執着と悪と不善:第四百二十章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

執着と悪と不善

 

執着と悪と不善

あなた方が、何かに執着していると、それを無くした時には、大きな悲しみを背負い、その悲しみが薄れるまでは、何もできなくなり、時だけが無情にも過ぎ、行うことが出来る目の前のチャンスすら掴もうとはしない、それが執着を持つ者の哀れな姿である。

それとは違い、執着を捨てた者達には、何を無くそうとも、悲しく感じるようなこともなければ、失ったものを探すことさえしない。

執着する者には、善行する時間さえも執着に使うために、己で己を苦しめることになるが、執着を捨てた者には、悠遠と遥かに善行の時が残され、それによって成し遂げることが容易に出来る。

執着を持たない者達は、人倫と言う善行の道を歩くことが、今日のあなたに与えられたことであり、明日には結果を出さなければならないことを知る。

 

功績や善行

あなたの行なう、功績や善行が多くの者の目に触れ賞賛されることが今は無くとも、執着を持たない者は、それを気にもとめない、だからこそ、必ず、顕彰される日が来る。

されど、あなたはそのようなものを手に入れたくて行為するのではなく、己の罪の償いのために、只管に行った事が、後に功績として称えられる。

あなたの前に現れたチャンスが、高く険しい高峻であったとして、いつものように智慧を働かすことなく、体が先に動くようであれば、人格の気高さをもってチャンスを生かすことが出来る。

それは明日の行いに影響されるかもしれないので、明日は必ず己からチャンスを掴めるように、ゆっくりと歩いてみることです。

 

執着

善と悪、善と不善は似ているようで、大きな違いがある。善はともに同じであるが、悪と不善とには違いがあるのです。

悪とは、寛容でない者が、不公平を世にもたらし、その主となる巨魁となる者が凶漢として、あなた方が善行の道を歩くことを遮ろうと、あの手この手を使う。

それは、あなた方自身が、あなたの償いの道を、困難なものとするために作り上げて、今生に持ってきた、根っからの悪漢であり、善を嫌う。

しかし、あなた方が、あなた方の成長のために作ったものであるから、必ず乗り越えられるので、決して惑わされてはならない。それは、あなたがあなたに負けたことになる。

不善を行為という方向から見てみると、行ってはならないとわかってはいても、ほんの少しならと悪欲に溺れて、他者を追い込んだり、騙したり、傷つけたりしてしまう。

または、行うべき善行があることを知ってはいても、不精と怠惰で見て見ぬふりをする。このような、状態は無気力であったり退廃的で道理が崩れている時間の使い方をしてしまっているのであり、これらは善を知りながら悪欲に流されることから、不善という。

 

忘我

執着と悪と不善、これらは必ず乗り越えなければならないハードルであり、乗り越えるために必要なものは、たった一つしかなく、それは、物事を恐れない強い気持ちです。

道ならぬことで、強い気持ちを拾うことなどはありません。無心になるという方法もあるが、きっとその方が難しいことでしょう。では、どうすれば強い気持ちを持てるのか、それは、淡きときに己を置くのです。

執着と悪と不善があなたの頭の中に現れたときには、淡きときの如く、頭の中で戦うことはせず、何も考えない状態にして、胸の中にいる、あなたという神に、それが過ぎ去るまで、執着とも悪とも不善とも、ともに天を頂かずと話すのです。

あなた方が執着するものは、必ず泡沫と消えていくのです。所詮消え行くもののために、どれだけの犠牲を払うのでしょう。どれだけの残り少ない時を無駄に使うのでしょう。

人にも物にも見えないものにまでも、執着という迂愚は、あなたに魅惑で理性を奪い飛ばして、善のあなたを、善には近づけないようにと、あなたを支配しようとする。

 

神

執着を持っている間は、あなたの望む結果を得ることは無いことを知らなければならない。あなたの望みは、相手の悪ではなく、あなたの過去世までの悪に対する罪の償いのためにあるのです。

それ故に執着をしてはならない、あなたの過去世で、あなたの悪事により、あなたを恨む者となった者から、執拗に追いかけられ、逃げることだけに時間を使い、善行で不善を覆うことが無かったから、あなたは今生に来たのかもしれない。

当然、追いかける者も、その執着が、善行を行う事をさせず、時の終わりを迎えてしまい、恨みという悪に溺れたために、輪廻転生をしてきている。

あなた方は、あなた方の目の前にある、あなたを誘惑し、そして忘我するほど執着させるものが現れたとしても、すぐに善行を不善にしてしまうことを思い出し、忘却してしまうことで、それ以上に無駄な時を過ごすことが無くてすむようにするのです。

執着や悪や不善によって、あなた方の本懐を忘れるようなことがあってはならない。あなた方の本懐は、神の七つの掟を、棺に入るその前まで行い続けて、他者への奉仕で、短い今生の時間を終わらせ、右の道へと進むことなのです。

執着や悪や不善が、あなたの家のドアをノックしても、入れてはならない。もし、入れたときには、必ず、あなたの大切なものを苛辣に失うことになる。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身