人間では見えない:第四百三十一章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

人間では見えない

 

人間では見えない

見ようとしても、人間である限り、見えないものがあることを理解している者が、道を歩ける。それ故に、有は大切であるが、無があってこそ、有があることを知らなければ、有の道の大切さを理解する者とはなれない。

難儀で煩わしいから、煩雑となり、それ故に、身動きが取れないほどに、あなたを俗世の者が、あなたの口を無理やり開かせ、甘い蜜をほんの少し飲ませれば、あなたは、それを欲しがり、俗世の者の僕となり下婢となる。

甘い蜜など欲することなく、心は常に安らかに清適であるためには、己のことを思うことも無く、他者の喜びの根幹となれるように、常に生きていることである。

心が寂莫と寂しい時には、座り込んでいてはならず、ゆらゆらとした千鳥足でも、街を歩いて、困っている人を助ければ、ありがとうの返し言葉に心が喜び、寂莫から覚めるのである。

 

神の七つの掟

生きて行くには、己が飛び越えてこなかったために、高いハードルを積み上げている場面に出くわすこともあるが、それを見てもう無理だなどと思い、後ろを向いて、神への道に逆行してはならない。

当然、ハードルの横をすり抜けて行くことは、終わりにしなければ、次にはもっと高いハードルを前にして、業苦を味わうこととなる。

高く積み上がったハードルに手をかけ、登って行きなさい。そして、乗り越えなさい。あなたが、あなたを救う時が来たのだから、もう逃げる生き方はやめなさい。

あなた方は、罪の償いをしに来た、罪人であることを忘れてはならない。今生に輪廻転生をしてきたとは、罪の償いをしに来たということなのだから、己は過去世のことは覚えていないから、罪を過去世で犯したことなど知らないという者は、悟りなさい悔悟であることを。

あなた方が無垢だったのは、生まれてから三歳までであり、それからは罪人で在り、いつか謀が出来る時には、今生でも罪を犯したことを思い出すことになるのです。

 

人間というものは

人間というものは、私意を持って周りの者を己の思い通りに回そうとすることがある。このような行いは、作為と同じであり、狡知を働かせる智慧者の行なう行為である。

己に固執してはならない、誤りも遜り聞き、そして行為によって間違いを正す者とならなければ、ハードルを飛び越えることは出来ない。

愚か者は、豊富な知識を駆使して、言葉で相手に理解させることに時間を費やしては、ハードルを飛び越える必要などは無いと、生きて行く。しかし、その先に何が待っているのかを知らない。

愚か者は、追懐しては、あの頃に戻れるなら、あの頃に戻れれば、きっと神の七つの掟が容易に出来るのに、などと無駄な考えに時間を取られては、眠ってしまう。

今、ここに来ても出来ない者が、過去に戻ってできるわけなど無いだろう。過去に戻れば、少しでも捨てようとしている、俗欲や怒りや知恵を使いたいだけ使う者に逆戻りするだけである。

世間知らずの迂愚でよし、そのようになったなら、何の作為を持つことも無く、他者の為に生きること、善行を善行とも知らずに、行うことが出来る者となるのです。

 

人間とは

人間であるということ、生きているということは、思い通りになることよりも、遥かに憤悶することの方が多いのであることが当然であり、しかし、それも智慧を捨てれば、そのようなことで悩むことも無くなるのです。

悄然としていてはならない、そこには考えようとする力が生まれる。考えていると、そこには必ず、己の欲望が絡んでくるだけであり、道を戻ることとなる。

人々が囂然とし、言葉を使って殺伐と騒ぎ立て争い合う中にいても、静穏な者となって、言葉は使わず、自然に行為することだけに身を任せる者となるのです。

窮迫な時を迎えようとも、窮迫が続いていようとも、そこから抜け出すことなどは絶対に考えてはならず、それが、己で決めて来たことであることを受け入れ、決めて来たようになって進んでいることに、喜びを感じる者となりなさい。

何度もいうが、心身という心と体は別物で在り、体を疲弊させても、心は常に興隆でなければ、他者の為になる親切な行為に目を向けることは出来ない。

 

神にハグされ

あなた方が、惻隠を行為として他者に向けるのであれば、それは奉仕となり、あなた方の心が、次の慈悲を行為として他者に向けたくなり、その行為を繰り返すのなら、人間の中にいて、人間を超え聖人となり、見えないと思っていたものに近づき、朧気であっても見えるようになる。

過去の罪に、懺悔などする必要もなく、そんな無益なことに時間を使ってはならない。今日からの罪の償いによって、所詮は消え去るものであり、その為に、ハードルを越えて罪の償いの善行を行っているのでしょう。

知恵を働かせて何かを行おうとする者は、その智慧に溺れ、窮地に追い込まれる。しかし、智慧を使わず善行が出来る者には、窮地に追い込まれていても、それすら知ることも無い。

今生で生きるということは、高みに住もう大木の神の元へ行き、ハグをされて、神となるためであり、もう一度、地獄への左の道を歩くことでは無い。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身