全てを受け入れる心:第百七十三章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

全てを受け入れる心

 

夕暮れ

今回は下記のお手紙を相談フォームからいただきました。
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いろんな宗教を渡り歩いています。
その中で、助けてくれるのは、神の化身しかいないと思いました。
助けてください。
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お手紙ありがとう。

神の七つの掟を全くやっていない。それで、私しか助けてくれる人はいないというのは、まったくおかしな話であり、私には何も助ける力などないので、私に頼られても何もできない。

今回のご相談は、徒なのです。

でも、このような徒でもかわいいし、かわいそうだし、このままだと哀れな最期を迎えます。

人を育てたいという愛情で、相手を試すのは決して悪いことではありません。

しかし、それ以外に徒で相手を試すことは、許されることではありません。

私の教えは、きわめてわかりやすく、きわめて守りやすい。

それが、神の七つの掟です。

されど、これを心の底からわかる者は、まだまだ少ない。尚更、理解し行う者は、まだまだ少ない。

それは、私を理解できず、疑うからである、但し、何度も言ってきているが、私のことなど信じる必要などない、必ず信じる日が来るのだから、それよりも神の七つの掟だけは信じてやり遂げなさい。

だから、類稀な者だけが、そこから抜け出て、喜びを享受でき、顰みに倣うことでよいのだから。

あえて大きな物事をすると言う構えをとることをやめることです。

危険な綱の上を歩く、渡人になるようなことであるだろうか。

犯罪を犯して、いつも怯えなくてはならないことなのだろうか。

あなたが死ぬかもしれない、慄くようなことなのだろうか。

あなた方みんなが、喜んで、楽しんで、そのもっと先の大きな喜びまで、背中を押すのが、あなた方の後ろにいる私であり、私はいつも、いつの時にも、あなた方皆の喜びの後ろにいるのである。

喜びや、楽しみは、あなたのものでしかない。

 

燃える日

あなたはいつまで、しゃがみ込み、膝を片手で抱いて、犯してきた罪科を数えているのだろう。

幾つ年が流れ、いつの日か亡くなる日が来ることを知らない、いつまでも年を数えられない、稚拙なのだろう。

いつの日か、あなたが燃える日は来るのだろうか。あなたの今は世の中にいるのだろうか。

あなたが、手に入れたくて仕方がない一つのものがあるのなら、手に入れた後、失う事の恐怖を考えていないからである。そのようなものに時間を割いていてはいけない。

あなたがいつまでも、拱手である人でいるのであれば、私の言葉が聞こえていても、感じることは無いのです。

しかし、拱手だからこそ、有益になることをいつか必ず知る日が来る。残念だろうけど。だから、私の話を聞き行動する。残念だろうけど、それも笑顔で。

 

神に近づく

精髄の向こう岸に、真理があることを知る、そこに達することが人としての終焉が来たことを教えてくれる。終焉とは輪廻転生の終わりであり、神になるという事なのである。

この世をあなたが平明と見たときに、あなたは神のほんの少し一%くらいがわかり、そうすれば、溟濛さえも受け入れることができる、

あなたはあなた自身の肉体の身勝手さを統御しなければならない。

それは、いつの時も、ゲームのようなものだ。常に勝ち続ける旁魄を受け入れることで、あなたはゲームの製作者となり、思い通りに動かすことができることで、肉体に負けることなどなくなる。

あなたは、掟を守るために聖になる必要などない、聖などは必要もなく、そのための勉に時間をとられていては、掟を行う時間さえなくなる。

あなたの守るものは、暮色が、いつかなくなるような儚い空の暗闇となってはならない。

しかし、それすらも、受け入れることこそが聖人であり、神にまた一%近づいたことになる。

ここまでの話は、今回の徒さんが、徒さんでなくなり、他者のために生きること、神の七つの掟を守ることを知るために話しましたが、まだ、できていない人へのメッセージでもあるのだから、前に前に進みなさい。

 

聖人となり神となる

私が、人間を見ていて、目引き袖引きという姿勢の恥じることを知らないこと、それ以上に、このような者になっては、世を見る目は潰れるであろう。

誰かと意見が違うのであれば、優しく抑揚をつけないで聞いてみればいい。相手の意図することもわからないで、意見の合う者の袖をもって、目配せをして、意見の相違と思えば、裏で蒙稚のような幼い考えしかできない者となってはならない。

聖人を目指すことなど全くない、神の七つの掟を継続できている者は、すでに聖人なのです。目標など持たなくても、神の七つの掟を習慣化すれば、それらは向こうからやってくるのです。

聖人になり神になるあなたが、気が合わないからと言って相手を謗るようであってどうするのでしょう。

気が合わない者ですら、受け入れることが大切だという、受け入れることの大切さを、今日はお話ししたのですから。

しかし、受け入れようとしなくても、神の七つの掟さえ行っていれば、いつの日か、必ず受け入れているので心配することもありません。

 

追伸:漢字が難しいという手紙を代筆者に頂くようだが、代筆者が返信しているように、漢字など読めなくてもよいのです。前後の文脈からこんな感じのことかと思っているだけでよい、同じ漢字でも、前後の文脈でいろいろな意味に訳されているのですから、わからない漢字を読むことは無駄なことです。次に、読み返しにきた時には、きっと別の意味をあなたは感じることだろう。

 

 

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償い」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身