あの時への後悔:第四百五十六章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

あの時への後悔

 

あの時の後悔

いつか、あなた方はこの世を去る、何度もいうが、その時になって、日常にもある「あの時に、こうしておけばよかった」と後悔する日々も、いまならば「あの時、こうしておけばよかった」と涙することは無く、道を進むことが出来る。

しかし、それは今日から始めれば、取り返しはつき、今生で行うべきことを行う事も出来て、そして、時計の針が止まると棺を前にして、その中に入り横になれることに笑顔でいられ、そして行くことだろう。

哀れを止めるが、歩くべき道を歩かなかった者に、神は同情することはないが、あなたの生きた道を、残念に思うことになる。

文目も分かたぬ暗闇で過ごす者は、道理を知らぬ愚か者で在り、なぜ、ここに来たのかを、亡くなった瞬間に「あの時、神の七つの掟を行っていればよかった」と嘆くことになる。

荒肝を肘くように、恐怖を与えれば、道を歩けるという者もいるが、それで行えたとしても、そこには道はない。

 

輪廻転生

前世までの行いのために、因果応報のように輪廻転生をしてきたのだから、罪を償いなさい。

罪の償いは、手を合わせたり、陳謝を述べたり、身をうつ伏せにしたとしても、それは罪の償いにはならないことは、すでに何度も話しているのだから、知っていることだろう。

あなた方が、今生と立ち別れる時に、己の罪の償いに笑顔していなければならない。それが、あなたの輪廻転生をしてきた道なのだから。

あなた方の目前に現れて、あなたの道を塞ごうと、あなたに悩みを与えるものなど、瑣事と気にすることなく、受け入れて進むことです。

 

神という牛

古に、飼い主に従順であり、とても頭の良い牛がいた。飼い主は、その牛に神という名前を付けた。

飼い主は、牛と一緒に農作業に明け暮れていた、そして、牛と家路につくと、農作業で汚れた牛の足を泥が無くなるまで丁寧に、何度も井戸と往復をしながら水で洗い流した。

飼い主は、神が元気のない日は、農作業には連れて行かず、家に置いてきていたが、いつも、後から神は現れて、飼い主の仕事を手伝った。

そんな神を、飼い主は心の底から愛し、神の行動を真似するようになった。神は、年寄りたちの農作業を見ると、近くに行って手伝おうとするので、周りの者からも、神は偉い子だと可愛がられ、皆からお腹いっぱいになるほどの藁を貰っていた。

これは、神が他者の為に何らかの行為を行う事で、神は藁が欲しくて行為をしていないにもかかわらず、行為への喜びが勝手に集まってくることを話している。

あなた方も、見返りを求めず、考えもせず、行為を行えば、与えたはずのものが何倍にもなって帰ってくる。

飼い主は、神を真似して、見返りなど求める気は聊かも持たず、困っている人を助けるようになった。神ではできないことをやってくれると、飼い主も周りの者から、尊敬されるようになった。

飼い主は、神と出会うまでは、小人閑居して不善をなすというような生き方をしており、その後にはいつも「何て俺は馬鹿なんだと」と後悔ばかりして「あの時、何であんなことを」という言葉を、暗い天井を見つめては、嘆いていた。

神と出会ってからは、なぜか神が神様のように思えて、夢にも出てきてくれるようになり、その時に思ったことは、もう後悔することのない生き方をしようと、神に誓った。

 

後悔と償い

あなた方にも、牛の飼い主のように、考えを変えてくれる聖人や君子に出会うことがあり、すでに出会っていることに気が付かないでいるのかもしれない。

あなた方は、畏れることは無い、物が無くなることは無く、必要なものは必要なだけ与えられ、不要な物は、捨てていくのです。

あなた方が、生きている中で、あなた方が行わなかったことによる後悔や、傷つけたことへの後悔などは償うことが出来るのであり、それは償う相手は傷つけた本人では無くて、誰でもよいので、他者の為、困っている者のために善行を行う事で、償いを終わらせることが出来る。

しかし、それが出来るのは今だけであり、あなた方が亡くなる日には、それはできず、いたましい不幸をもって左の道へ行くことになる。

あなた方に、学問を勧めよう。私の勧める学問とは話を聞いて学ぶ学問ではなく、学問とは、他者の為に善行という行為をすることにより、それを繰り返していくことで学べるのであり、本当の意味で身につくものであることを話しておこう。

善行という行為を一つ行えば、罪が一つ捨てられ、困っている他者を助ければ、また一つ罪が捨てられて行き、無為となる。

 

物を捨てる

この世で物を持ちすぎると、いずれ、その重たさに押しつぶされるか、禍をもたらすだけであり、捨てることである。

あなた方の、家の中を見に行くことがあるが、部屋に不要な物を持ち込みすぎているのを、いつも見かける。

それも、短い今生において、あなたには必要最低限の物があれば良いのであり、整理することにより、持ちすぎているものを、軽くしていくことにもなる。

軽くすれば、善行も素早く行える者となり、罪の償いをいくつも終わらせることが出来る、それによって、「あの時、こうしておけばよかった」という後悔は無くなり、あなたの時計の針は、終わりを告げる。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身