地の底まで落ちる:第四百十八章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

地の底まで落ちる

 

空

私の話したことを読んでみても、次に行う事は何か分かっている者が少ない。次に行う事は、心の中で再読することである。再読なくして心に積み重ねていくこと、行いの整理をすることはできない。通読を一つ一つと重んじなければならない。

人のためにと言っても、それ謀ることなければ、あなたは行いを達成させることは、この世ではない。

落ちそうなときには、地の底まで落ちる最低地変まで落ちることが最良のことであり、最低地変まで落ちれば、ほんの少し善という崖を登ってみたとしても、非常に上りやすく、善人への道を外すことは、もう二度と無いといえるでしょう。

善へと昇ることは、あなたに瞬時に喜びというものを与える。だから、喜びが右の手の上の岩に捕まれば、喜びを感じ、左の手が、その上の岩を掴めば、喜びを感じ、登り付くまでに、つまらない不徳な行為を行う気持ちにもなれなくなる。

落ちたくないと途中まで、爪がはがれ血が流れても、途中で食い止めた者を、可哀そうだと思いながらも我に力なく、我はただ登るだけである。そこから怪我の治療に専念している者に何も言えないまま、我の思いを謀らず我は頂上へ辿り着く。

落ちるのを途中で止めた者には、痛め止めという酒が撒かれ、それに酔いしれ、二度と登る気持ちは萎えてしまう。だから、助けることが出来ないが、登り切ったら必ず、その者たちにロープを降ろしてこそ人と呼べる。

いつも落ちてはならない、落ちないための行いに己の人生をかければ、生涯に措いて愛というものを持ち続けることが出来る。

あなた方に聞きたい、眠ろうと横になったとき、発する言葉はあるだろうか。

「よかったー、やったー」「なんとかやった」または無言・不安等々の、日々がどのように、どの言葉が、横になった瞬間に、あなたの胸を頬の緩みをむかえているのだろう。

ここに始めて来た者は、人生に絶望した者、己に絶望した者であっても、そこからは少なくとも数日で抜け出している。

「よかったー、やったー」「なんとかやった」は、神の七つの掟をできた時に、つい口から出る言葉なのである。

その為に、賭して話しているのだから、最初に言ったように読み流すことなく、再読し話を心の中に打ち付けていなければならない。

 

空は貧しい

悟りについては以前に話しましたが、無益な智慧は不要よりも悪を生み出す。己自身をよく見せようと間違った胸の張り方をする。

悟りに必要なのは、慈しみに溢れた智慧である。それは、誰にでも精一杯の思いで助けるという賢い智慧である。

この悟りの智慧を持てば、落ちることはもうない。落ちることに慄いていてはならない。落ちることは、摂理と思う事である。

しかし、己のことは一張一弛寛容であり厳しくを先んじていなければ、ただの甘えるだけで、泣けばすむと思う者となる。

悟りの智慧は過去章でも話していますが、今一度だけ話します。よく考えてみれば分かるように、人を何かの基準に当てはめたりせず、単に、ただ単に、他者だから助けるという、至極簡単な智慧があればよいことなのです。

これが、悟りであり智慧なのです。

悟りを啓けば、己を含め全てが空と話す宗教者が多くいる。それは大きな間違いであり、空などは一切ない。

空でありながら、一時的なものと話す者がいる。一時的とはさて、何の尺度で時間を見ているのであろう。

空とある意味は何か、無いという事である。けれど、あなた方の目の前に置かれている物を見てみれば、見るという限りには、空はなく、色がある。色があるから、存在しているとわかり、色が存在す限り、物には色があり、空などというものが無いことを教えてくれる。

それを一つの宗教ではどのように説いているのかを見るときに、簡単にわかり易いのが、五蘊という仏教の教えの言葉である。

これを見れば、空となすと、色、想、受、行、識、この五蘊には違いがある。

今日、何のために、このようなことを話しているか、それは、宗教に塡まりすぎている者の下記の、お手紙にある。
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神の化身様

神の化身の教えを読む限り、不足することが多々あります。なぜ、人のために生きなければならないのか、という事から始まります。自分のために生きながらも、それが、少しだけ人のためになればよいことであり、それが証として、あなたの代筆者たちは貧しいといい,金を貸してくださいなどとのた打ち回っているでしょう。よく考えられることです。人のために生きるのであれば、生きている意味が無いと、私の信仰する仏教では、説かれているとここで言います。
神の化身の教えは確かに正しいけれど、人という形を持っている限り、自分のために何かを行わなければ、その意味が無いのです。
皆物事を繰り返し変化して、それが人として空となるのです。神になることなどありません。すべては、無となるだけなのです。どうか、神の化身におかれましては、人が空と無になることを説いていただきたく、ここにおきました。
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お手紙ありがとうございます。

 

空について

今回は、このお手紙にお応えするために、上記の方でお話をさせて頂きました。

代筆者に対してのお言葉に私はお答えすることはありませんが、私のために、ということは、ここに来て読んでいる全ての人のために努力されている人たちであること、その為に苦労されているのであるのです。

さて、この方の言われることは、私がここで説く必要があるでしょうか。ここに来て私の話を聞き、そのものの上には「空」があるということであれば、それに間違いはない。

但し、空は在るといわれるのですから、有る在るというものは必ず無いものであること、空ではないという事を話されていることを、仏教の派によるものがあれど、空はあるものであり、この世に無いというものは、無いことを話されている人もいる。

私にとって、この世で尊ばれることなど不要であり、必要な人に話している。そう、それがあなた方であるのです。

あなた方は、空ではなく、尊ぶ色を持ち今の世に輪廻転生してきているのです。この教えのように空が目的であったり、空が結果であったり、行う事と存在することが「空」であるならば、あなた方は何のために「空」なのでしょう。

あなたが行う行為により、他者が行う行為により、心は識を持っているからこそ、感じるのであり、それらが「空」ならば、あなたの存在も、神の存在も、どのようにすればよいのでしょう。

悲しき人は今何を思うのでしょう。空であるならば、思い込むことも無く、悩むことも無い、空でないから、考えている八紘一宇のあなたは、全ての人を貴められる人にしようとされているのです。

 

仏教は貴重な宗教

極限が空ならば、何を張三李四として俗欲を望まざるにして生きていられないことでしょう。

このようなお話をすると、いつも仏教徒の皆様方から、漫罵のごとくお手紙を頂くのですが、私の話は事実だけで、何も足してはいないのです。

私を、蹴踏のごとく踏みにじることは、あなた方の信じる仏教の心に反することとなるが故に、できることならば、解き明かす者がいつか分かる日が来るとの思いで、気にされることはありません。

ただ、私は神の化身として、この世に降りたり上がったりと、大木の神が天国に早く来て欲しいと、望む者達に、そのお願に来ているのです。

私は、イスラムの教えで在ろうと、今回の仏教の教えで在ろうと、如何なる教えも、如何なる宗教も全ては、信者を集め、布施を集めるためのものに、なってしまっていることを嘆かわしく慮りでございます。

ただ、信仰を持つこと、宗教に入ることは、決して悪いことでないことは、何十回も説いていますので、心弱き者は、何処でも良いので宗教に入りなさい。

最後に「空」とは面白い教えであります。しかし、色がある限り「空」は無いことが明らかであり、それでも、最初に誤って説いた惇朴であり崇められた至人の心の働きは鏡であることを、思わなければならず、それに手を伏せることは、この宗教に入らずとも行う事である。

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)