許しに酔う者:第五百二十三章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

許しに酔う者

 

許しを乞う者の朝焼け

私は一度に沢山の者の行動や言動を見ているが、私が見ているかもと、考えてはいても、それを打ち消し、つい己の中の悪い部分が出てくる者がいて、それにより鬱憤が晴れた時には、何ということを行ったのだろう、なんて言葉を使ったのだろう、と私に許しを乞う者がいる。

私に許しを乞うても、私は何もしない。許しを乞う前に、己の満足を先に手にし、相手を追い込んだ者へ、私には何もできない。

かといって、右を歩く者にも、私は何も行わない。しかし、この二つには大きな差があり、その差を縮める方法は、神の七つの掟を行う以外には無い。

最初の部分で言うなら、己の道をわかっている者だけが行える、己への言い訳を、甘い蜜として、スプーン一杯に飲み干したのです。

それでいて、その後は、神に手を合わせて、申し訳ございませんでした、このようなことは二度と起こさず、いつも笑顔で、怒りを捨てて善行の道を歩きます。

このような智慧者では、同じことを繰り返すだけで、同じことで、神に手を合わせて、己の行いを帳消しにして頂ければ、絶対に怒りを捨てます。このように言うのです。

 

いかりを捨てラる朝焼け

いかりを捨てることは、何度も話してきているが、賢しらな己を自慢する者、賢しらな己の言葉に酔う者には、怒りを捨てることはできない。

今回を限りに、怒りを捨てると誓うのなら、阿呆になれ。何度も言うが、怒りは、己の方が賢いと思うことや、己の方が間違ってはいない、己に対して唾をかけられるようなことはしていない。

全てが、己から始まり、己で完結したいと願う、欲望の塊であり、それを捨てる方法は、実に簡単であり、私が何度、話しても、未だ、わかったふりをする賢しらな者から抜け出せないからである。

全ては、他者を助けることから始まり、他者を救って完結する、それが、あなたの決めて来た道なのです。

だからこそ、ここに来るまでは、怒りと欲望と、常に己優先と生きてきたのであり、それに間違いはない。

但し、ここに来た限りは、それらを捨てて、他者のために生き、己の存在すら考えない阿呆となって、道の傍らに蹲る者を、何の我利も持たず、全ての力を出し、助けて歩くのです。

 

天国の朝焼け

あなた方の、歩く道は常に、あなた方を天国へと行かそうと、あなた方の為に、短褐穿結を身に纏い、あなたにチャンスを与えている。

あなた方の恐れは、己の持つものを、道端で倒れる乞食に、渡したくない、乞食に渡しても、見返りが無い、そう思って神である乞食から、できる限り遠くを歩こうとしている。

なぜ、遠くを歩くのか、それは後で、遠くにいたから、近づくことが出来なかったから、と言い訳をするために、遠くを歩くのです。

己が、箪食瓢飲に満足することが出来ず、常に己のゆとりと余裕ばかり、考えては、それは違うと打ち消す己に酔っているに過ぎない。

それは、行動をしないということです。これならできる、ここまでならできる、その出来るという言葉と、できないの境界線は何か、それは、今の己の生活を貶めてまで、他者を助けることが出来ないと考えることにある。

 

徳と朝焼け

私が、何度も言ってきている話に、徳を持つ者は、日々、物を誰かの為に置いていく、置いていく者には、日々、置いてきた物以上のものが入ってくる。

日々、物を得ようと、一生懸命に働く者や、一生懸命に知恵を働かせる者には、得ようとするばかりであるが故に、何も増えることはない。

増えないばかりか、心と頭で大きな音で不平を鳴らしては、己の意地汚さに後悔をし、後悔によって許されると思っている。

あなたは、誰に許されたいのか、それは、神であろう。しかし、神は何もあなたにすることはない。

だから、神は何もしないのだから、今のままで、不要なものまで増やそうと努力をしているあなたに、あなたの中の、あなたという神は、いつも涙をためて、それでもあなたに、芳志しているのです。

許すか、許さないか、それは、あなたが決めることだということを覚えて歩きなさい。あなた以外に、あなたが後悔していることを、許す者はいないことを知りなさい。

 

徳は待たない朝焼け

時は待たない、私は、それ故に、ここで話している。常に箴言という言葉は、賢しらな智慧者として知っていて、戒めの言葉を己に投げつけては、それでも、我に酔い眠れば、目覚めとともに、昨日の罪も愚かなあなたからは消え去ってしまったと、今は見えるのだろう。

もっぱら、利己的な者の行動の過程には、自分自身の安寧をはかろうとするが、それすらも、己で食い尽くそうとしている。

己しか考えない、己をいつも考えてしまう、そのような者でいたいのなら、寸毫もここには来ることが無かった。

ここに来たのは、あなたが右の道を歩きたいと願っていたからであり、善行の道こそが、己の今生を最後にするためと日々考え、考えない日は無いことだろう。

しかし、智慧を働かせて、腕組みをして考えている間は、あなたは、あなたの欲望を捨てていないことを、よく表している。

それこそが、済度し難い者という、あなたに他ならない。考えることを止めなさい、考えること止めて、困ったものを探す旅に出ることです。

旅は、遠くはるかに行く必要もなく、いつも、あなたの周りで見つけられる、それこそが、右の道を歩いているということです。

然るに、機先を制する者が徳を積めるということではない、誰かが先に、困っている者を助けようとすれば、あなた方は、そのままにせずに、助けようとする者に、力を貸して、助けようとする者に、徳が与えられるようにと願うことです。

道理に従い生きてきたことを、いつか理解するときがくる。今の行いが道理に適っているのかと、先のごちそうを探す者となってはならない。

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身