気にしてほしい:五百四十九章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

気にしてほしい

 

今回は、下記のお手紙を相談フォームより頂きました。
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他人との関係で悩んでいます。嫌われてるいるのではないかと気になってしょうがないです。色々な方が運気が上がる方法や神様仏様が救ってくださると言っておられます。こういったスピリチュアルを語られている方々は本当に大勢いらっしゃいますが、実際はどうなのでしょうか?この世の真実は神の化身様が言っていることが真実なのですか?私は色々な信仰をしてきたので何が本当なのかが判断できません。今は死にたいそれだけです。自殺する勇気などありませんが。
私はここ数ヶ月霊能者の願望実現の動画を数時間聞き続けています。これは意味があることでしょうか?また霊能者には本当に力があるのですか?
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お手紙ありがとう。

 

嫌われている

醜い言葉や、暴力を受けたのならば、嫌われていると考えても良いが、そのようなことは実際には起きていないのだから、悟性の歪みが原因で、そのように考えてしまっているのです。

この歪みを正す方法は難しくはない、まずは矛盾や対立を意識し、それを克服するためには、相互で矛盾する定立と反定立、これはどちらも持っている意識を理解することで、あなたが他人からどう見られているのかを、気にすることが無くなる。

言葉をかえれば、誰かに心配されたい、誰かに気にかけて欲しい、このような思いや考えを捨てて、良い意味での自在不羈、それは、他人がどう思っているのかを考えることなく、他人から束縛されず、正しい道を歩くという意味である。

他人に、良い意味で、心配されることや、気にかけられることは、心を落ち着かせることにもなるのだけれど、それを求めているようでは、前に進むことができなくなる。

心配されたり、気にかけられたり、これらを求めるのか、求めないのか、ここには差がないことを知れば、求めているものが矛盾であることを知る。

捨てたり、求める必要がない、と己に言い聞かせても、二律背反の感情と言って、その間で藻掻き苦しんでいる、それが、今のあなたの状況ということなのです。

 

他人の目

何も、難しくは考えることなどなく、他人に、どう思われているのかという、無駄な考えを持たず、他人の目を気にしないという、ほんの少しの努力をしなさい。

しばらくの間は、今のように他人の目を気にする日々が続くが、そのたびに、気にするのを止めようと、別のことを考えなさい。それが行為に移す善行であれば、歪みは消えることとなります。

他人から嫌われていると思う、その根本には思惟という考えめぐらせることで、物事の解決を図ろうとすることから、いつまでたっても、他人から嫌われているのか、好かれているのかと、他人の心の中を探っては、悩みが尽きないでいる。

それらを改善する方法を書こう。紙とペンを用意して、その紙に、次の言葉を書きなさい。

他人からどう思われているのか、どう思われたいのかなど考えず、他人に求めることもせず、他人の心を探ることもしない。そして、ただ他者を助けて歩く一日とする。と書きなさい。

書いた紙は、ベッドの上の天井に張り付けて、寝る前には、張り付けた紙を読み、できたことに喜び、朝起きた時には、張り付けた紙を読み、今日も一日気にしない、と言ってベットから起き上がれば、それだけでよく、こんな単純な方法で、一日が終わる。

 

気にしない

あなたのことを、私がどう思っているのかと聞くのなら、愛している、という気持ちを伝える以外に、私の中には何もない。

この世で大切なことは、神の七つの掟を行うことだけかと聞くのならば、そうだと答える以外には、無い。

学びは必要であり、道理に適った生き方をする上において重要である、しかし、それは学校の勉強を一生懸命に学ぶこととは違っている。

学校の勉強が必要だと思う者は、その思いをもって学問を学べばよく、それは全く悪いことではない。

その反対に、学校の勉強が嫌いな者に、勉強することを強要してはならない、学問よりも大切なものを見つける者かもしれないのだから。

 

神様

それでは、どちらが優れているのか、正しいのか、答えは先に話した二律背反と同じで、この相反する二つの形が、実は、合理性と妥当性を共にもっているのであることから、どちらが優れていたり正しいのかという観点からは、どちらも優れており正しいとなる。

問題は、学問を取得して、それを何に使うかが大切であり、その取得した学問を生かして、無償で他者の為になる行為が行えるのであれば、それは善行となる。

学問を学ばない者も、神の七つの掟を行うのなら、それも正しく優れた生き方であり、己の中にいる本質を知る。

神は、あなたの胸の中にも、あなたという神がいて、天国には大木の神のほかに、沢山の神がいる。

但し、何度も言ってきているが、神が、今生にいる者の言うことを聞いても、助けることも無ければ、祈ってみても、あなたの言う運気というものを上げることも無い。

ただ、神に祈れば運気が上がると信じ込み、己を洗脳し、心の制御ができない極限まで追い込んだとしたら、実際には、起こってもいないことが、起こっていると信じることになるのです。

 

スピリチュアル

スピリチュアルは、一つの楽しみとして体験してみたりするのには何も問題はなく、不思議な体験ができることを楽しんでみるとよいでしょう。

但し、先に述べたが、あなたがスピリチュアルの世界の中に入り込みすぎ、実際ではないことに、実際だと思うようなことが起きないよう、あくまでも遊び程度で楽しむならば問題はない。

宇宙人と話せたり、守護霊が見えたり、面白い体験ができるかもしれない。ただし、それは、脳を追い詰めた似非現実であり、覚醒剤麻薬による幻覚幻聴と同じ脳になっていることだけは、忘れないことです。

神を語る者たちを信じるよりも、楽しむことです。あなたは、一つ信仰を持っていても、そこから別の神の語り手を探しては、話を読んだりしているでしょう。

いろいろな語り手の話を聞いて、心が打たれたならば、よく吟味して、喜びを他者に与えられるようにすることです。

 

愛している

私はいつも言っているが、私を信じる必要など全くなく、私も信じてほしいなどとは全く思ってもいない。

私の話も信じなくてもよい。ただし、神の七つの掟だけは行わなければならない、神の七つの掟を行うために、ここに来たのだから、それだけは必ず行いなさい。

自殺をする勇気がないというのは、自殺をしないという勇気があることなのだから、前にも話していることであり、あなたは勇気のある人なのです。

霊能者の話を何度も聞いていて、先にも述べたように、胸に突き刺さる話があり、それが、他者を助けて生きる話であったならば、実践することです。ただし、そこにいて己を己で洗脳に堕ち込めないことだけは覚えておきなさい。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身