不幸の上に立つ幸福:第四百七十九章

輪廻転生-神←だけは必ずお読み頂ければ幸です。後は最新の章から読まれていき、第一章にたどり着かれれば、望みを叶え完全にあなたを救って見せます。

 

不幸の上に立つ幸福

 

不幸の上に立つ幸福

あなたに、いつも言っていることがある、あなたが何を、この世で思い出にしようとも、この世を去る日には、それが意味するもの、その思い出というものもない。

信じた道を見つけた日から、誰のために、他者のために、何をしてきたのかと、それを思い出すことも、あなたの思い出にはない。

あなたは右の道を歩いて善行の門という、神なる門をくぐり、私の横に立つ、大木の神にハグされてる、あなたがいる。亡くなるとは、無くなることを知る日となる。

あなたが今生で生きてきた道の、つらい時、悲しい時、微笑む時のことも、何も覚えていることは無く、あなたは、一言、信じた道を歩いてよかった、と小さな響きでいう時が来る。

あなたが、もし、今も、生きている時間を長く感じているのであれば、そこには、本当のあなたが求めてはいない、不要なものを手に入れよう、不要な喜びを胸に入れようとしているからである。

神の七つの掟には、我慢がある、けれど、この我慢の意味を知らない者もいる、神の七つの掟の我慢は、不要なものを欲しがる我慢や、不要な喜びを感じたい我慢ではない。

神の七つの掟の我慢は、あなたが生まれ変わる時に決めてきた、旅路への我慢であることを知らなければならない。

 

旅路

あなたが、あなたの決めてきた旅路の終わりの日に、あなたがあなたの抜け殻を見て、やり残したことがあったなどと思うことがあってはならない。

それは、あなたが最初に決めて来た通り、人を羨み、境遇を憎しみ、酔いしれ忘れようと、誰かを傷つけては、誰かを裏切り、繰り返しながらも、生きた後悔があってはならないからである。

神の言う我慢とは、一言居士をいう。ここに、あなたが来ることは決まっていたと私が言っても、私を知らない限りは、とにかく異論を述べたいと思ってしまうのです。神の言う我慢とは、そういうあなたを指している。

あなたが、人生を長いと感じていたとして、あなたが決めてきた時間が来た時に、時の短さを知り、やり残す者となってはならない。

時が長いと言ったあなたは、時が短いという私の話を聞こうとはしなかった。私は、あなたが短かったという償いの人生を歩めるように、ただ只管に、話し続ける。

 

不幸

人の不幸の上に、どれだけ高い幸福を建てようとも、あなたの心に安寧の幸福が積みあがることは無い。

どれだけ人を傷つけ、甘い蜜を飲もうとも、あなたの喉の渇きを癒せる蜜などは、今生にはない、そして、あなたも、あなたの亡骸を見て、ようやく無いことに気が付く者となってはならない。

人を傷つけては、手にしてきた道は、あなたが後悔をしても、あなたは、また、人を傷つけては、何かを手にしようと道を歩く。

その道を歩くあなたが、ようやく誰かを、傷つけて道を作ったことに後悔をし、歩いてきた己に恥じ、傷つけた者、悲しませた者、恐怖に慄かせた者、その者たちに、あなたは何かできないかと考える愚者となる。

そして、あなたは何もすることができないと嘆く、しかし、嘆いても、右の道を行かない者は、人を傷つける道から、外れることなく、また、その道に歩みをはじめる。

しかし、あなたは、歩みを止めようと、自ら歩く道先に、割れたガラスを並べては、素足でそこを歩く、そして、その痛さにようやく、己の道が、どれだけの人の痛みでできているのかを知ることになるだろう。しかし、歩いてきた道は、あなたの後ろをいつまでも付きまとう。

 

傷つけ

但し、人を不幸にし、人を傷つけて、歩いてきた道も、ただ一つ許される方法がある。それは、あなたが生まれ変わる前に決めてきた、他者のために生きること、ただそれだけが、今までのあなたの罪を償うたった一つの方法、それが残されていることに、ここに来た限り、思い出しなさい。

傷つけ不幸を踏みつけてきた昨日まで、今日からの道は、それを償っても余りある善行の生き方、他者に親切にし、怒りを捨てて、誰であろうとも、雨の日に傘を持たぬ者に、あなたの傘を差しだし、生きるのです。

そのように、見も知らぬ誰かを助けて歩くのなら、そこに罪は償われる。その見知らぬ誰かは、あなたが、誰かに曖昧模糊と見せかけながら、あなたのためになるように、あなたが計らい、傷つけたり、苦しめたりしてきた相手である。

あなたが亡くなった日、あなたは天へと行く前に、あなたの抜け殻を見て、やり残したことは何もない、と一言響きを放ち、天に向かい、右の道へと行くのです。

 

罪

あなたは、犯した罪、傷つけた罪に今は苛まれていてはならない、あなたの行うことは、ただ一つ、輪廻転生時に決めてきた罪の償いの人生を、残りの全てをかけて行うことです。

何も、後悔などする必要はない、誰かを傷つけたからこそ、その痛みを知り、己の驕りを知るのであり、それに感謝をして、その代わりに、誰かを助けながら、席を譲りながら、困っているものに肩を差し出して、生きていけるのは、誰かを泣かしたからできることであることを知りなさい。

しかし、それを知ったならば、残り僅かな人生を、他者のためだけに生きなければならない。

そう、己、己、と歩くことを捨てることこそが、最初に訪れる我慢であり、我慢はいずれ、なれとなり、我慢などする必要などなくなる。

道に倒れた者を見たならば、己の傷つけた者であると知り、抱きかかえていきなさい。あと少しで、それもできなくなるのだから。

 

神の七つの掟

■ 騙さない、悲しませない、心を傷つけない

■ 親切にできる時を逃さない
勇気で言葉を「私に何か助けさせて下さい」

■ 動物を食べない

■ 罪を犯さない

■ 恩と責任・恩に報いる

■ 我慢

■ 奉仕と施し

神の化身より:神の七つの掟だけを行い、聢と、あなたが天国を選択し天国に行くのです。お金や宗教など天国にはなく、それらは甲斐無いのが天国なのです。

七つの掟は、どれをとっても難しいことではないはずです。但し、困難です。困難でなければ過去世までの「償」の輪廻転生はないわけです。

(神の化身の代筆者です。代筆者とは神の化身が私たちのいずれかに降りて来られて書いている者です。相談があれば相談フォームよりご連絡お願い申し上げます)

私は同じ話、同じことを何百回も言います。

神の化身