代筆者にインスピレーションで話しているだけで、それを受けた代筆者が、理解して、私が必要であるから書いている形の漢字なので、難しければ読む必要はありません。

但し、その漢字の形を感じてほしい、そのためにインスピレーションがある。何も考える必要など全くない。形だけ見て、とばして読むことも良い方法だと思います。ただ、読んで意味が解ればよいことに越したことはありません。

 

神も読まない漢字

次に、あなたの言う、途中まで読み、全てがわかったように話す者がいても、その者は、それで理解ができたのだから、良いことだと思います。

私の話が、面白ければ、きっと最後まで読まれたのに、真実の話はつまらないものだから、致し方無いことなのです。

次に、私の話に出てくるものは、例え話を除き、すべて事実です。事実だから、つまらないのでしょう。

それでは、せっかくなので、つまらない話を書いておきましょう。つまらなくて立ち去ってもよいのです。

 

案の中でも濡れているもの

浩然とする者が、空を眺めていると淋雨が続くことに気が付きました。

しかし、降り始めて数時間は経っている。

来ている服もびしょびしょだ。でも、浩然の者は、気に留めることもなく、石段に寝転がったまま、起きることもない。

通りがかりの者が、風邪をひきますよ。と声をかけても「ありがとう」と返すだけで、また、数時間その場から離れることもなく。

雨は良いな、風が吹かない限り、天からまっすぐに進んできて、地面とぶつかり、屋根とぶつかり、人とぶつかり、だからといって怒る者もいない。

もし、私が誰かに真正面からぶつかれば、相手は怒るだろう。相手によっては手を出す者もいるだろう。

でも、雨は違う「ちくしょう、雨か」と言われるだけで、殴られることも、説教されることもない。

大好きな洋服に、降り注いでも、傘を持ってくればよかった。と反省されるだけで、雨を責めても仕方がないとあきらめる。

でも、雨の側に立てば違う。垂直に落ちてくる雨は、地面すれすれで震えながら、地面に衝突をする。そして、死を迎えるのではないかな。と浩然の者は考えた。

夕方の明かりと、日の出の明かりは、もしかするととても似ているかもしれない。但し、ほんの一分程度だけれど、そうすると、雨とオシッコは似ているかもしれない。浩然の者は考えていた。

でも、雨の匂いを知る者はいるのだろうか、と浩然の者は考えの答えが見つけられないまま、両手でお椀を作り雨が溜まるのを待って、臭いをかいでみた。

浩然の者は、その時に雨を知ることができた。

雨は、地上に落ちる前と、ずっと高いところにいるときでは、全く匂いが違うだろうと、それならば、もっと上の雨の匂いを嗅いでみようと考えたが、空を飛ぶことができないので、山に登った。

そして、その山の中腹で一回、頂上で最後の一回お椀を手で作り臭ってみた。

浩然の者は、違うことを確信したのです。

浩然の者は、きっと高く昇れば、もっと違う匂いを感じることができるだろうと、空を眺めました。

 

雨雲の空を見る

その時、彼は泣いている自分がいることに気が付きました。高いところから、高いところへ、きっとそれを繰り返せば、天国に行けるのでは、そう思うと涙が止まりませんでした。

その時に、雨が話しかけてきました。浩然の者よ、天国に行きたいのかい、天国は、あなたの近くまで来ている。

天国へは、高い山に登る必要は全くない、いや、かえってそれでは天国から遠ざかる。もう一度、私が地面にたたきつけられるとあなたが思う場所まで戻り、あなたの取り柄である、ゆったりと雄大な心、心の穏やかさを、沢山の人に身をもって行為により伝える事です。

山の頂上にいては、誰もいない、すると、あなたの素晴らしい性格も無となり、神はあなたを天国には導かない。

浩然の者は、雨が話すことには何の疑問も持たないまま、山を下りることにした。降りて見て気が付いたことは、人が多いことと、悪臭、でも、その悪臭とは欲望や騙し合いなどであることは浩然の者は知ることになった。

一度、離れたところから、俗世を見ると、初めてわかるものだと感じた。

浩然の者は、でも、私に何をさせるために、このような喧噪の場所に降りるように言われたのだろう。

「あなたの取り柄である、ゆったりと雄大な心、心の穏やかさを、沢山の人に身をもって行為により伝える」その意味は、考えることは無いと思い、天国にいると言われる神に、私は近くまで来ているとのことなので、ここにいる事には意味がある、きっとあると思う。

雨が、また降り出した。浩然の者は傘を持っていたので、すぐに傘をさした。でも、数日前の雨とは違い、篠突くのように降ってきた。

先から来る者が、傘がなくずぶぬれで歩いてきた、浩然の者は何も考えることなく、この傘をあげますといった。

その人が「あなたはどうするのですか」と聞いてきた。浩然の者は、雨と話をする必要があるのです。と真剣に答え、歩き進んだ。

 

神の化身と話したいので雨を待つもの

浩然の者は、雨と話した。雨は、浩然の者よ、よくぞ人のために行いができた。これからもそれを続ければ、天国へ行き、神と会えることだろう。

浩然の者は、そうか、人のために何かをすることで、私が、山を登るのではなく、天国が降りて来るんだ。そして、神のところに上ることなく会えるんだ。

浩然の者は、心がいつも動じることなくゆったりとしているので、自分だけのことを考えたことがない。

だからと言って特段人のことを考えて行動しているわけでもなく、考えていることは、天国とは神様とは、漠然としたことのように聞こえるが、浩然の者は、それを考えている時間が最も楽しい。

あなたは、浩然の者が、せっかく雨の話をしたのだから、笑いながら、雨の日に、傘を持たぬ者に傘を差しだしなさい。

だから、神は雨となり、浩然の者と会うたびに、七つの掟を話したが、神の七つの掟のいくつかを、伝えなくても浩然の者は出来ていたことが、神は何よりもうれしくて、これからは、時々雨になり、あなたと話をしようと思った。

どうだい、神の化身の私の今までで一番つまらない話になったかい。そうなれば何よりだ。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身