人間と差異:第五百三十一章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

人間と差異

 

人間と差異

あなた方は、感情の中にあって声涙俱に下るように、涙が溢れ、かつ憤りを感じ、それらを繰り返すことを日常のように向かえているのかもしれないけれど、誤ってはいけない、如何なる大事も、あなたが事を起こしているに過ぎない。

全ての者は、あなたのためにそこに居てくれている、何のために、あなたが神の七つの掟と言う善行を行い、神となるためでしょう。その神の七つの掟が行えるチャンスをあなたに作って差し上げるためにいるのです。

あなたのために誰かがそこに居てくれていることを思い出すために、神様助けてください。神様お願いします。と呼んだのでしょう。

選を異にするとたまに我を思うこともあるが悪くはない。それだけの価値がある者があなたなのだから、誰に何を言われようと己の抜きんでている優しさと怒りを捨てられることを自笑顔でいることに遠慮はいらない。

あなたは誰に対しても差異を見る目を捨てている、だから、玉石混淆としか誰を見てもわかることは無い。

それでいい、そのままでいいのだよ。人の差は、私がいつも話す他者への善行為だけであり、それ以外には、全て同じで、変わることなど何もない。

賢者と愚者がいたとしても、必ず、いずれの話も聞きなさい。そして、吟味しなさい。その結果が、賢者が正しく、愚者が誤っているのかを知れるようになれば、それでよしと思いなさい。そこに無駄口は挟んではならない。

あなたが今、吟味した賢者と愚者からの学びを台無しにする一番のことは、その聞いた話に、下らぬ己の意見を挟むことなのです。意見を話したいのであれば、賢者と愚者の意見を聞く前に話しなさい。

どうしても一言いいたいと、壇上へ向かう足を止め、話したがる口を噤み、蹈鞴を踏むことが無いように、いつも気を持っていることを忘れてはなりません。

 

評価と差異と映画と点数

人間でいる間は、物事に点数や評価や意見をつけたがる者が多い。例えば、耳目この二つだけを取り上げてみて、あなたはこの耳目の二つだけでも点数や評価をしたがる。

わかりやすい例を考えてみると、映画かもしれない。あなたが最近見た映画はどのような評価を受けているだろうか。

仮に、五点満点で五点の評価を受けているとして、あなたの感想では何点だろうか。この様に考えればわかることがあり、あくまでも、耳目だけで感じ取るものについてですが、それは、大好きなものが大勢いるのは、嫌いという者がいて成り立つということなのです。

五点満点だったあなたが見た映画に、あなたは何点をつけるのか、全ての人が五点をつけることは無い、そのことは過去章でも話しているので、わかるでしょう。

五点満点の映画は、その映画自体を見た人数が単に少ないだけということになる。そうすると、あなたと同じような感懐を持つ者が、ほんの少し批評をすることで、点数は大きく覆る。

しかし、ここでも考えてみなさい。良い評価を悪い評価に切り替えることは簡単に行えるけれど、そこに差を見てはいけないという、最初の話と同じこと。

あなたが自分で見た点数や評価は、自分の中に収めておけばよい。しかし、あなたの評価で、見なくてよかった、購入を取りやめてよかったという人も沢山いるかもしれないし、その逆もあるだろう。

評価や点数は、その対象物にあった、一定の数が購入したり見たりしない限りは、評価としては、残念ではあるけれど役には立たない。これは、生きる上でのこととも似ているので、注意することです。

ここまでの話は、取り立てて多くのことを話したのではなく、たった一つの事を教えるために、長文となってしまった。答えは己で導くことが大事なので、今回は探してほしい。

それらを含めて次の話を聞けば、このことかと気が付かれる者も多いだろう。さて次へ進みましょう。

 

神知る天知る

刻苦勉励力を尽くし前を向いて進む者があり、その者の口癖は、前を向いて他者のために生きると誓った限り、前を向いて倒れ死んだときには、神の足元にひれ伏していることになる。

だから、いつ死んでもいいように、思い残すことが無いように、神の七つの掟善行を日々行いながら、私は、神知る、天知る、我知る、皆知る。と言っている。

俗世の者たちも、大木の神も、善行へ走る私を見ている。だから、私が享楽に溺れたり人助けを行わなかったなら、神も、皆も、私に裏があることを知る。

私にも確かに、裏がある、しかし、すべての裏を瓶に詰め腰に巻いている、瓶の蓋は開かない、だから、裏に溺れない、裏に向かう時間を無くすために、今日も、今も、善行をさせて頂けるチャンスを探して四方八方に目を向けている。

私のこの姿は、神も皆も知っている。こんなにありがたいことは無い、神は、私がいつチャンスを見つけて善行を行うのかを、天から見ているのです。

だから私は、この道から外れることは出来ない、甘い蜜を舐めることもできないのです。本当にラッキーだとしか言いようが無く、善行は楽しい。

悪行を行う者にも良心があり、善行を行う者にも邪意が潜んでいる。これは人間であるからこそ、戦う相手は、己自身であることを説いている。

 

差異

だから、善行を神に見られているからよこしまなことは出来ない、己をラッキーと思うのも素晴らしいことなのです。

それと同じく、耳を掩うて鐘を盗む者にも良心があるのだから、そう考えればここへ来て、私にはできないと思った者にも、その中にある良心を前に持ってくることは普通にできる、前に持ってきたら、神の七つの掟を初めて見るのです。

その方法こそが、善行と言う名の神の七つの掟に他ならない。

朝三暮四目先の差異にとらわれていて、結果はわかっていても気づきたくないと逃げるような、愚か者となってはならない。

 

 

 

 

神の七つの掟

■ 神は言う:騙さない、悲しませない、
心を傷つけない

■ 神は言う:親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 神は言う:動物を食べない ヴィーガン

■ 神は言う:罪を犯さない

■ 神は言う:恩と責任・恩に報いる

■ 神は言う:我慢

■ 神は言う:奉仕と施し

これだけを行為として行えば、あなたはあなた自身で天国を選択し天国に行くのです。お金や物や宗教など必要ないのです、天国ではそんなものは無意味なのですから。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

 

 

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身

神より「我が子よ、最新の章から読むのも、第一章から読むのも、どの章から読んでもかまいませんが、必ず、全ての章を読むことが、今のあなたを、これからの、あなたを必ず完全に救います。それが約束です。私が今回あなたたちにのみ降ろした神の化身はいつもあなたたちの事を考えている、それを忘れてはならない。大木の神より」

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たち三名のいずれかに降りて来られて書いている者です。誤字脱字があれば、是非、相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)