神・束の間の肉体:第百九十四章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

 

 

神・束の間の肉体

 

束の間の肉体と輪廻転生

人生の儚さを考えた時、時が過ぎ去る無常であるという事になります。そして歳を取り、死ぬ間際になると今までの己の人生が、瞬きの間に過ぎたこと、これを切に感じるのです。

このこと自体は、今、この時に、今日までの人生を振り返り、長かったでしょうか。短かったでしょうか。瞬きをしたように生まれてから昨日までが通り過ぎていると感じることが出来れば、己自らに己で苛虐を与えてきたかがわかるのです。

そして、今日までの人生の短さを知る立派な者は、亡くなる前の日は、もっと、人生とは束の間であったことを知ることになり、善行を行わなければ、悔やんでも棺の中で、己のここに来たチャンスを生かさなかった、一粒の長い涙を流すだけの人となります。

その時に思う事は、肉体のある時間とは、このように「束の間」の時間であるとわかっていたのなら、善なる生き方で最後まで生きればよかった。あんな恥ずかしいこと、あんな愚かなこと、お金のために人を裏切ったこと、嘘を吐いたこと、騙したこと、数えられない幼稚な行為に、肩を落とし息を止めることになるのです。

今なら間に合うでしょう。あなたが肉体を持っている間は「束の間」の時間しかありません。ここでいったん、この流れを堰き止めて、瞑想など方法は結跏趺坐でも何でもよいので、十五分程度目を閉じて、今の自分を客観的に見てみることです。この時に、精神を落ち着かせる必要など全くありません。

次に考えるべきことは、善行為に対して渇愛することです。善行為に対して執着することです。

ここまで来たら、気概を持って善行為を行動に移すことです。肉体がある時間が束の間であることを知った限り、善行為を挨次するしかないでしょう。

今、私に怯懦を恥じている場合ではない、誰もが臆病なのだから、誰もが出来れば逃げたいのだから、尤悔は今までに沢山あるでしょう。これからも積み重ねるのですか、違うでしょう。

宛延と不善の生き方を続けるというならば、それがどのようなことになるのかは、何度も話してきているので仕方ありませんが、肉体は束の間であることを忘れないで下さい。

不善は僻事といい、道理や事実と異なるという事です。道理に沿わないのであれば、それはあまりにもばかばかしい、喜劇のようなユーモアも持ち合わせない。ただの滑稽であるのです。

 

 

理論武装と嘘

この世に何をしに来たのか考えるのです。逃げるために来たのではなないでしょう。罪の償いに来たのでしょう。罪の償いのために、苦の世界を自ら選択して来た。

そして、実はこの苦の世界にいる時間は、ほんの束の間であることを、今この章で知ったという者も、いるかもしれない。

このような考えの者がいる。肉体があるときが束の間なのならば、物事を深く考え時間をかけて答えを出すよりも、物事を簡単に処理して、次に進められる最も簡単な方法として「嘘」を使う事で、束の間の時の間に、より多くのことが処理できるのではないでしょうか。

確かに、嘘を吐くことで適当にその場のことを終わらせて次へ進められるが、次も同じように進めていくと、必ずどこかで 嘘を吐くという事は、騙すという事とは違い、まったく学んでいない=考えない、ということなので無知がために、人のために生きる、他者のために尽くす、という本来肉体がある束の間の時に行うべき真理を完全に蒙昧していることになる。

そして、学ばなければ、同じことを繰り返すのは至極当然なこと、その為、嘘で切り抜けていく者の前には、いつか必ず理論武装している者に出くわし、叩きのめされる。

学ぶ者の前に、理論武装している者が現れても、学ぶ者には、その理論武装者を理論武装者と、思う事もなく、真理の会話が成り立つ。

 

真理と刺激

束の間の時を、善行為に走らず、愚昧でいる者には、神は何もしてあげることが出来ない。神は、あなたが、世間の多種な刺激から随眠に流れて行くのを見かねている。

いつあなたの真理の目は開くのか、稲麻竹葦の中にあって、その沢山の人にもわかりやすく、短い時間を束の間という言葉で伝えて、大切な心理が説かれていることを、ここで学ぶことが出来たと、頷けるようであれば、あなたの罪の償いも、終焉に近づいてきているかもしれません。

あなたは戦うと決めた。肉体を持っている時間が、そんなに短いのであれば、甜言蜜語に惑わされることも、流されることも拒否をして、善行為を真っすぐに勇気を持って進める、と誓う事です。

他者に対して、善を行う上で重要なことは、何かができたかという結果ではありません。行ったかどうかが大切であり、それが絶対なのです。これは、以前にもお話していることですが、全ては結果ではありません。

何よりも重要なことは、善を行動に移して、行ったかどうかだけです。声をかけたか、賑給を行ったかどうかです。

もし、それらが行われていなければ、それは必ず愚の前兆となります。

 

輪廻転生と成功

あなたが、この世に降りてきて、まだ、いかなる誘惑にも惑わされることのない、自己本然の姿であるときに戻ることはできません。但し、束の間しかない、たった束の間なのですから、今から、今日の話を生涯全うすれば、自己本然となり、神になることが出来るのです。

しかし、束の間だというのに、物や金、物欲。片方だけの執着。刺激、快楽。これらを追いかける者は、手に入れても、手に入れられなくても、必ず、叩きのめされる。

追いかける成功とは、罪の償いであり、これを成し遂げた者が、真の成功者という者であり、莫大な富を得ることになる。

莫大な富とは、罪の償いを成し遂げた者にだけ、手に入れることが出来るものであることを、忘れてはならない。

あなたを、真の成功者にするため、神になるために輪廻転生して来たことを気づかせるために、礎をここに神は送ったのです。

秩序正しい真っすぐな思考を巡らせることは、肉体を持つ束の間だけは非常に大切で、いつも気を持っていなければなりません。肉体が亡くなれば、善しかないのですから、いちいち何も考える必要などなくなるのです。

 

輪廻転生と天使の口づけ

最後に、今日の「束の間の肉体」についての話の生まれる元、赤子が生まれ出たときになぜ泣くのか、これは、以前にも話したことですが。輪廻転生を行うと決めて、妊婦を探し、己の罪の償いに合う妊婦を見つけて、この世に降りてくる。

降りてくる途中で、俗にいう天使の口づけにより、俗世に生まれ出たら輪廻転生時に決めて来たことを全て忘れられるようにしていただける。

そして、母体から生まれ出たときに、これから始まるこの世での苦、その苦が辛くて怖くて泣いているのに、肺や心臓のためなどで泣いていると言い、恐怖からだという人もいますが、この恐怖が一番近いでしょう。

あなたが、「束の間の肉体」を利用して芝蘭玉樹と優れた、徳の高い人になられますように。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者す。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身